第17話「鏡の中で……」

 亮介もひかりもいまだに混乱は大きく、収集がつかないこともあれば、無言の時を流すこともある。ミズコから一度落ち着いて話そうと言われ、二人は畳の上に隣り合って座った。二人の正面のミズコも鏡の中で畳の上に座っており、肩の力を抜いた様子だ。


「お父さん」

「なに?」

「私と一緒に寝てどうだった?」

「えっと、凄く幸せだった。この子を守りたいっていう気持ちになった」

「キスをした時は?」


 ストレートに聞かれて亮介は頬を赤く染める。それでも柔らかな笑顔を向けるミズコに茶化した様子がないので正直に答えた。


「それも凄く幸せになった」

「欲情はしなかった?」

「どういう質問だよ……」

「大丈夫。遠慮なく答えて。ひかりもこういうネタは大好物だから」

「もうっ!」


 ここでひかりが口を挟んだ。ミズコは一度ひかりに「ふふ」と笑って亮介に目を戻す。


「欲情はしなかった」

「だよね。それが親子の愛情のキスだから」

「あぁ」


 亮介は天を仰いだ。納得したのだ。相手が自分の娘だから一緒に寝た時は責任感が湧き、キスをした時は温かい気持ちになった。キスをした時の違和感の正体はこれだったのだ。


「ひかりとはどうだった?」


 すると唐突にミズコがそんなことを言うので、亮介のみならずひかりも赤くなって俯いた。質問されたのは亮介なので、彼が答える。


「ひかりとはしてないよ」


 ――しかけたけどね。


 心の中でひかりは付け足す。一方、ミズコは「ふふ」と笑って続けた。


「けど一緒に寝ようとはしたんでしょ? 寝室に入ったって言ってたし」


 ぼっとより赤面して、亮介もひかりも力んで更に俯いた。もちろん亮介が答える。


「こんな生々しい話、普通は親子でしないよな?」

「気にしないで。ひかりんのニートで慣れてるから。もちろんひかりもこういうネタはオープンだよ」


 さすがに男の本人を前にして羞恥があるとひかりは内心で反論をする。一方ミズコから亮介への挑発は止まらない。


「それともお母さんと声も顔も瓜二つの私を前に、浮気の尋問みたい?」

「ったく。じゃぁ正直に言うよ。実はひかりには危なかった。って言うか、ひかりがミズコのお母さんの写真に気づかなかったら間違いなくアウトだった」

「ふふふ。やっぱり」


 羞恥プレイを体感している亮介とひかりである。するとミズコは言う。


「嬉しい」

「は? なにが?」

「ずっとお父さんとこうして話したかった。タメ口で話して、お父さんって呼びたかった」


 これには亮介もひかりも胸を射られた。ひかりとして現世に出たミズコだから、ひかりをまっとうした。そこまでしてでも亮介との生活を体感したかった。けれど本音では亮介に対して娘として接したかったのだ。


「本当に僕のこと、恨んでないのか?」

「うん。恨んでない。お父さんとお母さんが本当はどれだけ私を産みたかったか、お母さんからも聞いたから」

「は?」


 これには驚いて亮介もひかりも顔を上げた。するとひかりがボソッと言う。


「あ……四十九日……鏡の中で……」


 これに亮介も解せた。


「会ったのか?」

「会った」

「私気づかなかった」


 ひかりが言うのでミズコは答えた。


「現世の人にとってこの鏡は普通の鏡にしかならない。但し、ここは四十九日を終えていない死者が集まる場所。二つの条件のうち一つを満たした人は、ひかりと私のように現世の人から死者の姿が見えて対話ができる」

「その条件って?」

「一つは四十九日を終えていない死者から強い思いを持たれた人。私はひかりに宿っていたのだから、ひかりに対して強い思いを持ってた」

「私……」

「そう。話してみたいとずっと思ってた。鏡の中でも死者とは話せるけど、四十九日だけだから友達までは作れない。ここにいる死者は生きてきた時代もバラバラだし。私は子供だから話せる友達がずっと欲しかった。ひかりの近くにこの鏡もあるわけだし、条件は揃ってた」


 ひかりはミズコの思いに涙ぐんだ。それに優しく微笑むと、ミズコは亮介を向いた。


「お母さんの四十九日の間に、お母さんからたくさんお話聞いた。お父さん、お爺ちゃんからボコボコにされたんでしょ?」

「はぁ……」


 ミズコが言った「お爺ちゃん」とは亮介の前妻、美姫の父親だ。当時中学三年の亮介は同い年の美姫を妊娠させ、散々叱責され、出産を反対された。美姫と二人でどうしても産みたいと迫ったが、説得することは叶わなかった。それから中絶をせざるを得なかった自分を責めた。

 ただ二人はその後も別れることなく大学卒業と結婚を迎える。しかし不運なことに子宝に恵まれず、やがて美姫の自死ときて、遺骨は「お爺ちゃん」から取り上げられてしまった。結婚はしたと言っても亮介は「お爺ちゃん」との関係が良好ではなく、子供がいない夫婦だから、墓は分けても問題ないと言って美姫を取られてしまったわけだ。


「ミズコ、一つ気づいたことがある」


 するとここで口を開いたのはひかりだ。ミズコはひかりを向く。


「私の赤ちゃんアレルギーって、あれ本当はミズコのアレルギー?」

「そう」

「やっぱりか。ミズコが私の中で同居しなくなった途端、解消されたから」

「私は安産祈願とか産婦人科とか妊婦さんとか赤ちゃんを見ると震えるの。――お父さん、責めてるわけじゃないよ。本当に恨んでないから」


 二人の会話を耳にしながら、なにかに圧し潰されそうな亮介を見てミズコは言った。亮介は力なく「うん……」と答える。


「毎年水子供養に行ってくれてるんでしょ?」

「え? なんでそれを……」

「去年、畑宿寺ですれ違った」

「は?」


 どうやってミズコとすれ違うのだ。瞬間、「あっ!」っと声を出して隣のひかりを向いた。ひかりも気づいたようで、亮介と見つめ合う。


「これが私の直観力。時期が時期だから毎年ってことも気づいた」


 亮介は毎年十月、最後の休日に一人で水子供養に行っている。ひかりの誕生日でもある堕胎の日と近い。そこでミズコはすれ違った男が自分の父であると直感したわけだ。


「けど残念ながらその時はどこにいる人なのかわからなかった。お母さんもそこまでは教えてくれなかったし、教えてくれてたとしてもお母さんの不幸の後に転職してるし。だから転職先で見つけた時はびっくりした」

「それで私の感情……」


 ひかりは自分の身に起きたその出来事を思い出した。今まで思い出せなかったが、確かに一度目は姉の安産祈願の日だった。まさかあの時すれ違ったのが亮介だったとは。顔までは覚えていなかった。


「ひかりとすれ違ってたんだ……」


 亮介の方はすれ違ったことさえ忘れていた。呆然とする亮介をよそにミズコが話を続けた。


「これが鏡の中の死者と対話できるもう一つの条件」

「どういうことだ?」

「四十九日を終えていない死者に強い思いを持った人。お父さんは毎年水子供養に行くほど私に強い思いを持ってくれてた」

「そりゃ、当たり前だろ」

「ふふふ。気づいた時は本当に嬉しかった。それからは私もお父さんに対して思いを持つようになったし、一緒に生活して思いはより強くなったから、それは確立された。だから実は今では私の側の条件も満たしてるの」

「そっか……」


 亮介は少し照れ臭そうに呟いた。


「ひかりは私のお母さんのことは知らないから強い思いを持ってない。だからひかりは鏡を介して私のお母さんを見れなかったし、対話もできなかった」

「そういうことだったんだね」

「もう一つ付け加えると、ひかりが私の代わりに鏡の中にいた時も同じ条件。ひかりは本来現世の人だから、ひかりにとって条件を満たした死者は代わってる間いなかった。更に言うと、ひかりは私の代理で鏡の中にいたから、その時外の人と話せるのは対の私だけ」


 確かにひかりは鏡の中でずっと一人だったと思い出す。反転された蔵の中で外に出たミズコ以外会うことはなかった。ひかりは納得したところで言う。


「ねぇ、ミズコ?」

「なに?」

「亮介さんと一緒にいたいんでしょ? 今からでも体貸すよ? まだ四十九日は余ってるんでしょ?」


 するとミズコは弱く首を横に振った。

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