第24話

 後宮で、その知らせを聞き膝から崩れ落ちる妃がいた。第一王子と第二王子の生母である。

 正妃が産んだ第三王子が未だ幼いため、側室である自分の産んだ第一王子が王太子となった。のに……

 後宮を出て、学園に通うようになり、おかしなことになった。との報告は受けていたけれど、息子とはいえ成人した男と会うことはままならない。

 叱りつけようにも出来ず、歯がゆい思いをしていた。早く対処をしなくては、そう思っていたのに。


「下級貴族の娘などにうつつを抜かすとは!」


 悔しさのあまり床を拳で叩いた。

 冷たい大理石の床をどれほど叩いても、何も変わらない。むしろ手が負けて赤くなるだけだ。


「お妃様」


 侍女が慌てて傍による。手を取られてようやく床を叩くのは終わったけれど、顔を上げることは無い。


「なんてことなの…」


 あと少しで国母になれるはずだった。この国一番の女となれるはずだったのに。


「下級貴族の小娘などに…」


 唇を噛む妃の耳元に、侍女がそっと何かを囁いた。

 それを聞いた途端、妃は勢いよく顔を上げる。


「いま、なんと?」


 侍女が告げたことは、後宮で側室として生きてきた妃には信じられないことだった。しかしながら、その事に気づけなかった自分の息子は愚かだったのだろう。だからこそ、今しがた侍女から聞かせれたことは、妃にとっては愉悦にしかならない。

 自分の希望を打ち砕いた小娘に、してやらなくてはならない。それで溜飲を下げるのだ。


「国教会に行く手配を」

「かしこまりました」


 妃は残酷な笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がった。




 アルフレッドの生母が国教会に出かけたいと言う。

 市井に行くのとは違うため、止めることは出来ない。

 直ぐに外出の許可がおり、お布施や供え物の手配がされて、翌日妃は国教会に赴いた。


「お待ちしておりました、お妃様」


 出迎えに来たのは、アンジェリカの監視をしている女であった。この、国教会におけるシスターの中で最高位につく身である。国王の妹。と言えばわかりやすいが、前王が侍女に産ませたため正式な王族としては名を連ねてはいない。そのためここにいるのである。

 だからこそ、分かり合えると言うものだった。

「例の娘は?」


 妃は、祈りもそこそこに目的のものを尋ねる。


「神殿の奥に」

「まだ、楽しみは残して頂けて?」

「もちろんです」


 普段は優しいシスターである。衣食住に困らない国教会にいて、名目上神に仕えて祈りを捧げている身ではあるが、王女として生きられなかった鬱憤がある。

 だからこうやって妃が、やってくれば暗い部分が頭をもたげる。


「本人は気付いているの?」

「ええ、医師の診断がありましたから」

「それで?」

「穢れがあっては宜しくないでしょう?」

「汚れではなくて?」

「ああ、そうともいいますわね」


 唇を三日月の形にして笑うシスターに、妃は一瞬背中に寒いものを感じた。だが、そんなことはすぐに忘れてしまう。何しろ、自分の希望を打ち砕いた小娘にそれ相応の仕打ちをするのだから。

 小娘がどのような反応を示すか、楽しみでならなかった。


「初めまして」


 そう言って微笑むと、目の前の小娘は目を見開いた。こんな生活をしているのに、まだ髪は輝きがあり、肌は透き通った白さを持っていた。それが一層妃を苛立たせるとは知らずに。


「初めまして。アンジェリカ・ベンジャミンと申します」


 小娘は直ぐに名を名乗り頭を下げた。お世辞にも美しいとは言えない淑女の礼である。やはり、比べるのもおこがましいが、ヴィオラ嬢は秀逸であった。


「硬くならなくともよい」


 扇で口元を隠すが、どうにも笑みが溢れてくる。この小娘は何も知らされてはいないのだ。


(わたくしの希望を打ち砕いたことをその身に分からせてやるわ)


 思わず扇を持つ手に力が入る。

 甘い菓子を与えてやれば、なんの疑いもなく口にする。


(アルのお母さんよね?やっと私を認める気になった?)


 久しぶりの甘い菓子が嬉しいものの、アルフレッドではなくその母親がやってきたことに少し警戒をする。なぜ一緒に来ないのか?


「こちらでの生活はいかが?」

「は、はい?」


 突然の質問にアンジェリカは慌てた。


(不満をぶちまけたら印象悪くなるわよね?)


 どう答えようかと考えあぐねていると、目の前にいる美しい妃は、満足そうに微笑んでいた。どうやら答えなくて正解だったようである。


(悪い印象は持たれなかった?)


 姑との腹の探り合いなど前世でも経験のないアンジェリカは、とりあえず微笑んでくれたことに安堵していた。が、


「聞いたところによると、お腹にやや子がいるそうね」


 そう言って微笑まれ、アンジェリカは硬直した。





「未婚の女が孕んでいるなど、あってはならぬこと」


 初日に連れいかれた四角い部屋に、アンジェリカは再び連れてこられた。一番の違いは両腕を妃が連れてきた侍女に掴まれた状態だったこと。


「な、なにをなさるんですかっ!」


 半ば悲鳴に近い声を上げ、アンジェリカは抵抗をした。だが、ここに来て質素な食事しかして来なかったせいで、ろくな抵抗ができない。

 床に這いつくばるような姿勢を取らされて、顔だけを妃の方に向けられた。


「下級貴族の分際で、わたくしの希望を打ち砕いた!」


 吐き捨てるようにそう言うと、妃はアンジェリカの顔に唾を吐いた。

 前世でも味わったことの無い屈辱に、アンジェリカは歯ぎしりをした。


(なんなの?このババァ)


 アンジェリカから見れば、十分におばさんの年齢である妃である。内心このように毒づくのは致し方がないだろう。だが、


「生意気な目をして!どうせ碌でもない事をかんがえているのであろう!」


 怒鳴るようにそう言うと、妃はヒールでアンジェリカの背中を踏みつけた。


「ああっ」


 生まれて初めての痛みに、思わずアンジェリカは叫び声をだした。ヒールで踏まれることのなんという痛みか。薄い布一枚しか纏っていないから、ほとんど素肌を踏みつけられたのに等しい痛みが全身に走った。


「ああ、愉快だわ」


 妃はそう言うと、用意された椅子に腰掛けた。その隣に、例の女も座る。

 アンジェリカは、そんな二人を目を丸くして見つめた。


「汚らしいその娘を何とかしなさい」


 扇で払うような仕草を妃がすると、隣の女が手を叩いた。

 すると、アンジェリカと同じような白いワンピースを着た少女たちが、桶を持ってやってきた。

 侍女たちに押さえつけられているため、身動きが出来ないまま、アンジェリカは少女たちをみる。

 なんの感情も持たない目が、アンジェリカを見つめていた。


「ひっ、な、なにを…」


 分かってはいるが、受け入れられないために、身を攀じる。だが、侍女たちは全く、力を緩めない。


「キャーー」


 頭に体に、少女たちは代わる代わる水をかけて行く。どこから汲んできたのか、その水はとても冷たかった。

 水のあまりの冷たさに、声も出なくなった頃、


「汚い汚れを落として上げましょう」


 妃の横に座っていた女が、モップを突然アンジェリカにおしつけてきた。


「!!!」


 声を出す気力もないまま、アンジェリカはそのモップで体を擦られていた。いつの間にかに侍女たちはアンジェリカから離れ、少女たちもいなくなっていた。

 モップが容赦なくアンジェリカの体に当たる。拭いていると言うよりは、殴られているのに近い。


「よく、綺麗にしてやって」


 さげずんだ目でアンジェリカを見ながら妃が告げる。


(なんで?)


 自分の置かれている状況が未だ分からないアンジェリカは、この仕打ちの意味がまるでわからなかった。


「汚らしい」


 そう言って、妃はまたアンジェリカを踏みつけた。

 だが、アンジェリカはもう悲鳴もあげることが出来なかった。


「不義の子など、認められるわけが無い」


 妃は、踏みつけた足をグリグリとアンジェリカに押し付ける。その痛みが、体の中にまで届くようで、アンジェリカは苦痛の顔をした。しかし、冷水を浴びせされたせいで全身の間隔が麻痺している。


「いい顔」


 そんなアンジェリカを見て、妃満足そうに笑うと女共に出ていってしまった。白い部屋にはアンジェリカしかいない。


(不義の子?お腹の子の事?)


 聞きなれない言葉に、アンジェリカは考えるが、体に与えられた衝撃で、まともに思考が働かなかった。

 見上げれば、聖母像が微笑んでいた。


「っな、んで…」


 自然と目から涙が溢れてきた。

 何もする気が起きなくて、アンジェリカはそのまま瞼を閉じた。、

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