第20話

 アルフレッドが出ていって、入れ替わるように数人が入ってきたのが気配でわかった。それにより、アンジェリカは身動きが取れなくなってしまった。仕方がなく目を閉じて回りの動向を伺うことにした。

 そうして寝たフリをしていたアンジェリカであったが、寝台を取り囲む侍女たちの圧が痛いほど伝わってきていた。

 扉が閉まる音がして、気配が動く。天蓋が開けられて光が顔にあたる。何かを手にしている侍女がゆっくりと近づくのが影でわかったが、寝ている振りをしているため、確かめることができない。

 ゆっくりと近づいてきた侍女は、なにやら布のようなものを持っている。と認識できた。汗でも拭いてくれるのか?と思ったが、その布はアンジェリカの額ではなく鼻と口を覆った。

「!!!」

 驚きのあまりアンジェリカは目を見開いた。起き上がりその布をとり払おうとしたが、思いのほか侍女の力は強く跳ね除けられない。

 鼻と口に当てられた布が、湿っていると感じた時にはアンジェリカは何も感じられないほど闇の中に落ちていった。

 アンジェリカが動かなくなったことを確認した侍女たちは、寝台のシーツで上手いことアンジェリカを持ち上げ、そのまま運び出した。途中その光景を見たものはいたが、侍女たちが布を運んでいるようにしか見えなかった。

 そうして、かなりぞんざいにアンジェリカは運び出されてしまった。

 ひと仕事終えた侍女たちは、何事も無かったかのように客室を整え、扉に鍵をしていなくなった。



​───────



 中央の政に参加出来ないベンジャミン男爵は、学園から帰らない娘にやきもきしていた。

 自由奔放に育った自慢の娘は、学園に通うようになり、更に奔放になってしまった。

 帰りは毎日遅く、時折髪が乱れている時もあった。それを何度か嗜めた時もあったが、その度に


「お父様の出世のためですわよ」


 と、言われていた。

 そして、今日はついに日が暮れても帰ってこなかった。嫌な予感はしていたが、ついに一枚の書状を持った騎士によって、娘がなにをしでかしたのかわかってしまった。透かしの入った正式な書状であった。だからこそ、曲がりなりにも間違いなどではないのである。


「出世どころか取り壊しにされてしまう」


 ベンジャミン男爵は頭を抱えた。それはそうだ、自分の娘は、あろうことか婚約者のいる王子を惑わし、それどころか側近候補の令息たちまでも手玉にとった悪女とみなされてしまったのだ。

 親である自分は、監督不行届として処罰されるだろう。もはや没落の道しかないも同然である。

 男爵が頭を抱えていると、夫人がその様子をそっと眺めていた。


「何をしている?」


 男爵は不審に思って自分の妻を見た。


「アンジェリカはどうしました?」

「帰ってこないよ、もう二度とな」

「どういうことです?」

「これを見ろ!」


 男爵は書状を妻の目の前に叩きつけた。娘のアンジェリカは、妻によく似た美しくも愛らしい娘だ。見た目だけでなく、そな中身さえも。


「な、何かの間違いでは?」


 妻は震える手で書状を読んでいた。自慢の娘は自分より大物を得てみせると楽しそうに学園に通っていた。そう、母である自分が平民から男爵夫人になったことに対して、もっとすごい男を捕まえてみせると意気込んでいた。

 そうして実際に宰相の息子と仲良く出かけたことがある。婚約者がいるらしいが、その娘と比較しても自分の娘の方が魅力的だと安心していたのに?

 書状を読んで、その内容に驚愕した。自分の娘はなんと恐ろしいことをしたのだろうか。


「あ、あなた…」


 青ざめた顔で自分を見つめる妻を見て、男爵は今更ながら後悔した。なにしろ自分の妻もこうやって平民から男爵夫人になったではなかったか?だとすれば、きちんと教育をしておかなければ、母親と同じことをするのは目に見えていたはずだった。

 それを知っていながら止められなかったのは男爵である自分の落ち度である。

 ベンジャミン男爵夫婦は、手を取り合ってその場に力なく座り込んだ。これもまた、エンディング後の話であるから、誰も知らない事実である。



​───────



 目が覚めた時、アンジェリカは簡素な部屋にいた。

 なんの飾り気もない寝台に横になっていた。

 明り取りのための窓は高い位置にあり、とてもじゃないけど届きそうもなかった。テーブルと椅子が一脚。寝台を入口から隠すための衝立。床には絨毯が敷かれているが、なんの模様もなく質素な色合いだった。


(ここ、どこ?)


 倦怠感を振りほどきたくて二、三度頭を振ってみるがとり払えない。ゆっくりと起き上がってみるものの扉の向こうに誰の気配も感じられなかった。


(誰も控えていない?)


 なぜだかわかないが、声を出すのは得策ではないと判断して、アンジェリカは静かに体を動かした。

 ドレスを来ていたはずなのに、なぜか簡素な麻の服を着ていた。ワンピースの形をしたその服は、男爵令嬢であっても着るような機会はなかった。

 もっとも、前世であったなら夏休みに着たかもしれないけれど。

 裸足で床におり、部屋の中を探ってみたけれど、特に何も無かった。


「まさか、ね」


 半信半疑でドアノブに手をやると、絶望的なことに鍵がかかっていた。


「詰んでる?」


 思わず声に出したが、だからどうしたというわけでもない。


「なんで?逆ハーエンドだったんじゃないの?」


 こんなのはおかしい。

 自分は主人公で、逆ハーエンドに向かっていたはずなのに!完璧な断罪イベントはできなかったけれど、それでもアルフレッドは婚約者であるヴィオラに婚約破棄を言い渡していたではないか。アンジェリカは背中に冷たいものを感じたが、それを振り払った。

 金属が回る音がして、扉が押し開かれた。

 入ってきたのは、いかにも宗教の人です。と言いたげな程に髪を隠した衣装をまとった女たちだった。


「起きたのですね」


 感情の欠けらも無いような冷ややかな物言いに、アンジェリカは喉の奥で悲鳴を殺した。学校の数学の先生のような眼差しを向けられて、居心地が悪い。


「着いてきなさい」


 一瞥されそう言われ、アンジェリカは歯向かう言葉も出せずに従った。


(なに、なんで?私裸足じゃない)


 前を歩く女も、後ろを歩く女も靴を履いているのに、アンジェリカだが、裸足だった。

 部屋の中は絨毯が敷かれていたが、廊下は石畳で冷たかった。

 アンジェリカはひたすら歩かされ、床も天井も壁も白い大理石出できた四角い部屋に案内された。

 見上げるように女神像がたっていて、その前に膝まづかされた。


「ここは国教会の、神殿になります」


 一番威厳のありそうな女にそう言われ、アンジェリカは驚いた。


(国教会?神殿?それって、メリエン?)


 この真っ白な四角い部屋は、祈りを捧げるための部屋なのだろう。なにしろ、女神像しかない。しかも、周りにいるのは女だけ。


(結婚の前に身を清める的な?)


 アンジェリカは密かに笑った。


(洗礼とか、そーゆーやつ?)


 テレビでしか見たことがないけれど、結婚の前に身を清めて、教会に一週間住み込むとかそう言う儀式だとアンジェリカは思った。

 なにしろ、国教会にいつの間にかにいるのだから。


(国教会ってことは、アルとのメリエン?)


 だから自分は白い服を着させられている。とアンジェリカは理解して思わず女神像に笑顔を向けていた。

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