第29話 ドS勇者の啖呵

 魔人セリアーノがタイバーデン伯爵の屋敷へと無遠慮に踏み込んだ。

 礼儀正しく門を叩くことなく、風の刃でバラバラに引き裂いて。


「警備兵もおらず、アラームも鳴らないとは。逃げたか?」


 傍目に見ても美しい女だった。

 布を巻いたような服から覗くソグリム人らしい浅黒い肌はよく鍛えられている。

 両手に持つ曲刀は鋭く磨き上げられていて、エルフを虐殺した割には血のり一つついていない。間違いなく魔法の武具だ。

 ああ……こんなことにならなければ従徒として飼いたかった。


「待っていたよセリアーノ。本当に待ちくたびれた」


 ロビーの階段を降りながら、敵意を隠すことなく睨みつける。


「人間だと……? どうしてここにいる」


 眉根を寄せるセリアーノを、僕は踊り場で立ち止まって傲然と見下ろした。


「ここは実質的に、僕の屋敷だ。だから屋敷の主は僕」

「悪ふざけに付き合うつもりはない。領主はどこにいる?」

「とっくに逃げたよ。ここにはいない」


 タイバーデン伯爵令嬢にはいち早く《伝達》で危機を伝えてある。

 伯爵も使用人も全員、隠し通路から退避済みだ。


「自己紹介をしよう。僕はユエル。アンタが探していた勇者だ」

「何を馬鹿なことを――」


 セリアーノを無視し、僕はおもむろに上着を脱いだ。


「そ、その印はまさしく完全創造主様の!」


 僕の胸に刻まれた紋章を見たセリアーノは驚いて顔をあげる。

 フン……完全創造主の信者って話は本当のようだ。


「ようやくお会いできました。貴方をずっと探していたのです」


 それまでの態度を詫びるように、恭しく敬礼してくるセリアーノ。

 そして頼まれもしないのに、ここに辿り着くまでの苦節の日々を語り始める。

 この女がどういう経緯でクアナガルに来たのか多少は興味があったので辛抱したが……実に聞き苦しい、駄作の物語だった。


 砦跡でクアナガルの仕業だと根拠もなく決めつけ。

 検問の衛兵が全滅していたことを完全創造主の天意と錯覚し。

 不法入国を決断した自らの愚かさを誇らしく語り。

 スラム酒場で手がかりを得た顛末に至っては、ラグナールを始末したことを褒めてほしそうな勢いだった。


「どうして男を殺した?」

「もちろん、罪人だからですよ? 奴隷売買はエクリアでは犯罪ですから」

「ここはクアガナルなんだぞ……?」


 エルフ以外の奴隷は合法なんだが……。

 エクリアで逮捕したなら、まだわかるけど。それ以前に……どうやらこの女は隣国の法律を知らないらしい。

 それで、よく騎士になれたものだ。


「そして、私はクアナガルでの苦しい活動の中で……真の愛に気づいたのです」


 さすがに笑いそうになった。

 真の愛と抜かしたか。

 

「私とともにクアナガルに潜入し、ついてきてくれた騎士フォルガート。彼との間に愛が芽生えました。エクリアに戻ったら、彼と結婚するつもりです」


 もはやこの女にとって、フォルガートは弟じゃないわけか。

 まったく、なるほどね。

 ヴェルマのときに理解したつもりでいたが。

 か。


「で、その愛しの彼はどこに?」

「外を見張っています」


 そうか……まあ、ここで騒ぎが起これば入ってくるということだろう。

 問題ないな。


「さあ、勇者殿。早くエクリアに参りましょう。ご心配なさらず。邪魔するエルフは私がすべて斬り捨てます。どうか万事このセリアーノにお任せあれ」


 この言葉を……僕がクアナガルに来る前聞いたら、さぞ頼もしく思ったことだろう。

 あるいは従徒としてではなく、手駒なかまとして傍に置く道もあったかもしれない。


 だけどな。


「うるさい、もういい」

「勇者殿、何を――」

「黙れと言ったんだ、下等生物。魂を腐らせた汚物の分際で、僕に近づくな」


 はぁ~~っ、と。

 これまでの旅の中で、一番長いため息を吐いた。


「ずっとアンタにイライラしていたんだ。なんでかずっと考えてたんだけど……話を聞いて、やっとわかったよ。

 アンタは『妥協』したんだ。

 実の姉弟でありながら、遂に一線を踏み越えられなかった。

 弟を押し倒して、レイプして、モノにしてしまえなかった。

 弟の心を踏みにじってでも、自分の恋を成就できなかった。

 じゃあ、アンタは自分の本当の願望を犠牲にして、清く正しい人としての道を選んだのか?

 違う。アンタは欲深く、総取りを狙ったんだ。

 自分の魂を書き換えて、罪悪感を取り払った。

 弟の意識を書き換えて、倫理観を取り払った。

 姉をやめて、弟をやめさせて、ただの男女関係に一件落着させた。

 世間におもんばかって、倫理に負けて、人としての身の程もわきまえず、魔人なんかに成り下がったんだ」


 思いきっきり嘲笑してやりながら、僕はその愚かさ加減を指摘するつもりで人さし指を突きつけた。


「まさしく喜劇だよ。『愛らしいほど愚かで、近年稀に見る抱腹絶倒の喜劇』だ。いいか、わかるか。笑える喜劇っていうのが僕は大嫌いなんだ。僕が好きなのは悲劇であって、悲恋であって、こんな意味のわからない化合物キメラじゃない」


 これほどまでに一方的な罵倒、それも相手の存在を完全否定したのは生まれて初めてだ。

 あらゆる善行も悪徳も人それぞれの魂の在り方であるというのが、僕のスタンス。

 わざわざ相手にどうこう言うのは僕のやり方じゃない。

 他人を喜ばせ、怒らせ、哀しませ、楽しませるのは僕にメリットがあるときだけでいい。


 だが。


「フフッ……」


 僕の心の奥底から出た言葉は、セリアーノに届いていなかった。

 これっぽっちも痛痒を感じさせないどころか、穏やかな笑みさえ浮かべていて。


「勇者殿のおっしゃる言葉は小難しくて、まるでわかりませんね。きっと私の至らぬところを嗜めてくださっているのでしょうが」


 まるで僕がジョークを外したかのような物言いだが、さもありなん。

 セリアーノ……こいつはもう、停まってしまったんだ。

 僕に愚弄されていることすら認識せず、己が一度決めた正義で凝り固まって。

 もう、どうしようもなく人間ではなくなってしまった。


「いいだろう。アンタの程度の低いオツムでも理解できるよう、一度だけ言う」


 この場面ではセリアーノ、アンタを怒らせることは僕にとって多大なメリットがある。

 絶対に怒ってもらうぞ。


「アンタは僕のテリトリーを土足で踏み荒らしている。ここに暮らしているエルフも人間も、僕のとっては利用価値が生まれるかもしれない駒だ。利益も出ないうちからどんどん切り捨てられてはたまったものじゃないんだよ」


 セリアーノの顔色があからさまに歪んでいく。

 完全創造主が遣わしたはずの勇者の口から吐き出される呪詛に、耳を疑っている。


「この世に生きとし生きるすべてのものは、平等に無価値な命を持つ愉快な僕の玩具。わかるか。僕は、アンタが信じてやまぬ完全創造主によって命を弄ぶことを許されているただひとりの特権階級スペシャルなんだ。アンタのやり方……エルフを殺し、人を解放する――その選別はこの世界に照らし合わせればきわめて真っ当なものなんだろが。僕の目の届くところで、それをやるな。極めて不愉快だ」


 別段、嘘を吐いているつもりはない。

 僕の心からの本音を食らえ。

 現実に幻滅し、幻影に幻惑されろ。


「セリアーノ。アンタは存在そのものが迷惑千万だ。早々に世界ここから出ていけ。二度と僕の目の前に現れるんじゃない」


 最後に容赦のない三下り半を突きつけると、天使か通ったような沈黙が訪れた。

 セリアーノが再起動するのに、幾何いくばくときを要しただろうか。


「……勇者殿」


 どうにかかすれた声を絞り出したセリアーノから凄まじい殺意が漏れ出してきた。


「いや、貴様は断じて勇者などではない! 偽物だ!! 本物ならば、そのような下劣な物言いをするはずがない!!」

「そうかい。ようやくアンタを怒らせることができたようで良かったよ」


 セリアーノが怒ったのは、僕のことがそれほど重要ではないからだ。

 魔人になった経緯とは一切関わりのない些末事さまつごと

 完全創造主の紋章もセリアーノの心の中では刺青いれずみか何かだと、とっくに辻褄合わせが終わっているのだろう。


「完全創造主様の権威を騙る不届き者めが……ああ、まったく。また一から本物を探さねばならんな! 無論、貴様を殺した後で!」


 勇者の正義を信じる騎士が、二対の曲刀を構える。


「アンタは僕がこれまで出会った中で、最も愚かな女だよ」


 怒りに燃えるセリアーノに対して、言いたいことを言い終えた僕は冷静だ。

 いやはや相手にするのも虚しいことこの上ない幻霊ファントムだが、無益な破壊をまき散らすとあっては放ってはおけない。


「紛れもなく勇者ぼくが倒すべき敵だ。数多を『裏切りし者』よ、絶望に悶える覚悟をしろ」


 戦いの始まりを高らかにうたいあげながら、僕は凄絶な笑みを浮かべるのだった。

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