第13話 利口な選択

 ドラゴンは焦っていた。今までどんな獲物も仕留めてきたであろう牙も、爪も、鞭のような尻尾も効かない。ご自慢の高等魔導も封じられ、相手の攻撃は当初煩わしい程度であったが、積み重ねられれば、相当な傷となる。加えて翼が負傷している中、走って逃げるしか手は無い。


 しかしドラゴンは挑発されれば激怒するという一説から察せられる通り、プライドの高いモンスターである。空の王者とも呼ばれる彼らにとって、地を這い、尻尾を巻いて逃げるという行為は酷く屈辱的なものだ。特に雄であるこの黒いドラゴンならば、逃げるよりは相討ち覚悟で暴れる事も予想される。


 事実、ルハナもそういった場面に何度か遭遇してきた。特に記憶に残っているのは狩人になる前、ホーネット帝国で成獣の蒼のドラゴンを帝国軍部隊で討伐した際、死に物狂いで足掻いたドラゴンによって甚大な損害が出た事件である。


 とは言え、あの時は指揮にも問題があったとルハナは考えていた。弱らせたドラゴンの留めを爵位の高い一人の兵士に撃たせようと、ルハナを含め実力者を下がらせたのは悪手以外のなにものでもなかった。近年報告されているモンスターの被害が増えていることもあり、効率の為、最も戦力となる第一師団員は他の部隊と共にそれらの討伐に当たっていた。故に指揮系統が複雑化しており、ルハナは別部隊の上位官の命令に渋々従った。


 横目に雌のドラゴンと対峙しているスバキの様子をルハナは盗み見る。二頭を離してから何度も様子を窺っているが、彼女は軽々と爪や尻尾の攻撃を避け、魔導の発動も頭を集中的に狙う事で未然に防いでいるようである。しかし彼女の打撃は決定打に欠けているのか、ドラゴンにはルハナが斬り付けた前脚以外は特に目立った外傷が無い。


 一刻も早く雄の方を倒し、彼女の助太刀に入らねばという思いがルハナの中で強くなる。棒で跳び、球状の魔石を放る様子から、スバキの手持ちの魔結晶も魔力も底をついていないようではあるが、ルハナとしてはそれらがいつ切れるのかハラハラしてならない。


 再び雄のドラゴンが紅の高等魔導を仕掛けてくる。ルハナは魔力がたまる間の攻撃をいなしながら自らの魔力の残量を測った。騎士として訓練を受けていた事もあり、ルハナの元の魔力量は人としてはかなり多い方だ。しかしモンスターの容量と比べてしまえば断然少ない。三十発近くの魔導を乱発させたドラゴンの残りの魔力量より少し上回る程度だと彼は踏んでいた。大事に魔力を使わなければいけない。


 だが元の魔力量が多いからと言って、三十近くも発動失敗に追い込まれている中、懲りずに高等魔導の陣を発現させるドラゴンも大概である。ルハナは黒いドラゴンの直情的な攻撃に、芸が無いと思いながら重たい一撃をドラゴンの首にお見舞いした。魔導の発動を防ぐには充分な一発。パラパラと飛び散る血に染まった鱗が、ドラゴンが纏っている防御の紅の魔力濃度が低くなっている事を知らせる。そろそろ初等の蒼の魔導を帯びたルハナの渾身の斬撃が入れば、致命傷を与えられるかもしれない。


 しかし発動を阻止され地面の陣が薄れていく中、ルハナは異常に気付いた。すぐさま、自身の周りを高密度の紅の魔力で充満させ、肘で顔を覆う。


 次の瞬間、彼は火柱に呑まれる。雄のドラゴンの高等魔導である。陣を二重に仕込み、上の魔導の陣で下のものを隠し、並行して発動に向けて魔力を練っていたのだ。一方はルハナが止めたが、もう一方は発動した。その火炎を諸にルハナは受けてしまったのだ。


 二重に仕掛けられたことにより、発動した魔導自体は比較的小規模のものであった。ルハナが二歩、三歩と大きく跳べば、火の渦の中心地から抜け出せ、上級狩人に相応しい防具を身に着けている故、目も開けられる。彼は雄のドラゴンの次なる一手に対処する為、敵の動向を熱気の中から窺う。


 ドラゴンの獰猛な目はこの機を逃すかと朗々と告げている。長い尻尾でルハナの退路を叩き、彼の退避を邪魔立てする。火の粉と土が舞い、尻尾によって足場が悪くなり、必然とルハナの後退る速度も遅くなる。


 熱風の中、黒い巨躯を蛇のようにうねらせ一気にルハナとの間合いを詰めるドラゴン。その突進の勢いのまま伸ばされた前脚を大剣で迎え撃つべく、熱気で空気が歪む中、ルハナは剣を両手で握り、足に神経を集中させた。大剣に施した紅の高等魔導も効果が薄れており、ルハナも今回ばかりは吹き飛ばされる覚悟をした。


 しかしルハナに触れる前に、ドラゴンの爪は何かによって弾かれた。スバキの魔石である。生まれた隙にルハナは更に後退し、無事熱の渦とドラゴンの攻撃範囲を脱した。


「騎士君、大丈夫?」


 スバキは体勢を整えるルハナを背に庇う様に雄のドラゴンと対峙し、彼に声を掛ける。例の棒の空を飛ぶ魔導を使って一気にルハナの元まで跳んできたのだろう。かなり離れた場所で赤茶色の雌のドラゴンが頭をしきりに振りながら、ふらふらと飛んでいる。頭に数撃喰らった直後だったのかもしれない。そのまま不安定にも高度を上げていく様子から、雌の方は一旦逃げるつもりなのではないだろうか。


 対して黒の雄ドラゴンは熱気による蜃気楼の向こうから間合いが再度開いてしまったルハナの事を睨んでいる。攻撃してこないのは恐らく自身の魔力が少なく、加えてスバキの存在が警戒に値するものとのことだろう。ルハナは大剣を握り直しながら、スバキの横に並ぶ。状況は新たな決断を要しており、ルハナは慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「スバキ殿の一撃のおかげで私は大丈夫です。だが今の攻撃を相殺する為、魔力をかなり使ってしまった」


 スバキは頷き、尋ねる。


「一旦退くかい?」


 どうする。どうするか。どうするべきか。ルハナは考えを巡らす。


 恐らく組合の増援の到着はまだ先だ。正午の緊急要請とあらば間が悪い。腕利きの狩人は出払っている者が殆んどだろう。運よく町にいる狩人と連絡がついて、最短距離で馬を走らせても、特殊な足でない無い限り駆け付けるまであと少なくとも二十分は掛かると見積もっていい。


 一方で宙で待機している雌も、雄が共に逃げるまではこの場に留まるだろう。そしてスバキを含めそれを打ち落とせる実力の者が援軍の中にいれば、まだ充分ドラゴンを二頭相手に勝算はある。その場合、応援到着まで奴らを足止めする事が鍵となる。それが魔力残量僅かであるルハナに実行できるか、彼には分からなかった。


 それでもスバキの問い掛けに素直に頷けないのは、この機を逃せば間違いなくドラゴンの番は全快した後町を襲い、家畜や人を食い荒らすことが予想できるからである。ドラゴンは賢い。報復の為に狩人の手が届きにくい村や町から襲うだけの知恵を持っている。次に奴らを討伐できる機会が来るまでどれだけ被害が広がるのか。そればかりがルハナの頭を過る。


 しかし今の状態でルハナはいざという時にスバキを守る自信が無い。迷いながらも、ルハナはスバキだけでも安全な場所に避難するよう進言した。


「スバキ殿。貴殿は森に引き返して身を隠してください。私は組合の増援が来るまで奴らを足止めします」


 ルハナの提案をスバキはさらりと蹴った。


「騎士君、それはあんまり利口な選択とは言えないなぁ」


 ルハナも否定はできない。彼女の言うところの利口な選択とは、一旦退くことである。ルハナとて帝国軍で小隊長を務めていたのだ。退避の判断を下したことは幾度となくある。


 それでもここで退くのは多くの犠牲が出る事を意味しており、それは彼の信念が良しとしない。守るべき部下が居ない今となっては、その思いが何より顕著に出ている。


 悶々と頭を悩ますルハナの隣でスバキは雄のドラゴンを見やり、空から番を呼ぶ雌の方を見て、暫し黙り込んだ。再び口を開いた彼女を取り巻く空気は先程より鋭いものとなっていた。


「質問を変えようか。あんたはどうしたい?」


 思考が中断されたルハナの頭から蜘蛛の子が散るように幾つもの懸念が追い出され、考えが一瞬にして真っ白になった。スバキが話し続ける言葉はそんなまっさらな状態のルハナの中に染み渡る。


「現実的とか安全性とか他人への迷惑とが全部一旦捨ててさ。ついでに試験官としての責務とかも手放して……そんなあんたの口から聞きたいな」


 再びスバキは、あんたはどうしたいと問うた。


 引き出されたルハナの答えは、先程の悩みようが嘘のように、実に単純明快であった。


「ここで二頭とも仕留めたい」


 無謀であろうと、無茶であろうと、ルハナは看過できない。そして彼はこれと決めたら頑として動かぬ男である。ただそれだけの事だ。例えその信念によって自らが死地に追いやられようとも、そして死地に向かうのだと自覚したとしても、ルハナは己の信条を曲げないであろう。


 スバキはルハナの答えを聞くと、笑いを零した。いかなる時でも明るい女である。窮地であっても彼女ならば笑い続けるのはなかろうか。そのままその場を仕切りだす。


「いい答えだ。魔力は? 残ってる?」


 未だ呆然としていたルハナは少しならと、静かに返す。スバキはならばと指示を出す。


「まずは魔力もかなり削られている雄の方からいこう。私が囮になるから、合図したら蒼の魔導使って首を落としな」


 外すんじゃないよと茶化すスバキは、あっけにとられているルハナが止める隙など見せずに、正面の黒いドラゴンに向かって駆け出した。

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