第11話 優しい騎士君

 広場の北側のなだらかな傾斜を真っ直ぐ下れば、二キロ半程で木々は途切れ、森に覆われた丘は草原に変わる。日照時間の差か、丘の北側の森は樹木の密度が南側のものより低い。よって常にではないが森の中からでも、空のドラゴンの姿は粗方目で追える。枝によって視界が遮られても、移動し続けていればいずれ次の木々の切れ目を通過するからだ。


 勿論それは、ドラコンの方からも地上を走るスバキを容易に追跡できるという事でもあるが。


 ルハナは走り出して程なくしてスバキに追いついた。彼女は鼻から北の草原にドラゴンを誘導するつもりだったのか、木々の葉の間からドラゴン達の様子を常に警戒しながら真っ直ぐと北に向かっている。火を吹く素振りを見せればすかさず例の棒を振り上げ、球状の魔石で妨害している。頭上からは苛立たし気な鳴き声が聞こえた。


 ルハナは彼女と並走し、自身もドラゴン達の動向に目を光らせながらスバキに声を掛ける。


「このまま真っ直ぐ進めば、二キロメートル程で森を抜けられる。そこまで奴らを誘い出せるか?」


 目線はドラゴンから外さすに了解とスバキは返す。ルハナは更に言葉を重ねる。


「木々がまばらになって奴らが下りてきたら、私が注意を引く。その隙にスバキ殿は身を隠してくれ」


 開けた場所であればドラゴン二頭を倒せずとも組合の応援の狩人達が駆け付けるまで、ルハナ一人で引き付ける気でいた。紅の魔導を用いた削り合いになると予想されたが、恐らく援軍の到着まで自身の魔力はもつだろうと彼は踏んだ。スバキの遠距離攻撃に頼れないのは口惜しい気持ちもあったが、それよりも試験官としての責務をルハナは優先することにしたようだ。


 しかし言葉の本意が伝わらなかったのか、スバキはくすりと笑い、猫撫で声で訊く。


「心配してくださってるんですかぁ、試験官ドノ?」

「無論だ」


 スバキは茶化しとも嫌味ともとれる自分の言葉に返ってきたルハナの強く真っ直ぐな答えに、思わず彼の顔を見上げた。視線を感じたルハナもちらりとスバキを見るが、すぐに空のドラゴンに目線を戻す。


 スバキは探るような視線をルハナに送る。しかしゴーグルに隠されている疑いの目を、ルハナは彼女が理由を求めているのだと勘違いした。


「私は試験官として貴殿を守り、この不測の事態に対処する責任がある。一介の二級狩人としても町の近くに現れたドラゴンの存在を無視する事などできない。だがスバキ殿は受験者だ。それも狩人としては駆け出しの。この状況でこれ以上貴殿を危険に晒してまで協力を求めるのは、虫が良すぎる」


 並走している二人の間に奇妙な沈黙が流れる。暫くしてルハナがスバキ殿と小さく呼び掛け、合点したスバキは上も見ずに棒を振るう。頭上ではまたもや火の攻撃を妨害されたドラゴン達が、ぎゃあぎゃあと烏のように騒ぎ立てる。


 そこから更にたっぷりと間をおいて、ずっとルハナの顔を見つめ続けていたスバキが口を開いた。


「え……まさか本心?」


 ルハナはその言葉の意味が分からなかったのか、怪訝そうな表情でスバキを見詰め返す。その顔には、何を言っているのだと如実に書かれている。するとスバキは吹き出し、カラカラと声を立てて笑う。ドラゴンの番にも聞こえたのか、少し大人しくなっていた二頭は再び腹立たし気に鳴き始めた。


 ルハナはスバキの問い掛けに加え、彼女が爆笑している理由が分からず、困惑の色を一層濃くした。ひとしきり笑ったスバキは楽しそうにルハナに言い放った。


「あんた騎士でしょ」


 いつの間にかルハナに対する言葉からはスバキのなけなしの敬語が抜け落ちていた。だが一気に砕けた彼女の口調からは一切の蔑みは感じられず、そればかりか不思議と親しみと暖かさを滲ませている。


 言葉遣いの急な変化にルハナは軽く面喰った。常時から冷静沈着であるべきだと心に留めている、感情表現が乏しいこの男からすれば、スバキとの一連の会話はルハナを戸惑わせ、驚かせ、常にはない程忙しない表情の変化をもたらしていた。


 スバキはドラゴン達に牽制攻撃を打ち上げながら話し続ける。


「一目で分かったよ。組合で初めて見た時の空気もそうだし、あの時の合図も。姓がある時点で貴族か大商人って分かってたから、騎士として訓練を受けた貴族だろうと思ってたけど……いやまさか形だけじゃなくて根っからの騎士とは」


 何が面白いのかスバキはくつくつと思い出し笑いを漏らす。


 確かに強い正義感を持っているルハナは根っからの騎士と呼べるような男である。狩人になってから一年近くになるのに、口調はおろか、仕事態度すら依然騎士のままで、ケラ含めルハナの狩人仲間は彼の前職を知ると皆口を揃えて、やっぱり、と言う。対してルハナは特にそれにより困る事は無いと、騎士の様だと言われても別段何とも思わない。だがスバキの予想は正確ではないと訂正する。


「元騎士だ。ホーネット帝国の」

「なら優秀だ。分隊長でもやってたのかな?」

「小隊長だった」

「その歳で?」

「当時は十八だった」

「へぇ、それは凄い!」


 スバキは純然たる感嘆の声を上げた。口調を崩してから彼女は輪にかけて饒舌になったようだ。コロコロ笑いながら、実に楽しそうに喋る。つられて通常なら言葉少なめのルハナもするすると言葉が出てくる。


 ルハナが居たというホーネット帝国は、ここローカストの国の西に位置する国である。かの国では騎士という称号はホーネット帝国軍の精鋭を集めた第一師団にのみ与えられる。その猛者達の小隊を率いる長を齢十八で務めたとあらば、剣の才も頭脳も、勿論家柄も、秀逸を極めていた事だろう。


 スバキはならばと再び話の論点を最初に戻した。


「でもそうなら、尚更騎士君を一人で戦わせる訳にはいかないかな。見たところ蒼の魔導を少し使えるみたいだけど、遠距離の攻撃手段はほぼ無いようだし。そもそも戦うつもりが無いなら、私だってドラゴンなんか挑発しないよ」


 どこかの命知らずじゃないんだからさと鼻で笑いながら、単調な作業のように雄のドラゴン目掛けて玉を放る。


 彼女の言っていることが的を射ているのはルハナが誰よりも理解していた。確かに彼は蒼の魔導においては初等のものしか扱えず、遠距離からの攻撃は現時点では紅の魔導に頼るしかない。


 しかし相手はドラゴン。それも同じく紅の魔導を操る二頭。お互いに魔導の撃ち合いとなれば、先に魔力が枯渇するのは保有量の少ない人間であるルハナの方だ。故に彼は言葉を詰まらせた。


 差し伸べられている彼女の手を取っても良いのか。ルハナは胸の内で激しく葛藤する。スバキはそんなルハナの様子を暫し見守り、最後の一押しと言わんばかりに訊いた。


「正直者の騎士君に単刀直入に尋ねよう。私は邪魔かい?」


 すぐさまルハナから強い否定の言葉が飛ぶ。


「まさか! スバキ殿の腕も知識も確かで、少なくとも三級以上の実力をお持ちだと私は見ています。貴殿が居たからこそ、」

「なら迷う事なんてないでしょ」


 スバキはルハナの言葉に被せて、言い切った。不遜なまでの台詞である。それでも確かにルハナの中での本日何度目かの逡巡は、二人で戦う選択の方に傾きつつあった。そもそも彼が彼女の申し出を断ったとしても勝手に参戦するのではないかと気付き始めたのも一つの要因だろう。


 溜め息がルハナの口から漏れる。それは悩みからのものではなく、諦めからきたものらしい。立て続けにスバキに幾つかの確認をする。


「防御に利く装備は身に着けているのか?」

「いや全く? でも攻撃さえ受けなければ大丈夫」

「倒す手立てはあるのか?」

「一頭相手なら、まぁ、無くは無いかなぁ……?」


 訊いた事自体後悔しそうな、不安を一切払拭できぬ、何とも煮詰まらない答えである。だがここで倒せると豪語されたとしても、用心深いルハナが信じたかどうかは分からない。少なくとも彼の二度目の溜め息は間違いなく呆れから出たものだろうと思われた。


 溜め息と共にルハナは迷いも吐き出したのか、彼の表情には決意が現れていた。肚を括ったのだろう。


 自身の首から首飾りにしては簡素な革紐で結わかれている魔結晶を外した。陣が直接結晶に閉じ込める様に彫られているそれは、高価なお守りである。王族が持つような致命傷になり得る攻撃から難無く命を守る最高級品ではないものの、軽傷程度に留める事ができる良質なものだ。一度きりしか使えないお守りでは気休め程度にしかならないかもしれないが、それでも防御の魔導の装備を他に身に着けていないスバキには無いよりマシと言えた。


 ルハナはスバキが雌のドラゴンを牽制した後に、首にかけておけという言葉と共に革紐ごと彼女に渡した。しかし握らされたスバキは手の中の物が何か分かった途端、驚愕の声を上げ、慌てた様子でお守りをルハナに突き返す。


「え! いいよこんな高価なもの、」


 要らないと続けようとしたスバキは言葉を飲み込んだ。あまりにも真剣な視線でルハナが彼女を射抜いていたからだ。目と同じく真摯な声色で彼は告げる。


「必ず、貴殿の手で返してくれ」


 その静かな歎願たんがんに耐え切れず、先に目線を外したのはスバキの方だった。棒を振り回し、続けざまに両端の魔石をドラゴン目掛けて投げる。二つの球体が手元に戻る前に穏やかな声で彼女は尋ねた。


「……死に急ぐなって言いたいの?」


 ルハナは否定も肯定もしない。ただスバキに注いでいた力強い目線を外し、ドラゴンの方を見やる。くすりとスバキが笑いを漏らす。


「別にそういうつもりは無かったんだけど。まぁ、じゃぁ有難く」


 まるで噛みしめる様に零された言葉だった。事実として、スバキには自殺願望があった訳でも、命を捨てる気であった訳でも無かった。だが、万全を期して物事に挑む癖のあるルハナの目には、彼女の言動はそう映ったのかもしれない。


 革紐を首にかけながら、スバキは柔らかく笑った。優しいなぁ、騎士君はと無口なルハナに構わず言葉を重ねるスバキは、照れているようにも見える。その照れを吹き飛ばす為か、スバキは明るい声でルハナに冗談めかした頼みをしてみた。


「そうだ、試験官ドノ。ドラゴン相手に戦ったって事で私の昇級、少しおまけしてくださいよ」


 ドラゴン討伐など二級狩人への昇格試験の内容だ。倒すまで行かなくとも単独で一頭追い払えれば、三級以上の実力である事は明白である。本日の四級への昇格試験は中止となったとしても、組合はスバキの今回の活躍を考慮し、昇格を検討する事だろう。少なくとも、九級狩人ではなくなると予想された。しかしルハナはスバキの冗談に真正面から、そして至って真面目に答える。


「非常事態ではあるが、試験官の私が現時点で受験者である貴殿の昇級について軽々しく口にすることはできない。だが貴殿の能力に相応しい階級が与えられるよう、尽力すると約束しよう」


 ルハナのお堅い返事がスバキの笑いのツボに嵌ったのか、彼女は思わず吹き出し、ケラケラと笑いながら、軽い調子で言った。


「じゃ、まぁ。死なない程度に頑張りますか」


 二人の周りの風景はいつの間にか木々が無くなっており、頭上を飛ぶドラゴン二頭の姿ははっきり見える程視界は開けていた。

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