第10話 ドラゴンは挑発することなかれ

 ドラゴンの生態を調べる研究者の間で、果たしてドラゴンは人間の発する言葉を理解するのかというのは長年議論の的である。というのも専門家の間では意見は二分しているのだ。中にはドラゴンの知能の高さはモンスターの中でも一、二を争うものであり、それ故人語を理解すると断言する研究者もいる。一方で言葉自体は理解していないものの、相手の声色や表情、また魔力から情報を得て、意味を汲み取っているのだと主張する研究者もいる。そんな意見がいつまでも平行線を辿る彼らの争論は、一つの覆しようのない観測から成っている。


 ドラゴンは挑発すると激昂する。


 そしてその通りに二頭のドラゴンはスバキの発した「トカゲ」という単語に、或いは彼女の舐め切った態度に対し、今までにない大音量に吠え猛び、空気を地面を木々を、全てを震撼させた。聞く者を骨から戦慄させるような鳴き声にブラゼ達は腰を抜かし、ケラとルハナは思わず耳を塞ぎ、一部の炎は消し飛んだ。まるで恐怖から巣穴に引っ込む、ミルクラビットのような勢いで。


 鳴き終えた雄は空から再び紅の魔導を繰り出すつもりなのか、口をがばりと大きく開いた。雌も目の前のルハナより挑発したスバキに怒り心頭の様子で、翼をゆったりと広げる。恐らく雄と共に戦う気なのだろう。


 スバキに釘付けな二頭を前に、ルハナは決心した。原理は理解し切っていないが、スバキには遠距離からの攻撃手段があるようだ。彼女が北の草原を目指せば、きっとドラゴンは二頭とも追って来る。開けた場所に着いたら改めてドラゴン達を挑発やら攻撃やらすれば、標的は自分に移るだろうとルハナは考えた。


 赤茶色のドラゴンは開き切った翼を大きく振り下ろし、同時に後ろ脚で力強く地面を蹴る。そのまま数回翼を羽ばたけば、雌のドラゴンの長い尻尾すら地面に付かぬ程の高さまで上昇していた。風圧で運良く周りの炎も殆んど収まり、残り火はケラ一人でも対処できるまで落ち着いたように見られる。ルハナがこの場を離れても問題ないだろう。


 スバキは自身の武器である、両端に魔石のついた背丈以上もある長い棒を片手で再び回し始めた。彼女の視線の先には、頭上の火を吹こうと大きな口を彼女に向けて開いているドラゴン。ひゅんひゅんと風を切りながら回転させている棒にもう片方の手を添えたかと思うと、棒を大きく下から上へと振り上げる。まるで袈裟懸けに振り下ろす一撃の逆再生だ。


 先の玉は、遠心力に耐えられなかったのように、棒先から離れ、凄まじい勢いで黒いドラゴン目掛けて飛んでいった。棒から魔石が離れたと思ったら、次の瞬間、ドラゴンの下顎に命中していたと思わせる程の速度。その玉の軌道はやはり何か仕掛けがあるかのようで一直線ではない。ドラゴンの胸辺りに向かっていた玉は、当たる寸前に浮き上がりドラゴンの喉元に潜り込んだのだから。


 強制的に口を閉ざされたドラゴンはその掬い上げるような一撃で軽く脳を揺さぶられたのか、空中でふらついている。ぶるぶると二、三度首を振れば、平衡感覚を徐々に取り戻していき、赤茶色の雌と落ち合った頃にはよろめいてはいなかった。先程よりも怒っている様子ではあったが。


 スバキはドラゴンが二頭揃ったところで、彼女の位置から最も近い、広場の北側の木々に紛れる。ルハナの予想通り、ドラゴン達は空から彼女を追って行く。追い駆けようとしたルハナも走り出すが、ケラの大声に一旦足を止める。


「これを、これを使ってください!」


 ケラは駆け寄りながら、ルハナに向かって何かを投げた。受け取ったルハナはすぐにそれが何かを理解し、礼を述べながら足に装着した。


 紅と蒼の魔導を組み込んだゲートルだ。紅の魔導による瞬発力と、蒼の魔導の回転力により、常人離れした俊敏さと持久力を可能としてくれる。間違いなくルハナの助けとなるだろう。


 ルハナは新たな装備の着け心地を確認する手間も惜しむように、走り出す。あっという間に広場を駆け抜け、スバキの消えていった木々の間を縫って、走っていく。ケラはその姿を何も言わずに見送った。だがルハナの後ろ姿が見えなくなった途端、ケラは自分の中で緊張の糸が切れるのを感じた。急に軽くなった空気に自身の体が浮いているような感覚の中、ケラは笑う膝を叱咤して、燃え残った火の消火にあたる。ドラゴンの咆哮と羽ばたきの風圧で大半の炎が消えたのは、不幸中の幸いであった。


 ふと先程の光景をケラは思い出す。上級狩人の肩書に恥じぬ戦いぶりを見せたルハナ。雌のドラゴン一頭相手に彼は優勢であるように見えた。しかし番のドラゴンの乱入で戦況は逆転。ケラ自身、あの時はドラゴンを倒すことではなく、生き残る手立てだけ考えていた。


 そんな状況下、強力な打撃を遠隔から放ってみせたスバキという女は、その得体の知れなさと相まって実に鮮烈な印象をケラの中に残した。わずか一年足らずで上級狩人まで昇格したルハナは異例である事に間違いはない。スバキにもそんなルハナと通ずる強さをあるのではないかとケラはふと感じていた。彼女が上級狩人として名を馳せるのは、そう遠い未来の話ではないかもしれないと思う程に。


 しかしすぐにその考えには暗い影は差す。飽くまでも今回の戦いでスバキが命を落とさなければの話であるのだ。そしてそれは、ケラが狩人として信頼を寄せるルハナとて例外ではない。未来は生者の特権だ。


 脳裏を掠めた最悪の事態を振り払うように、ケラは一心不乱に残り火を消していく。ふと、炎を前にケラは手が止まる。ドラゴンが広場に現れる前に、ヘルハウンドが急に暴れ出した事を思い返していた。怯えた様子で北の空を見ていた為、つられてその視線の先を追うと、小さくも広場に一直線に向かっているドラゴンの姿が見えたのだ。慌ててブラゼ達に隠れる様に指示し、割符を吹いた。その時確かにモンスター除けの香と共に、モンスター寄せの香りがケラの鼻腔を抜けたのだ。


 しかしケラが最後に焚火の中に投げ込んだものは間違いなくモンスター除けの香であったし、ケラが火の番をしている中、他の受験者が異物を投げ入れるのは難しいと考えていた。では一体誰が、いつ、そして何故そんなものを火にくべたのか。


 パチッと目の前の火が弾け、同時にケラも思考の世界から現実に舞い戻る。兎に角今は消火に専念しようと、彼は再び忙しなく動き出した。心からルハナ達の無事を祈りながら。

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