第2話 いきさつ



そもそも私が輸入雑貨店を経営することになったいきさつを、少し詳しく書くと、これが少々意外なきっかけからだった。


その頃私は町工場の倉庫で働いていたのだが、そこに、中国の遼寧省というところから日本に留学に来ていた張さんという30歳くらいの人が、一緒に働いていた。


私と同じ年頃だったこともあって、私たちは妙に気が合って、よく昼休みなどに話をすることが多かった。

その張さんの口癖が、

「日本人はよく分からない。顔でニコニコしていて、実は心を閉ざし、計算高い」

というものだった。また、

「日本人はなぜこんなに働くのか。風邪で苦しくても、家族を犠牲にしても働く。それは、私には分からない」

などとよく言っていた。

ところがある日、昼食が終わって、薄暗い倉庫でくたっと座り込んでいる私に、彼はこう言うのだった。

「浅井さん、あなたは本当に分かりやすい」

「?」

「顔でへらへらして、心もへらへらして、表と裏がない」

「はあ、そうですか。えへへ」

「風邪をひいてなくても風邪をひいたと言って休む。会社の帰りにあまり飲みにもいかないでしょ。なによりも家族を大事にしているみたいだ。私たち中国人とおなじだ」

「はあ・・・そうですか・・・」

「浅井さん、私はもうすぐ中国に帰るよ。だから、浅井さん、私とビジネスやるか?」

「ビ、ビジネスというと・・・」

「中国には昔から伝統的な技術いっぱいあるよ。手織りの絨毯、汕頭のような刺繍、中国人大雑把だけど、実は技術すごく細かいよ」

「ええ、それはまあ、そうですね」

張さんは私の隣に腰をおろすと、私に顔を近づけ、小声でこう言った。

「浅井さん、私の兄はね、ある大手企業の副社長になりましたよ。だから帰国したら、私もその会社で働く。その会社、色々貿易やってる。手織りの絨毯、シルクもウールもやってるよ。あなた、デパート行って見てごらん、中国の絨毯、これ、段通と言いますけど、すごい値段で売ってるよ。私、あなたに中国から安い値段でそれ送る。あなた、日本でどこよりも安い値段でそれを売る。どうですか?」

「はあ、まあ、何というか・・・」

「あなた、迷う必要ないよ。こんな話、絶対ない。中国に帰ったら、私、とにかく何枚か選んであなたに送るよ」

「はあ、はい」


私は、だいたいビジネスなどと言っても何も分かってやしなかった。もちろん今も分かっていない。ただ、風にあおられる風船みたいにふわふわと受け答えしていたのだが、やがて張さんは中国に帰り、それからひと月ほどして突然中国から、私の働いている倉庫にファックスが届いたのだ。


 浅井さん

ウールの段通、600平方フィート送ります。

1平方フィートあたり6ドルでいいです。

雑貨も色々入れておきます。

お金は都合がついてからでいいです。成功を祈ります。

            張雲峰


私は、何だか釈然としないけど、金儲けの話が舞い込んだことだけは確からしいと思い、家に帰って妻に相談してみた。

しかし、妻は私にビジネスの才覚などないと思ったのか、やはり慎重だった。

「その張さんという人、本当に信用できるのかしら」

「それは間違いない。僕は彼を信用してる」

「でもあなた、その段通、とかいうものや雑貨を輸入して、どうやって売るつもりなの?」

「色々考えたんだけどね、本当は百貨店とか家具店に卸せれば1番いいんだろうけど、こちらは何の信用もないからそれは無理だろうし、いっそ直輸入を武器に、どこよりも安く売る店をやろうと思うんだ」

「店って、店やるの相当お金かかるんでしょ?」

「なに、心配いらないよ。安くあげるようにすれば何とかなるさ。それよりも、こんなチャンスを逃す方がもっないないよ」

「まあ、いいわ。あなたがやりたければ自分で決めて」


こう言ってもらって嬉しかった、というと実はそうではなく、私は今まで何をやっても人並み以上にやれたためしがなかったので、今度も実は内心「やめなさい!」って言ってくれよーっという気持ちがなかったわけでもなく、今思うと、この弱気な志しがそもそもいけなかったのだろうが、逆にこれで会社を辞める大義名分ができたという、これまた安易な気持ちもあって、とりあえず自宅にファックスを買い、安く借りられる店を探し、たまたま保証金のいらない、敷金、礼金だけで借りられる店舗があったので、そこを契約することになった。安く借りられる分、人通りが少ないのは仕方がない、なに、安いと分かれば人も集まってくるさ、などと軽く考えて、とても人の良さそうな大家さんに菓子折りを持って挨拶に行ったあと、すぐに内装業者を手配したのだった。

                   (つづく)

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