第43話  その手を離さない

 色々な事が次々と起こった一年だった。再び高校へ入りやり直そうと決心し、野乃香と再会した。親父と離れ離れになり一人暮らしをして、そこへ彼女が来て同居することになり、夢のような日々が続くと喜んでいたのも束の間、親父の代わりに面倒を見てくれた叔父が事故に会った。会社を引き継いでくれとまで言われ、困惑の日々が続いた。男に振り回されては、野乃香の生活に波風を立て続けていた母親も、ようやく落ち着きを取り戻した。


 いつの日かそんな日々を、笑って語り合える日が来るのだろうか。


 目の前にいる野乃香はあっけらかんとした表情で微笑んでいる。その笑顔にどれだけ救われた事かわからない。


「あのさ……野乃香……」

「な~に?」

「何でもない……」

「どうしたの?」

「別に……」

「変なの……」


 まあ、俺たちは変なカップルだよな。野乃香は小学生、俺は中学生の時に出会ったんだから。そんな偶然の出会いから、何年もたった。野乃香は高校一年生、俺も高校一年生。十八歳だけど……。俺の最高の同級生だ。そして、彼女だ……といえる。


「あそこまで競争だ!」

「うんっ、負けないっ! 私のが若いんだから、ねっ!」

「何だよ、生意気だな。よ~い、スタート!」


 俺たちは、向こうの小高い丘を目指して走りだした。こんもりと盛り土がしてあり、周囲には木々が植えられている。思いきり地面をけり丘を目指す。

 リュックを背負って必至の形相で追いかけてくる野乃香は、髪を後ろ束ね、それが左右にゆらゆら揺れている。後ろを見るとその姿に思わず笑ってしまう。


「凄い顔して走ってるな」

「うん。負けないよお!」

「よ~し、本気出すからなあ」


 俺はその顔を見ると、更にスピードを上げる。再び振り向くと、今度は泣きべそをかきそうな表情で、やはり必死になって走ってくる。


 可哀そうかな……。少しだけ手加減すると、距離が縮まった。


「わお~~、もう少しで追いつける」

「頑張れ、野乃香!」


 そう励ましながらも、俺は逃げ切る。


「やった~っ。俺の勝ち~~!」

「あ~ん、もう。来夢君、私を相手に本気出したの?」

「当たり前だろ。競争なんだから」

「年上なんだから、少しは手加減してくれるかと思ったのにい」


 今度は、すり手で甘えてくる。何をやっても、そのしぐさは愛らしく、憎めない。


 芝生の上に二人で寝転ぶ。大きな木の下から見上げる光景は綺麗だった。冬の間丸裸だった木々の枝には小さな葉が付き、透明な葉の先には高く澄み切った空が見える。太陽の陽ざしがその隙間から降り注ぐ。

 体を大の字にして、手を繋ぐ。


「いい風だな」

「う~ん、まだ冷たいけど」

「野乃香の手って、思ったより小さいね」

「あ~ん、そうなんだよね。残念だけど」


 俺は心の中で、そっと囁く。いつまでも手を離さないでね、と。これからも、何かありそうな予感がするが、それほど嫌な事ばかりじゃないような気もする。一緒にいるせいかな。だったらいいけど。


 目をつぶってみる。光が瞼を通してゆらゆらと揺れている。風が頬を撫で、時折さらさらと葉がこすれ合う音が聞こえる。ふ~っ、いい気持ちだあ。暫くこうしていてもいいなあ。


―――んっ? 


 何だこの感触は、風邪にしては、リアルすぎるし、鳥の仕業でもないし、葉っぱが落ちてきたわけでもないっ! まさか、鳥の糞じゃないよなあ。


―――んっ?


「野乃香さん、今……何かしたでしょ?」

「さあね……気のせいでしょ」

「絶対、俺に何かした!」

「さあ、カラスじゃないの」

「カラスのフン?」

「そんなわけないでしょ」


 唇に手を触れると湿っているが、フンではなさそうだ。


「カラスのくちばしかな?」

「唇にしては、固くないぞっ」

「風のせいでしょ」


 今のは絶対に野乃香の唇の感触だ。分かっていたが、俺は澄まして手を握ったままにしていた。ほんの少しの間だ。俺は野乃香と一緒にいられる時間を楽しむことにした。


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気がつけば年下の同級生がいつの間にか俺になついていました 東雲まいか @anzu-ice

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