第29話 叔父の思いがけない提案

 それから数週間が過ぎ、叔父の怪我は順調に回復していった。それに伴い、リハビリが始められた。どうにかして歩きたい一心で、叔父は毎日必死に立ち上がる練習した。


 その甲斐あってか、ようやく立ち上がることができるようになり、次に歩行訓練が始められた。汗をかきながら痛みと戦いながら歩くことが、毎日の日課になっていた。何の苦労もなく毎日歩ける事が、これ程有難いことだとは日頃は全く自覚していなかった。


 額に汗を浮かべてバーにつかまり、一歩一歩必死の形相で足を動かす姿は痛々しかった。思わず手を差し伸べそうになったが、強い意志でそれを拒んだ。


「叔父さん、流石です。信じられないぐらい回復しました! あと一息です」

「……うう、やっとこれだけ歩けた。情けないよな……」


 ベッドに縛り付けられた状態から比べたら、今はかなり良い状態と言えた。しかし、精力的に現場を歩き回り、作業員たちに指示を出したり、率先して動いていたころから比べれば、今の姿を嘆く気持ちはよくわかった。一しきりリハビリを終えた叔父と共に、病院の談話室へ行った。平日の昼間ということもあり、見舞客は少なく、もう一組が部屋の隅にいただけだった。彼等とは距離を置おて座り、自販機で温かい缶コーヒーを買ってきてテーブルに置いた。


「ありがとう、来夢。今日は、バイトは……」

「休みです」

「じゃあ、時間はあるな」


 すっかり疲れ切った叔父は、汗を拭きながら缶コーヒーを一口飲み、ふ~っとため息をついて、俺の顔を見て言った。


「この足は元には戻らないようだ」

「えっ」


 俺は虚を突かれて、叔父の顔を見た。ガラス窓に、呆けたような顔が見えた。空にはどんよりとした雲が立ち込め、街の景色は灰色にくすんでいた。


「そんなことは、ありませんよっ! 今だって、こん何頑張ってリハビリをやってきて、どんどん回復してるじゃないですか! 初めのころに比べれば、凄い進歩です! あんなに回復してきたのに、何をいってるんですか!」

「俺にはわかるんだ。どこまで回復して、その後どれだけ動けるようになるのかが。以前のように動けるようにならないだろう」

「そんなっ! 悲観的なことを言わないでください!」


 俺まで、心がくじけそうになってしまう。


「自分の体の事は自分が一番よくわかるよ」

「そんな……叔父さん」


 その言葉は、一緒にいて救えなかった俺の心に突き刺さった。


「それでな、お前にお願いがあるんだ」

「何でしょうか? 俺にできることがあれば、何でもします!」

「会社の事なんだが……」


 缶コーヒーを飲み再び俺の顔をじっと見詰め唇をなめてから、叔父は意を決して言った。


「いずれお前に任せようと思うんだ」

「……へっ、俺なんかに!」

「ああ、お前だからこそ任せたいんだ」

「アルバイトで、見習みたいなことしかやっていない俺に……」

「嫌か?」

「嫌とか嫌じゃないとかっていう問題ではありません!……こんな俺に、そんな重要な仕事、とても務まりません!」

「そう答えると思ったよ。今すぐとは言わない、考えておいてくれ」


―――こんな状態で弱気になっているだけだ。


―――体が元通りになれば今日の話なんか、いずれ忘れてしまうだろう。


―――一時の気の迷いで言っているだけだ。


 俺は、そう自分の気持ちを納得させようとした。しかし、一時の気の迷いで、こんな重要なことを提案するような叔父ではないこともわかっていた。


「真剣に考えてみます。少しだけ、時間を下さい」


 そう答えるしかなかった。頼りになる社員もいたが、いざとなったらすべての責任を引き受けてくれる人物が必要だ。親父の兄弟の子供である俺に跡を継いでもらいたいというのはよくわかる。


「さあ、もう部屋に戻ろうか。お前もこれから学校があるんだろう?」

「そんなこと気にしないでください、一日ぐらい休んだって……」

「いや、行ってこい」


 叔父は、車椅子を器用に操りながら部屋へ戻って行った。




 家へ帰って、すぐにその話を野乃香にしてみた。誰かに相談せずにはいられなかった。年下で、しかも仕事の事は全く知らない彼女に話しても、適切なアドバイスが受けられるかどうかはわからない。それでも彼女には話す必要がある。


 その話をすると、予期せぬ答えが返ってきた。


「凄いことだね、期待されてるってことじゃない。引き受けない手はないよ」

「本当に、そう思ってる? これから何が起こるかわからないし、仕事には危険も伴う。第一、うまく経営できるか全く自信がない」

「だからこそやってみる価値があるんじゃないの。勇気を出して!」


 俺はじっと考え込み、言葉を発することが出来なくなった。彼女の性格からして、先の見えないことには反対すると思っていたのだ。彼女は、未知の事に対してはいつも慎重に一歩一歩進んでいくタイプだからだ。そうだと思っていたのは俺だけなのか。


「会社を任されるって、すっごい重大なことなんだよ、野乃香。可哀そうだからとか、やる人がいないとか、そんなことで引き受けていいはずがない」

「……あ、ああ、そうだったわね。あたしの返事、軽率だったかな」

「そう言うわけじゃないけどさ」


 俺が思ってたのと違う答えだから驚いたんだ。引き受けるかどうかは別として、叔父さんの傍にいて何か自分のできることをしていたい。そうしていないと、辛い。


「暫くは、出来るだけ、叔父の傍について、手伝いをすることにする」

「そうね。そうしてあげてね」

「お見舞いにも、頻繁に行くことにするよ」

「あたしは、できる限り来夢のサポートをするから、安心して!」


 何も知らずに勇気付けようとしている野乃香の言葉を聞き、少しだけ勇気が湧いてきた。

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