第17話 デートは港で
そしてやって来た週末。俺たちは、桜木町駅で待ち合わせて港の方へ向かって歩いた。
「わあ、今日は思いっきりおしゃれしてきました!」
「ふ~ん、それが……」
―――お洒落なのか……。
野乃香は太めのプリーツの入った黒のミニスカートに、水色のトレーナーを着ている。学校で会う時よりは、お洒落をしているようには見える。俺があまり喜んでいないのを見てとると、不服そうに口を尖らせた。
「ダメかなあ」
「まあ、いいんじゃないの」
ダメ出しをしても仕方ないし、それならもっといい服を買って欲しいと言われても、そんなお金はない。
「まあ、野乃香の場合は中身で勝負したら」
「そうなのね」
港の方へ向かい大岡川を渡る。汽車道は左右が川に囲まれているため、まるで海の上を歩いているような不思議な感覚に陥る。野乃香の手が俺の腕に触れた。軽く腕を握っている。
―――自分から手を触れるなんて、相当恥ずかしいことなのでは。
―――今日は、デートモードだ。
左右が水面なので、視界が開けて開放的な気持ちになる。腕を伸ばしたくなってきたので、グイッと上に持ち上げてみた。
「おお~~、気持ちがいいな」
「あたしもやってみる」
立ち止まって伸びをする。広々して、深呼吸したくなる。左手にビル、突き当りには公園が見える。その先には赤レンガ倉庫があり、絶好の散歩スポットだ。
「ここへ来てみたかったの。ずっと前から……」
「まさか、初めてきたの?」
「その通りなの。恥ずかしいね」
「恥ずかしいことでもないけど。近くにあっても、意外と行ったことがない所ってあるものだよ。俺も野球場には行ったことがない。ひょっとして、中華街にも行ったことがないでしょ?」
「その通りで~す!」
わざとおどけて答える。今日も遠足のようなものか。デートに誘われたのかと思って、内心ドキドキしていたのだが。
「あちこち連れまわしちゃってごめん。本当はいろいろやることがあるんでしょ。バイトもいつも忙しいし」
「まあね。勉強頑張って、大学に行こうと思ってるんだ。働きながら」
「来夢はダントツに勉強できるもんね。私に振り回されて嫌だったらいってね」
「別に、嫌じゃないから」
確かに俺の生活の中にだいぶ入り込んでは来ているが、その時間は鬱陶しいものではなかった。それに気晴らしをするのも楽しい。本当に嫌なら、きっぱりと断っている。俺はそれほど優柔不断ではない。そこは自信がある。
今日は随分しおらしいことをいっているし、自分から積極的に近寄ってくる。何を企んでいるのかな。ちょっと様子を見ていよう。公園に出たところで、野乃香が俺の肩手を引っ張った。
「あのベンチに座ろう」
―――もう休憩するのか、早いなあ。
だが、言われた通りに座った。俺の目の前に立ちふさがってバッグを押さえている。何か隠しているようだが。
「目をつぶって!」
「こう?」
「そのまま、ちょっと待って」
―――何が起こるんだろう。
言われた通りにしていると、なぜか試されているような気分になる。
じっと目を閉じていると、ふわっと風が吹いたような気がして、首元に何かが乗った。それは、ふんわりして首元を包み込むように暖かかった。
「まだ、目を明けちゃダメなの?」
「もうちょっとだけ、つむっていて……」
すると首筋の暖かさに加えて、ほっぺたに吸いつくような感覚があった。ぴたりとして、ちょっと生暖かい。まさか変なものをくっつけたんじゃ。スライムか? 眼は固く閉じたままだ。
「目を開けて……」
「うん」
ふわふわとした感触が、手に優しかった。首元には、マフラーが巻かれていた。そんな予感はしていたが、頬に触れたものは何だったんだろうか。
「プレゼントね。いつもお世話になってるから」
「お礼ってことか。で、ほっぺたがあったかかったのは、なぜ?」
すると、もじもじして後ろを向いたり、振り返ってこちらを見たり、怪しげに目の前をぐるぐる回っている。
「何かしたでしょ? 何をしたの?」
すると、野乃香の人差し指が俺の口元にそっと当てられた。秘密ということらしいが、もう少し追及してみようか。
「まさか、キスなんかしてないよね。目をつぶっている間に、そんなことするなんて、卑怯だもんな」
「め、め、めっ、滅相もない。そんな卑怯なことはしませんっ」
「そうだよね。秘密でするなんて」
「そうよ」
マフラーをぐるりと首に巻いて、立ち上がる。触ってみると、網目がポコポコしている。手編みのマフラーだ。ということは、知らぬ間に編んでくれたのだ。
「これ手編みのマフラーだね。編んでくれたんだ。ありがとう」
「あんまり上手に出来てないかもしれない。恥ずかしかったら、使わなくてもいいけど」
「いや、上手だと思うよ。これから使うね。寒くなってくるし」
触ってみると、いい具合にふんわりと空気を含む様に編まれている。
「なかなかやるね」
自然に手が野乃香の頭に伸び、撫でていた。公園を歩いて行くと、赤レンガ倉庫が見えてきた。周囲には思ったほど人がいなかった。海と空の青と倉庫の赤い色のコントラストが美しい。煉瓦の所々が茶色く変色しているのも、郷愁をそそる。
「いいなあ。こんなところへ、誰かと来てみたかったんだ」
「誰かとねえ。俺でよかった?」
「……それはもう、最高です」
「よ~し」
俺はふざけて彼女と肩を組む。彼女も手を思いきり延ばして、俺の背中に回す。
「港に来られてよかったね。初めて着た感想は?」
「広々していいね。川や海が見えて、気持ちが広くなりそう」
一部屋だけのアパートも安心感があっていいが、広い屋外も開放感があり、気持ちが晴ればれする。
「いつか海の向こうに行ってみたいなと思ってたんだ」
「海の向こうの国だって、行ってみれば大変かもしれない。遠いいから、見えないところだから、いい場所ってわけじゃない」
「もう、私の夢を砕かないでしょ。夢がないなあ、来夢は」
「そうかなあ。現実的なんだ」
「未知の世界にあこがれる気持ちって、あるじゃない」
「まあな。海の向こう側でも、同じようなことを考えている人がいるかもしれないけどね」
二人でぼおっと海を眺めていた。
「手が冷たくなってきた」
俺のコートのポケットの中に、野乃香の手が入って来た。俺もポケットに手を突っ込んで、野乃香の手を掴んだ。ポケットの中で、お互いの指と指が絡み合った。ポケットの中は、ぽかぽかと暖かくなってきた。倉庫の一番奥に幸せの鐘というものがあった。
「幸せの鐘がある……」
「幸せの鐘かあ……。俺にとっての幸せは、まだまだ努力してその先にあるような気がする」
「幸せになるのは……大変だよね」
今の生活は、幸せとは程遠い。まだまだ、やらなければならないことが沢山ある。ありすぎて、どこからやって行けばいいのか時々わからなくなる。同じぐらいの年齢の人が、幸せそうに歩いているのが信じられなくなる。
だけど、今日は少し幸せに近づいたのかな、と思えていた。帰りは手を繋いで歩いた。マフラーの暖かさが体中を満たしてくれた。
楽しい気持ちで歩いていると、ちらちらとこちらを見る人影に気付いた。
―――誰だ、あいつ。
―――俺たちを尾行しているのか?
そんなことはないだろう。俺たちを付けなければならない理由などないはずだ。俺は野乃香の手を引っ張り、歩みを速めた。それでも、その人影は同じように歩調を速めた。
―――完全に付けられている!
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