第34話 不審者の正体

「ま、待てッ!!」


 俺は逃げる不審者を追いかける。距離はそんなに離れていない。


 今なら捕まえられる!!

 

 不審者の小柄な背に向かって手を伸ばす。奴の肩を掴もうとした瞬間だった。


 空を切る俺の手。


 えっ!? わわっ!? 


 俺はなんとか転倒しそうになるのをこらえた。何故かって? 急に不審者がしゃがんだからだ。


「ワフッ」


 不満げな鳴き声が聞こえたと同時に、不審者が立ち上がった。胸にはダックスフンドを抱えている。こいつ、もしかして……!? あっ、やばい! また走りだそうとしてる!?

 

 もう逃すわけにはいかない!!


 俺はもう一度手を伸ばして、やつの肩を掴んだ。華奢な体格だと感じた。女性らしい感じといえばいいのだろうか。

 半ば強引にこっちに引っ張ると、不審者は勢いよくこっちに振り返った。と同時に、やつの被っていた帽子が勢いよくとれる。

 帽子の中にまとめていた髪が一気に放たれた。柳の葉のように揺れる、淡いブロンド色の綺麗な髪。見覚えがあった。そう、今朝あったあの、


「ワンッ!」

「ジジジジジッ!」

「ななっ!? う、うわっ!?」


 

 突然、不審者が抱えていたダックスフンドが暴れ出した。口にくわえていたセミが放たれ、勢いよく飛び去り、俺はつい焦った。さらに今度は犬も勢いよく飛びついてきた。


「ワフッ!」

「うおっ!?」


 楽しげな唸り声とともに、俺の顔にダイブ。柔らかな毛並みの感触がくすぐったい。って、バ、バランスが!? 

 俺はよろけてしまい、仰向けにこけた。視界は狭い。ダックスフンドが顔に貼り付いてる。

ど、どいてくれ!


「ワフッ、ワフッ♪」

「ちょっ!? わぷっ!? 顔舐めすぎだっ!」


 人懐っこい犬だ。というか、朝もこんな目に合ってたんだが!? きっとこの犬だ! 確か名前は、


「「ココア!」」


 俺の声が、元気な女子の声と重なる。同じ名前を口にした!

 

 俺の顔にまとわりつくココアを無理やり横にずらす。わずかにひらけた視界で捕らえたのは、肩までかかった淡いブロンド色の髪をなびかせた不審者だった。まだ、目元はサングラス、口元はマスクで覆われていて表情はうかがえない。でも、焦っているのはすごくわかった。だからなんだろう、素の彼女が言葉に出た。


「うちのココア返して!」 


 関西弁なまり!


 俺のなかで答えがはっきりと出た。今目の前にいるこの不審者は、今朝会った関西弁の女子だっ!


 彼女の細身の両腕が俺に伸びてきた。ココアを掴み俺から引きはがした。名残惜しそうに見つめるココアの瞳。そして、不審者がココアを胸に抱えまた俺から逃げようとしている。俺は今、仰向けに倒れていて、体勢がすぐに立て直せない。逃がすわけにはいかなかった。この不審者の正体を掴んだんだ!


 俺は上半身を慌てておこし、片手を勢いよく伸ばした。


「ちょ、ちょっと!?」


 俺は彼女の腕をしっかり掴んだ。絶対離さない! 聞きたい事が沢山あるんだこっちは!


「も、もう! こ、この!! は、離してっ!!」


 彼女が体を大きく左右にゆすり、俺の手を引き離そうと必死になる。や、やばい! あ、あんまり暴れるなっ!! こ、この!!


 俺は動きを止めようとめいいっぱい力を込めた。ただ、止めようとしただけだったのだが、


「きゃっ!?」

「えっ?」


 彼女が、俺の方へ体を寄せてくる。いや、勢いよく、倒れてくる。煌めく淡いブロンド色の艶やかな髪。ふわりと、微かに甘めな香りとともに、俺は彼女を受け止める形で、そのまま、また仰向けに倒れた。自分の胸元に、ほどよい重さがかかったのがわかった。


 自然と彼女を抱えるような形になっていた。


「つっ」


 小さくこぼれる声。目線が声のした方へ吸い寄せられる。


「あっ」


 少し切れ長の瞳に、長めの凛としたまつ毛。キレイで、でもどこか女の子らしい可愛い瞳が、俺のすぐ目の前にあった。


 思わずドキッとしてしまった。な、なんで目があって!? あっ、そ、そうか、サングラスがないのか!? 彼女が転倒したとき外れたか。い、いやそんなことより、ち、近い近い近い!! 


 目の前にいる彼女が、目元をキリッと鋭くした。瞳はどこか潤んでいて。今にも泣きだしそう。な、ななっ!? きゅ、急にどうし―――、


「こ、この変態ッ!! スケベッ!! 変質者!!」

「なっ!? は、はあ!? なんだそれ!?」


 お、俺がなんでそんなこと言われるんだ!?


「は、離せ!! い、いつまで抱き付いてんねんッッ!!」


 あっ、た、確かに!?


 大声で怒鳴られてハッとした。今のこの状況。い、言い訳出来ない。い、いや、待て! こ、これは不可抗力だろ!!


「この! この変態ッ!!」

「ちょ!? い、痛ッ!? 顔叩くな!?」


 彼女が手のひらを俺の両頬に打ち付けてくる。何度も、何度もだ!! 


「や、やめろって!?」


 俺は彼女を思わず押さえつけてしまった。彼女の平手打ちは止めれたが、それはつまり、俺が彼女を両手ごとぎゅっとハグしてる形になっているわけで。


「い、いひゃっ!? へ、変態!! だ、抱き付くなぁぁぁっ!!」

「い、いやいや!? こ、これはそっちが悪いんだろ!?」

「そ、そんなわけあるかい!!!! いやあああああ!! た~す~け~てッ!!」

「ワンッ!♪ ワンッ!♪」

「お、おいっ!? お、落ち着けって!?」


 関西弁の女子は悲鳴を上げ、それにつられダックスフンドのココアは楽し気に吠えまくる。どうおさめればいいか、もう頭がパニックだった。そのとき、


「太一くん!!」


 心配げな大きい声にハッとした。声のした方に振り向くと、加奈がこちらに駆け寄ってくる。俺は助けを求めるように、口を大きく開いた。


「加奈っ!」

「加奈っち!」


 ん? んんっ!? か、加奈っち!?!? って、加奈のこと!? こ、こいつ、加奈のこと知ってるのか!?


 息を弾ませこちらに来た加奈は、目を大きく見開き、驚いた表情で言った。


「えっ!? えっと……、も、もしかして、ゆ、友紀ゆうきちゃん?」

「うぅ……! うんうん! か、加奈っち~!!」


 2人して見つめ合い、なんだかお互い知っている者同士だと確認しあっているみたいだった。え? な、なに? 一体どういう……?

 

 俺が疑問の眼差しを向けると、加奈が慌てて説明する。


「あ、あのね! わ、私と同じ高校の……、と、友達」

「えっ? ええっ!?」


 俺は驚きを隠せなかった。だって俺らのことをストーカーみたいに付きまとっていた不審者が、今朝会った関西弁の女子であり、しかも、実は加奈の友達だって言うんだぞ! 頭がすぐには追い付かなかった。


「加奈っち!! 助けて!! この変態が抱き付いたまま離さないッ~!!」

「お、おい! ジタバタするなって!?」


 友紀という名前の彼女が、俺の胸の中で暴れる。そのたびに、彼女の柔らかでしなやかな体が押し付けられる。さらにブロンド色の髪が、俺の鼻をかすめる。鼻孔をくすぐる甘い香り。気持ちが大きく揺さぶられる。鼓動は大きく鳴りっぱなしだ。も、もう、このままじゃ持たない!! 俺の精神が!! 


 俺は両手の力を抜いた。その瞬間、弾けたように友紀が逃げ出す、加奈の方へと。


 加奈にギュッと抱き付いて、こもった声で訴えた。


「ううっ……!! か、加奈っち!! こ、こいつにへ、変なことされたぁ~!! だ、抱き付かれたよぉ~!! ううぅ……!」


 加奈は、口元を少し歪め、


「あ、あはははっ……、だ、大丈夫! も、もう、大丈夫だから。こ、恐くない、恐くないよ~、よしよ~し」


 加奈が優しく宥める。すると、


「うぅ、うん、うん……、うん! はふぅ~、えへへっ~」


 加奈の友達である友紀は、目を細め嬉しそうにする。おいおい、すげえな加奈、母親かよ。


「うしっ! 加奈っちありがと! 元気出たわ!! さて……、おい、そこの変態ッ!!」

「なっ!? お、俺!?」


友紀が、加奈に抱き付きながらも、鋭い目でねめつけてきた。


「はあ? お前しかおらんやろッ! うちが嫌がってんのに抱きついてきやがって……!! あ、謝れ!! うちに謝らんかい!!」

「なっ!? は、はあ!?」


 い、いやいや待て!? も、もともとはお前が、俺と加奈を付け回してたのが悪いんだろ!? 顔を隠して、強盗犯みたいな怪しい恰好してさ!? そりゃあ捕まえなきゃってなるだろ!?

 

 だが、そんな事を口にはできなかった。友紀は殺意のこもった瞳で俺を見据える。わずかに開いた口元からは、ふしゅ~……! と威嚇するような呼吸音も漏れている。ま、まじかよ……!? あ、謝んなきゃいけないのか!? 俺、謝んなきゃいけないの!?

 

 俺は助けを求めるように加奈を見た。加奈はビクッと、顔を強ばらせる。しばし、困り顔を見せた後、加奈は、


「え、えっと…………。た、太一く~んッ!」


 俺には厳しめの声で、威圧してきたのだった。ちょ、か、加奈……!? そ、そんなぁ~……。


 加奈からの助け舟もでなかった俺は、もう、素直になるしかなかった。体を起こし、彼女らの方へ向き、膝を綺麗に折り畳み、


「す、すいませんでした」


 土下座をしたのだった。


 頭上では、「こ、これで許してあげて。ねっ、ねっ?」、「うん! 加奈っちがそう言うならうちはOK!」「ありがとっ、友紀ちゃん!」「えへへっ、加奈っち!」

   

 彼女らの和気あいあいとした声音が響いていた。おいおい、俺すごく……、つらい……。


「ワフッ、ワフッ♪」


 唯一、ダックスフンドのココアだけが、俺の頬に鼻をぴとぴと押しつけ、楽し気に、まるで慰めるように、接してくれるのだった。

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