第15話 つかめない距離感と関係
『まさやんの本屋さん』を開店して1時間くらい経つと、それなりにお客がやってきた。俺は最初、そのことにホッとした。
お客の対応をしていれば、さらに気持ちが仕事モードに入っていける。そしたら、加奈の事を変に意識しないで話せるようになる、と思ったからだ。でも、それは甘い考えだった。
『懐かしい』
そんな言葉をきっかけに、『まさやんの本屋さん』に来たお客さんは、俺と加奈に親しく話しかけてきて。商店街に関係のある、まさやんと仲の良い人達ばかりだったのだ。商店街で店を経営している人や、商店街でよく買い物をする人と、色々。そういや、初日もそんな感じだったよな……、はあ~、ちょっと忘れてた……。
皆、過去を懐かしむような口ぶりで話しかけてくる。それは、俺と加奈が小学生だった頃を意味していて。
『まだ帰りたくない、って、本屋で泣きながらお母さんに言っていたね』『おススメの本を一生懸命に紹介してくれたね』とか、色んなお客から、自分でもあまり覚えていない過去の話をされる。俺の心中は穏やかではなかった。つまり、すごく恥ずかしい。親戚の叔父さんや叔母さんから、俺との思い出話を聞かされる感覚にすごく似ていた。
俺は店内の通路辺りで「いや~……、そ、そうだったんですか、ははっ……」と、場に合わせた空気で相槌を打つ。非常に居心地が悪い。だが、目の前にいる人は、一応お客さんなわけで。嫌な顔をするわけにもいかない。
きっと、加奈の方も大変なのでは。
チラリとレジカウンターの方へ目を向けると、加奈の周りには人が集まっていた。加奈が一生懸命お客達と話しをしている。俺は少し離れた位置で、聞き耳をたてた。
加奈が、「そ、そんなことないです……っ!」「あ、ありがとうございますっ……!」と、しきりに声に出していた。
一体なにが……。でもすぐに分かった。
加奈の周りにいるお客達から『可愛い』や『美人』との褒め言葉が飛び交っていたからだ。
加奈はその度に、わたわたとせわしなく動き、必死に否定するような、お礼を言うような感じで。
か、加奈、大変だな……。でも仕方ないか、可愛い女子は、老若男女問わず、多くの注目を集めるもんだし。それに今の加奈は、清楚な服装も相まって、美人な雰囲気も……、ってお、俺はな、なに考えてんだ!? ば、バカかっ!?
俺は慌てて頭を左右に振った。変な気持ちを必死に追い出した。気持ちをあらためる。い、今は、か、加奈のフォローをすべきだろ。
加奈の目が漫画みたいにグルグルと渦を巻きそうになってる。やばい、あんな状態じゃレジ打ち何て……。
俺が不安に思っていると、加奈が急に困った顔を浮かべた。やたらとレジを凝視している。何か間違ったのかもしれない。すると急に加奈が顔を上げ、視線を左右にせわしなく向けた。加奈の視線が俺に向く。一瞬、すごく安心したような顔を見せた。しかも嬉しそうに。俺の鼓動が変に跳ねる。そ、そんな無邪気な表情をされると、なんだか、こ、困る。
「た、太一くん!」
加奈が、明るい張りのある声で俺を呼ぶ。
「お、おうっ……!」
俺は、対応していたお客に一言断って、早足でレジカウンターに向かった。俺はレジカウンターを見てすぐ、何のミスか気付いた。すぐさまフォローする。
「ご、ごめんねっ……!」
加奈が、こそっと言う。加奈の方に面している俺の左半身が、さざ波のようにざわつく。とてもこそばゆい。急に近寄ってきて、小声で言うのは、や、止めてくれ……。耐え難い恥ずかしさがあるというか。
また、そんな様子を温かく見守るお客達の視線も、なんとも耐え難い恥ずかしさだった。
そんな状況で、俺と加奈がまともに落ち着いて話ができるわけがない。俺はレジのフォローを終えると、すぐまた、店内の通路へ逃げて本棚の整理をする振りをしていた。そして、度々加奈に呼ばれては、レジカウンターでのミスを淡々とフォローするの繰り返し。
客たちは、そんな俺ら2人を見て、微笑ましく眺めるのだ。なんだかカップルでも見るかのように。内心、イライラが込み上げてくる。まるで、小学生の頃のあのときと似ていた。やり場のない苛立ちが、俺の気分を悪くしていく。
「ご、ごめん太一くん! またちょっと、間違っちゃって……」
そんな時に、加奈がまたレジでのミスをしてしまった。苛立った気持ちでレジのミスをカバーした後、お客が買い物を済ませ店内から出ていく。俺はつい尖った声で言ってしまった。
「加奈、ちょっとミスが多くないか」
「あっ……、ご、ごめん」
加奈のすごく落ち込んだ声を耳にして、思わずハッとした。慌てて、加奈の顔色をうかがう。申し訳なさそうに目を伏せ、シュンとしている。し、しまった……、俺はなんで、加奈にきつくあたってんだ。初日に仕事を覚えたとはいえ、まだ不慣れな事は多いんだ。特に今日みたいにお客から、か、可愛いだの、美人だの、褒められて、落ち着かないときは、なおさらだ。
俺は急いで加奈にわびた。
「ご、ごめん。きつく言い過ぎた。その……」
「ううん! そ、そんなことないよ。あはは……、昨日は出来てたんだけど……。ごめんね……っ」
「謝んなくていいって。俺が、悪い」
「えっ……? な、なんで太一くんが悪いの? 私がミスしてるんだから、私が悪――」
「いいって! 俺が悪いんだから! あっ……」
加奈が委縮していた。細身の両肩をきゅっと寄せている。俺はなに加奈を怖がらせて……。
「ご、ごめん」
「えっ……、ううん」
嫌な静けさが訪れる。店内にいるお客が何ごとかと、視線を向けてくる。俺は申し訳程度に頭を下げながら、側にいる加奈にそっと声をかけた。
「レジ、今日俺がやるよ。だから加奈はその、本棚の整理とか、チェックとかしてもらっていい?」
「あ、う、うん……」
加奈が寂しそうにつぶやく。俺の心が痛む。
「あっ、いや違うんだ。きょ、今日だけだから、その……」
「き、気にしなくて良いよ。わ、私もその方がすごく助かるし。あ、ありがと……、太一くん」
そう言って、加奈はレジカウンター内から出て、店内の方へ見回りに言った。1人レジカウンター内に取り残された俺。違う、そうじゃない。俺はそんな、加奈を傷つけるような……。
2日目の午前中は、すごく長い時間に感じられるほど辛かった。はやく、お昼になれ、と心から願っていた。そしてやっと、その時間が来た。
〇
「か、加奈」
「つっ!? あっ、た、太一くん」
店内の端で、平積みの本の並びを整理していた加奈が振り向く。
「も、もうお昼だからさ、休憩しよう」
加奈が少し慌てて頷く。
「あっ、そ、そうなんだっ……! う、うん、そうだね」
俺と加奈は店のエプロンを脱いだ。互いに外出の準備をする。風花姉の喫茶店に行って、お昼を食べる事になっているから。
俺はそのことに、ちょっとした希望を持っていた。一緒にお昼を食べて、重苦しい空気が明るく変わってくれたら……。
パチン。
俺はバックヤードで照明のスイッチを切る。冷房はそのままにした。ちょっとでも切ると、夏の外気で、すぐ暑くなるからな。
バックヤードを出て店内に戻った。
薄暗い店内。加奈がこちらに気づいて振り向いた。右手に、『休憩中』の小さな掛け看板を持っていた。
俺は加奈にそっと近づく。
「じゃ、じゃあ行くか」
「う、うん」
「えっと、その看板」
『俺が掛けるよ』といった意味を込めて声をかけ、そっと自分の手を伸ばした。すると、加奈が少し手を引く。
「あっ、良いよ。私が掛けるし」
「いや、もうお昼休みなんだから、俺がやるって」
変にムキにになって、俺は手を伸ばした。掛け看板を掴むつもりだった。でも俺は――。
「あっ……!」
加奈の驚く声。そりゃそうだ、だって俺が、加奈の手首を掴んだのだから。ほっそりとした、柔らかな感触に、俺の脳内が激しく痺れる。手のひらに伝わる滑らかな肌触りと、ほんのり温かいような感覚。加奈の人肌が直に伝わって、もう、その色々と生々しい。
「うっ!? ご、ごめん!?」
すぐ手を離した。ほんのひとときの事。なのに俺の脳内に強く焼き付けられた気がした。当分忘れられない。
カシャンッ!
かけ看板が店内の床に落ちた音がして、ハッとした。俺は拾おうと思い、しゃがんだときだった。
コツン。
えっ?
俺のおでこに何かが軽くぶつかった。
顔を前に向けると、
「あっ」
「あっ」
俺と加奈は互いにしゃがみ込んで、とても近い距離にいた。互いのおでこが触れるほどに。
加奈の顔が急に間近に。とても形の良い瞳・小鼻・そして、愛らしい口元。
「「うっ!? わわっ!?」」
俺と加奈は慌てて離れた。
「ご、ごめん!? か、加奈っ……!? お、俺、その、か、かか、看板を……」
「ううん!? わ、わわ、わたしこそ、ご、ごめん……!?」
薄暗い店内で、よかった。今俺はきっと顔を真っ赤にしている。そう確信できるほど、顔が熱かった。加奈もそうかもしれない。薄暗い店内ではよく見えない。
俺は、両足に力を込め立ち上がる。ついでに落ちていた掛け看板も手に取った。
心臓が破裂するんじゃないかと思うくらい、脈打っている。両足は、生まれたての小鹿みたいに震えていた。
「えっと、加奈、た、立てるか」
「へっ!? も、もちろん!? う、うんしょっ……!!」
加奈も慌てて立ち上がる。
すごく、気まずい。いや、恥ずかし過ぎる。加奈は俺の方に背を向け何やら身を小さくしている。
うっ、そ、そんな、ことされると、より緊張してしまうというか。
俺と加奈は、しばらく動けずにいた。すると、俺のスマホが急に鳴る。メールの着信音。震える手で内容をみると、風花姉からだった。
俺はこの動けるようになった、一瞬のチャンスを逃さまいと、勢いよく口を開いた。
「ふっ! 風花姉が、待ってる、ってさ! か、加奈っ……! い、行こうか、ふ、風花姉の喫茶店に……っ」
加奈の小柄な背中がピクンと跳ねる。加奈は前を向いたまま、声を上げた。
「う、うん!? そ、そうだねっ……!」
そういって俺達はぎこちない足取りで、店内を出た。俺は手にしていた掛け看板『休憩中』をドアにかけ、そして、商店街の中を、一歩前に進んで歩いていく。加奈が少し俺の後ろで付いてくるのが分かった。
「ちょ、ちょっと、と、遠かったりするの?」
「い、いや、そ、そんな遠くない。歩いて10分かかるか、かからないかだから」
俺と加奈はぎこちない短い会話をして、気付いたら無言のまま歩き、そのまま風花姉の喫茶店へ向かっていった。
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