第2話 また君に会える季節の訪れー1

『まさやんの本屋さん』は、俺の行きつけの本屋さんだ。家から高校まで行く途中にある商店街の中に店を構えている。

 下町感の漂う商店街にあるせいか、取り揃えている本は地元の人達の趣味趣向を反映したような物が数多く置いてある。そのおかげなのか、店には常連のお客が何人もいて、まさやんと楽しくしゃべっては特に何も買わず帰る、というような光景がよくあった。まあ俺もその内の1人なんだけど。

 初めて来たのは幼稚園の頃だった。今日みたいな暑い夏の日で。母さんに連れられて店の中に入ると、色んな変わり種の本が目に飛び込んできて、落ち込んでいた気持ちが一気に晴やかになったのを覚えている。

 探検家のような気分で、店の中を何度も見て周ったし、図体のでかいまさやんと初めて会ってビビったことを今でもよく覚えている。

 小学校に上がってからは1人でも通うようになり、お気に入りの生き物のコーナーで、現代に生きる生物と絶滅したもの、空想の生き物、生物の器官や仕組みなど、読んでない本はもちろん、読み終えた本も何度も見直したりしていた。今思えば立ち読みばかりしている厄介な客でしかない。

 だけど、まさやんは『おっ! 太一、よく来たな』と、とても優しい笑みで迎えてくれて。

 店の手伝いをしたいと言った俺に、『まさやんの本屋さん』、と書かれた店員用のエプロンを用意してくれて。


 学校が苦手な俺にとって、大切な場所になるのにはそう時間はかからなかった。


 だから夏休みに入る1週間前、まさやんから突然電話が掛かってきた時、一体何ごとかと心配した。でもなんてことはなかった。


 『2週間、沖縄旅行に行きたいから店番を頼みたい』


 まさやんの悪い癖である『思い付きの行動』、あと、『女たらし』が発動したんだなと頭の中でよぎり、ため息が漏れた。まさやんと長い付き合いになると、ダメな部分もよく知っている。

 まあとりあえず、そのことは頭の片隅にやり、少し考えたあとOKと返事をした。別に俺は部活に入っているわけでもないし、友達とどこか遊びに行く予定もない。そもそも高校に入学して3ヶ月と少し、この間に友達と言える存在ができたのは1人だけだ。そいつは夏休みに、ギャルゲー三昧! とアホなことを言っていた気がする。俺はゆっくり本でも読んで過ごす予定だったから、本屋での店番は好都合だった。親に変な心配をかけたりしなくて済む。夏休みに家に引きこもってばっかじゃまずいからな。

 それで今日、終業式の前日、学校帰りにまさやんの本屋さんに寄った。明日の朝早くに、まさやんは沖縄に向け出発するから、店の戸締りをする合鍵を受け取るために。それだけのつもりだったのだが、店番を押し付けられて、もう店を閉める時間なのに、帰ってこねえ……。


「たくっ……、どこでなにやってんだか……」

 

 レジ締めを終えて、『close』と書かれた小さなかけ看板を手に取った。店のドアに向かったら、まさやんがやっと帰って来た。


「おつかれさん」


 にこやかに言うまさやん。俺の頬が少し引きつる。もっと早く帰ってこいよ、店主だろこら。

 店のドアに掛け看板を掛けながら、俺は口を開く。文句の一つでも言いたい気分だった。


「あのさ―――」

「ほれ、コーヒー買ってきたぞ。ささ、ゆっくりしようじゃねえか。あ~、今日は疲れたなぁ~」


 コンビニの袋を掲げながら、まさやんが俺の肩をがしっと掴む。無理矢理後ろへ方向転換させられ、そのまま背中を押されて店内へ。がたいの良いまさやんと違い、細身の俺は抗えるわけもなく、レジカウンターまで戻された。

 まさやんはパッと俺の肩から手を離すと、レジカウンター内に入った。台の上に2人分の缶コーヒーを並べていく。そばにあったパイプ椅子を手に取り、俺の近くに置いた。その手際の良さに呆れる。

 たく、何が疲れただよ、全然元気じゃねえか。

 俺は大きな溜め息をついてパイプ椅子に座った。でも対面にいるまさやんは気にせず笑っていた。缶コーヒーを手に掲げている。反抗するのも面倒なので同じようにならう。

 コツン、と小気味の良い音が静かな店内に響いた。


「太一、今日は店番ありがとな、色々と助かったよ」


 楽し気に笑っているまさやん。


 店番をするつもりはなかったんだけどな……。あと何が色々と助かったのかちっとも分からない。まあ女性と遊ぶ約束とかだろう。37歳にもなって、まだフラフラしているのはどうかと思うが。

 ふと、まさやんがスマホで話していた若い女性の声が脳裏によぎる。どこか、懐かしさが込み上げてくる。たく、今日の俺は少しおかしい。

 もやもやした気持ちを抱えながらコーヒーを飲んでいると、まさやんがレジカウンターの下から鍵とタブレットを取り出した。


「こいつを受け取りにきたんだろ?」


 まさやんが鍵を俺の前にちらつかせる。分かってたんならすぐ渡せよ、たく。

 俺が鍵に手を伸ばすと、ヒョイとかわされた。ぐっ、このおっさん……!

 

「まあまあ。そう、せかせかするなって」


 まさやんは店の合鍵をレジカウンターの端に置いた後、タブレットを手に取った。電源を付けなにやら操作し始める。そして俺に画面を見せてきた。


「ん? なにこれ?」


 画面に映し出されている文字、『約束ごと』に目がいく。

 


「バイトをする上での契約書みたいなもんだ。まあなんだ形式上な。そんな重く考えず答えてくれたらいい」


 画面を下にスクロールすると、3つの質問事項があった。


その1

私、木下太一きのしたたいちは、バイト期間中はしっかりと働きます。


その2

私、木下太一はバイトを途中で放棄しません。


その3

私、木下太一は、バイト期間中毎日、自分か、他の誰かが映っている写真を最低でも1枚、雇用主に送付します。


 YES or NOで答える形式。


 まあ……、契約くらい構わない。ただ1つ気になる事があった。


「なあ、まさやん」

「ん? どした?」

「この3つ目の質問はなんだ?」


『バイト期間中毎日、自分か、他の誰かが映っている写真を最低でも1枚、雇用主に送付します』


意味がよく分からない。


「ああ、これな」


 するとまさやんが、もう一つ新しいタブレットを取り出した。


「俺が沖縄に行ってる間、太一のバイトの様子を知りたくてな。タブレットでバイトの様子を写メで取って、俺の持ってる方へ送信してほしいんだ」

「はあ……? まあ、良いけど。でもこの人が映っているもの限定ってなに?」

「ははは、そう嫌な顔するなって。別に悪用するとかじゃないさ。ただなんだ、思い出としてな」

「思い出?」

「そう。太一が夏休みに、俺の店でバイトしてくれるんだ。形として残しておきたいんだよ」


 まさやんはそう言って優しく笑う。なんだか気まずい。


「まあこんな感じで撮ってくれたら良い」


 まさやんが店に置いていく用のタブレットを再び操作する。そしてある画像が映し出された。


 なっ!? これって……。


 そこには小学生くらいの男の子が映っていた。生物の図鑑を夢中になって読んでいる。って、俺じゃねえか。いつ撮ってたんだ。

 俺が呆れて頭をかくと、まさやんがにやっと笑いながら画面をスライドさせた。


『本棚を楽し気に見上げている俺』

『両手いっぱいに本を掲げて笑っている俺』

『店の手伝いで本を一生懸命に並べている俺』


 記憶が次第に蘇ってくる。そうだ、あの頃の俺は、まさやんによく写真を撮られていたんだ。それで、俺も真似して―――、


(太一くん)


 ふと耳の奥で女の子の声が聞こえた気がした。


 パッ。


『可愛らしい女の子の笑っている顔』が、タブレットの画面に突如映った。

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