第2話 男なのに

 あの衝撃的にして最悪の出会いから、一ヵ月後。


「良いですか。今からいちごクッキーを作るわけですが、むぎ先輩は一切何もせず、そこで座って見ていてください」

「えーっ! ハルちゃんのケチンボーッ!」

「オレは、家庭科室が血みどろ猟奇的殺人現場になる様を見たくないだけです」

「失礼ね! 苺のヘタを落とすぐらい、わたしにだってできるもん!!」

「先週、オレがちょっと目を離してる隙に指を切り落としそうになっていたのはどこの誰ですか!? 危うくアイスボックスクッキーが先輩の指入りになるところだったじゃないですか!」

「あはは、あれは間一髪だったねぇ。ほんとうにハルちゃんが入部してくれてよかったよ!」


 オレはといえば、妖怪粉人間もといむぎ先輩と二人、家庭科室で生きるか死ぬかのデスクッキングに取り組んでいた。


 ……どうして、こうなった。


 ほんとうだったら今頃は、バスケ部に入部して、格好良くバッシュのこすれる音を体育館に響かせているところだったのに! どうして家庭科室なんかで、苺のヘタを落としているんだよ!


「そりゃあ、先輩にしつこくストーカーされましたからね。毎日毎日放課後になるたびに教室まで迎えにきたあげく『ハルちゃーーん! 家庭科部の時間だよー!!』なんて叫ばれるこっちの身にもなってくださいよ。恥ずかしいったらないです」


 嫌味をたっぷりこめたのだが、むぎ先輩はのんびりと笑っている。まるで響いていない。


「ごめんってば。でもさー、口ではツレないこと言ってるけど、ハルちゃんって実はお菓子作りが好きでしょ? 実はもともと家庭科部に興味があったんじゃない?」

「はあ? 寝言は寝てから言ってください」

「うん。寝言じゃないから、いま言うね? まずさ、調理器具を扱う手つきだけど、とっても丁寧だよね。手際も良いし、どう見ても慣れた人の手つきだよ」


 ドキリとした。


「それにね、ハルちゃんってお菓子作りをしている時、口角がきゅっと上がるんだ。いつにも増して上機嫌そう」

「……ぜんぶ、先輩にとって都合の良い妄想じゃないですか」

「ふふん。強がったって、わたしの目は誤魔化せないよ?」


 むぎ先輩のアーモンド形の瞳が、きらりと光る。

 ふわふわとした焦げ茶色の髪を揺らしながら、オレの顔をのぞきこんでくる。


「ハルちゃん。どーしてそんなに認めたがらないの?」


 先輩は、ズルい。

 天然ボケのくせに、妙なところで、こんなに鋭いなんて。


「だって……。男なのに、お菓子作りが好きだなんて、男らしくないじゃないですか。ただでさえ、可愛いって言われっぱなしなのに」


 ハッとして、口をおさえる。

 失言だった。こんな風に思ってるって知られたら、『なにそれなにそれ! そんなこと思ってたの? ハルちゃんってば、超かわいいじゃん!』って馬鹿にされて、また頭を撫でられ――


「そうかな? わたしは、真剣にお菓子作りをしてるハルちゃんは格好良いなぁと思うけど」


 ――あれ?


「好きなことに夢中になってる人って、輝いて見えるんだよ。お菓子作りをしてる時のハルちゃんは、きらきらしてる。それにさ、好きなことに性別とか関係ないでしょ?」


 呆けてしまった。

 しでかすことの全てがおちゃらけているむぎ先輩が、出会ってから一番真剣な表情をして、急にそんなことを言い出すから。


 固まっていたら、先輩が「よーし。わたしも頑張っちゃうぞー」と腕まくりをしながら新品の小麦粉の袋をあけようとしたので、慌てて止めに入った。

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