ガブリエラと死の舞踏(2)

「シシク、さっきの痛くなかった?」

 ガブリエラが背伸びして血の滲んだ箇所を確認すれば、とっくに傷が塞がっている。それでころか、何事もなかったかのように綺麗だった。何かの見間違いじゃないだろうかともう一度見ようとするも、勇み足では背伸びを保てなかった。

「ああ、これぐらい平気さ。だがこいつは修復しなきゃな」

 シミになった箇所を確認しつつ溜め息を吐くシシクは、あるものに目をやった。それは教会の裏手だった。アーチ型の狭い門には、丁寧に蔦が絡まっている。奥から感じる複数の気配と微かな禍々しさに、ふたりは顔を見合わせた。

 門を潜った先に広がるのは、墓標の群だった。無機質で冷たい、それでいて様々なかたちの石膏が並べられている。と、一ヶ所だけ墓石のない場所があった。雑草だらけの中に、こんもりと何かが積まれている。

 気づけば、東の空が明るみを帯びていた。とはいえ、まだまだ視界は暗くガブリエラはその正体が掴めなかった。

「見るな、後悔する」

 いち早く気づいたシシクが彼女の目を手で覆う。

 闇の中に温もりを感じながら、ガブリエラは眉をひそめた。シシクの声がやけに冷静なのだ。

「後悔するって何なの、それは……」

「死体だ」

 答えながらも、シシクは足元のそれを観察する。

 土に塗れて露出しているのは頭から腰にかけてだが、そこからある程度身分のある者だろうと推察出来る。煌びやかな上着は少々流行遅れで、所々刺繍がほつれている。無精髭が生えているが、髪はきちんと手入れされていたようだ。それもまた、土がこびりつき乱されている。

 その虚ろな瞳と苦悶の表情からは負の感情がひしひしと伝わってくる。驚き、嘆き、痛み、悲しみ……どんな最期を迎えたのか。深く考えただけで、シシクは思わず息が詰まりかけそうになった。

「娼婦が言ってたお客ってのはこいつだろう。彼女の証言が確かなら、骸骨がやったのか」

「骸骨……本当に骨の? お化けじゃなくて?」

 突如、カタカタと奇妙な音が静かな夜に響いた。シシクはガブリエラを抱き寄せ、辺りを見回す。ひとつの墓標の上に白いものが見えた。

 頭蓋骨だ。

 そのがらんどうはこちらを認識しているのかのように思えた。見つめ返せば、どこまでも広がる闇に引っ張られそうだ。

 どうやら、シシクが気を取られている隙に主人が目隠しを外したらしい。ガブリエラの小さな悲鳴が届いた。だが、骸骨の笑い声はそれを掻き消さんとばかりに鳴り続ける。まるでこちらを嘲笑うかのように、骸骨は語りかける。


 Memento-Mori――死を忘れるな、と。


 ――こいつ。

 シシクは頭に血が上りかけたが、ガブリエラを守ることが最優先だと冷静を装った。おそらく、あの骸骨もそれを理解しているのだろう。最後に大きくカタリと音を立てると、瞬時に消えてしまった。

「何だったの、今の……」

 ガブリエラの呟きと同時に、雑音が近づいて来た。リズムが乱れている、複数の足音だ。

「あんたら、そこで何してる」

 振り返れば、ふたりは複数の光に照らされた。皆一様に武器と灯りを携え、シシクを睨みつけている。彼らは市民警察だった。

「東洋人が何をしている。その娘を離せ」

「ちょっと!」

 突っかかろうとしたガブリエラをシシクは静止した。

「俺は主人の警護をしているのさ。骸骨が出て人を攫ったって聞いたものでね。追いかけたら死体を見つけた」

 正直に報告するシシクに、彼らは騒めく。その内容は勿論のこと、加えて彼の言葉には異国の訛りがほとんどなかったからだ。

「詳しく聞かせて貰おうか」

 ひとりがシシクの腕を掴み、その間にも背後に回り込まれる。まるでシシクが犯人だと決めつけているかのような扱いに、ガブリエラは動揺した。

「待って、シシクに何もしないで。わたしの従者なの。本当よ」

「お嬢ちゃん」

 シシクから離れず、警察を引き剥がそうとする彼女に、彼らはやんわりと声をかける。

「怖かったね、もう心配いらないよ。だから、奴の言う通りにしなくて良い」

「だが、君にも少々付き合って貰うがね。まずは名前を聞かせて欲しいんだが、構わないかな?」

「シシクは、わたしの従者。わたしの大切なひとだって言っているでしょう……」

 怒りと恐怖にガブリエラの声が震える。

 だが、彼らは「可哀想に」と言う目で彼女を見るばかりだ。どうやら本気で彼を誘拐犯だと思っているらしい。

 ——何故このひとたちは聞いてくれないの。

 焦るガブリエラを、縄で縛られたシシクは見つめることしかできない。下手に喋れば痛めつけられるだろう。そんな姿を彼女に見せたくなかった。

 代わりに、彼はその瞳で宥めた。「心配するな、余計なことしなくていい」と。それが返って、ガブリエラには心強く感じられた。

「クロフォード準男爵が長女、ガブリエラ・クロフォードよ。パパを呼んで」

 彼女は気品高く、堂々と名乗りをあげた。

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