ガブリエラと死の舞踏

こち

ガブリエラと死の舞踏(1)

 まんまると太った月明かりに大小様々な船が照らされる。

 人気のない波止場では、波の囁き声が響いている。

 時折遠くから聞こえてくる喧騒や小粋な音楽は、呑んだくれた海の男たちのものだ。

 そんな静かな初夏の夜の中、ふたりの漁師が大きな荷物を背に額を寄せ合っていた。その手にはラム酒の入った瓶。彼らの足下には麻袋が敷かれ、そこに貨幣やトランプが散らばっている。どうやら賭け事に興じているらしいが、酔っ払っている所為か何処かぎこちない進行が続いている。

「ねぇ、ちょっと良いかしら?」

 不意に鈴の音のような声が降ってきた。

 顔を上げ、突然の来訪者を一瞥したふたりは顔を見合わせる。真っ先に映ったのは月光と溶け合うほどの淡く質の良い髪だった。それに加えて澄んだ瞳、端正な顔立ちと洗練された子供服。月を背に逆行となっていても、可愛らしく相応の身分を持つ少女であることが理解できた。

「なんだい嬢ちゃん、花でも売りに来たか?」

「花? 花なんて一輪も持っていないわ」

 小首を傾げる仕草からも品の良さを感じる。それに反し漁師たちは、酒臭く下卑な笑い声をあげた。

「わたしはただ、訊きたいことがあるの。この港に……」

「ああ良いよ、花売りの嬢ちゃん。ただ、答えるにゃそれなりの代償を支払って貰わないと」

「代償?」

 目を細める少女。その細腕に、硬く毛むくじゃらの手が伸びる。それを不思議そうに見つめる彼女に、彼らは厭らしく口角を上げた。

 だが、彼らは気づかなかった。いつの間にか月の光がこちらに届いていないことに。

「ああ。ちぃとこっちにおいで、お嬢ちゃん」

「どうするつもりだ?」

 漁師たちは思わず固まった。まるで、獣の唸り声のような男の声が頭上から聞こえてきたからだ。

 恐る恐る見上げれば、少女の後ろに何者かが仁王立ちしていた。その影は、月光から少女を護るかのように包み込んでいる。琥珀を思わせる双眸だけがギラギラと輝いていた。

「もう一度訊く。この娘を、そっちに連れて行って、どうするつもりだ?」

 その声には細波の如き静けさがあった。しかし、彼らには猛獣が吼えたように感じられた。暗がりで微かに見える顔つきは全くの無。にも関わらず、牙を見せて威嚇する獣のように思えたのだ。それも、そこらの野犬とは比べ物にならないほどの威厳と殺意に満ちている。

「なっ、何でもありません!」

「すみませんでした‼」

 震えあがった漁師たちは、呑みかけの瓶を手に逃げ出した。慌てて立ち上がったためコインやトランプが地面に散らばったが、そんなものはお構いなしだ。少女はそんな滑稽な様子を暫く眺めていたが、彼らの背中が見えなくなると同時に背後の人物を睨みつけた。

「もう! シシクの所為で逃げちゃったじゃない! 折角証言が取れそうだったのに」

 むぅっと頬を膨らませ、腕を組む少女。彼女の目線に合わせて影はしゃがみ、宥めようと豊かな髪を優しく撫でる。まるで実兄のように接しているが、月明かりに照らされたその正体は東洋人だった。短い黒髪が海風にサラサラと流れる。

「あのなぁ……ガブリエラ。どうせあいつらロクな情報持ってやしないさ。ここに幽霊が出るっていうなら賭け事なんかするか?」

 漁師たちの落し物を眺めながら、彼は続ける。

「そもそも、港の幽霊の噂はあいつらが流したかもな。誰も寄り付かないんじゃ好き勝手出来るし」

「それもそうね……」

 頷くガブリエラの肩を、シシクと呼ばれた男は引き寄せ、少女はさも当然と言いたげな顔つきで、彼に身体を預ける。彼の細くも筋肉質な腕には刺青が蛸足のように絡みついている。

「あと、もうひとつ。あんな奴らに声かけられてもついて行くんじゃないぞ。むしろお前から声をかけるな」

「何で?」

「危険だからさ」

「どうして?」

「お前にはまだ早いさ」

 純粋無垢な反応にシシクは苦笑いする。

「そりゃあ、お嬢様のお耳に入れるわけにはいかないからな〜」

 にやりと笑うその態度に、少女の頬が更に膨らむ。

「教えてくれないならわたしは自由にするわ。わたしの獅子マイ・レオなら助けてくれる、でしょう?」

「勿論。だが、そのペットみたいな呼び方止めろって言ってなかったか?」

 シシクの訴えに、ガブリエラは聞く耳を持たない。

「ペットじゃないわ。これでも敬意を込めて呼んでるんだから」

「はいはい。かしこまりましたよ、お転婆姫」

 お転婆姫の部分だけヒノモトの言葉で喋るシシクに、ガブリエラは首を捻る。

「オ、テ……今、何て」

その声は、耳を劈くような高音に掻き消された。女性の悲鳴だ。

「シシク、あっち!」

「ああ」

 ガブリエラはシシクの手を握り、走り出す。

 道を曲がると、そこには一人の女性がへたり込んでいた。シシクは近づくと、彼女の肩を掴んで支える。彼女は色褪せ、見すぼらしいドレスを纏っている。その顔には化粧が塗りたくられていたが、隠し切れていない隈が幽霊を思わせる。

「おい、大丈夫か? 何があった?」

「あ、あ……、あ、ああ……」

 腕に走る鋭い痛み。女性の伸びた爪がシャツの上から突き刺さり、血が滲む。だが、そんなことは気にも留めず、シシクは話しかけ続ける。

「怖い目に遭ったんだな。話してみろ、楽になる」

「ほね……ほねっ、がいこつが……おきゃくを……」

 その震える瞳はシシクではなく、ただ一点、靄のかかった路地をじっと見つめている。

 お客という呼称と装いから、娼婦だろうか。

「骸骨、が出たのね。しかも人を攫った」

 急ごう、と言いたげにガブリエラは娼婦から離れたシシクの手を握り直す。見れば、目が爛々と輝いている。これは新しいおもちゃを見つけた時の顔だ。彼女の辞書に危険という文字はないのだ。

 このまま放っておくのも心配だが、今はそのお客の方が危険だろう。そう判断したシシクは娼婦に断りを入れてガブリエラに従った。返事はなかった。

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