七:実現(一)

 男を必死になだめた結果、気づけば時計の針は零時を指していた。最悪だ。男はこの部屋で寝ると聞かないし、僕は彼と寝たくは無い。他に安心して眠れそうなところなどあるだろうか。いっそのこと廊下でも良いのだがな。静まり返った廊下へと出て、適当に歩く。


 そう言えば、図書室は結構落ちついたな。まだ開いているようだったら、あそこで本でも読んで時間を潰すとするか。


 … … …


 図書室に着き、扉を開ける。電気もついているので、まだやっているのかと思ったが、受付の人間がいない。では何故開いているのだ? その疑問は、室内を歩きまわっていて気付いた。


「おや、こんな時間に合うとは奇遇だね」


 エロス様がテーブルで本を読んでいたのだ。この時間なら女性と遊んでいるとでも思ったのだが。珍しいこともあるものだ。開いた椅子に手を伸ばされたので、相席して話をする。


「今日はお一人ですか?」

「ああ。ほら、特技大会は賞金も出るし、他国から人も来るだろう? それで店が忙しくなりそうだからって放っておかれちゃったよ。参ったねぇ」


クスッと笑ってしまった。幾ら美しい美貌や大金を持っていても、美女に放っておかれることがあるのだな。エロス様は、「オイオイ。笑うな、笑うな」と苦笑した。


「彼女達だって、僕が一国の王子だと知ればきっと放ってはおかなかったさ。けれど、そんなこと言えない状況だ。それに、世の中には言わない方が良いこともある。にしても、たまには一人で本を読むってのも楽しいものだな」


 何の本を読んでいるのだろう。春画か? タイトルを見てみると、意外や意外。国の歴史の本を読んでいた。


「何か今、失礼なこと考えなかった?」

「いえ、特には。僕も本取ってきます」


 立ち上がった僕に、エロス様が手を伸ばした。もしかして失礼なことを考えていたのがバレただろうか。いいや、それはもうとっくに感づいているはず。エロス様は、他にテーブルに乗せていた本の一つを、僕に手渡した。


「これ、君に合いそうだと思ってね。どうだい?」


 渡されたのは、分厚い文献だ。タイトルは、「今日から君も超々魔術師! 二」。分厚い割に、安そうなタイトルだな。しかも二なのか。ペラペラとめくってみる。出来ないことも無さそうな初心者向けの本ではあるが……。何故これを?


「姫から聞いたよ。体調を崩した男と暮らしているそうじゃないか」

「暮らしていません。彼が僕の部屋で寝ると言って聞かなかったので、最悪僕は此処で寝ようかと思っているのです」

「ふふ、そうかい? じゃあ僕から受付の子に言っておこうか」

「結構です」


 バッサリと答えた僕に、エロス様は呆れ交じりに笑った。


「モモロン、もう零時を回って今日が大会だ。頑張れよ」


エロス様は僕の肩に手を乗せると、本を置いてそのまま図書室から去って行った。ハイハイ。本を片付けておけってね。


 … … …


 あれから僕は、午前一時半時頃に図書館の隅で眠りに着いた。午前四時半に起床し、兵士達に混じって剣の稽古に励む。対戦相手の兵士の剣を弾き飛ばすと、相手の兵士は後ろに倒れ込んで笑った。


「やっぱりモモロンはすげーな。……いてて」

「もしかして指切ったか? すまん、ちょっと待ってくれ」


 昨日見た文献が合っているか、試してみるか。兵士の元へ行き、呪文を唱えてみる。その直後、小さなかすり傷がたちまち消えて、手には傷の痕すらも残っていなかった。これは使えるな。もう少し極めれば、魔力の少ない僕でも、もう少し手応えのある魔法が使えそうだ。


 傷の癒えた兵士は、「おおっ!」と感動の声を上げる。見ていた他の兵士達も、雄叫びをあげた。あまり騒ぎ立てて欲しくないのだが……軽率な行動だったか。とりあえず喜んでもらえているみたいだし、良しとしておこう。


「凄いじゃないかモモロン! とうとう魔法まで使えるようになったのか!!」

「昨日図書室で文献を見つけてな。面白い内容だったよ」

「へぇ~。俺にも教えてくれよ」


 気づけば少し遠くにいた兵士まで僕の元へ来ており、僕は注目の的になっていた。……僕の自己実現の欲求が満たされるのは、遠そうだな。


 … … …


 特技大会は、イリス国の城下町にて行われた。スペースはそれなりに確保していたが、コイオス国やクレイオス国からも観客が来ている為、予想以上に大規模で人口密度が高くなっている。軽く千人は超えているであろう大会で、特技を披露しないといけないなんて地獄かよ。しかしこれ以上は女々しいので、僕は気を引き締めて待合の行列に並ぶ。会場の方から物凄い歓声が聞こえてくるな。この声が聞こえる度に、僕の心臓は締め付けられるのだろう。


 だが、そんな僕より、身を締め付けられる気持ちでいる男がいた。そう。僕のアシスタントとなったこの男だ。


 男の震えは止まらず、汗もかいている。コイツ大丈夫かな。世間話など本当は嫌なのだが、これはどうにかして気を逸らしてやらないと。男を気遣い声をかける。


「昨日は眠れました?」


 男は頷くと、胸ポケットからクシャクシャの紙を取り出した。もう何度も読み返したのだろう、所々破けている。文章を見る目は虚ろで、目の下にはクマが出来ている。こりゃあ寝不足だな。練習通りにちゃんとやってくれると良いのだが。お前が失敗したら、大恥食らうのは僕なんだからな! と、脅すわけにもいかないので、最悪の事態を考えて他にも策を考えておくか。


 時が進むにつれ、行列はステージへと近づいて行く。一組、また一組とステージへと消えていき、代わりに聞こえてくるのは歓声だ。この流れなら僕達にも温かい歓声が聞こえてくるのでは無いのかなと思ってしまう程ボルテージは高い。


 また一組ステージへ消えて行くと、僕達は次の次。大丈夫だろうか、僕の隣。男は全身に冷や汗をかき、薄ら笑みを浮かべながら震えていた。ステージで発狂したりしないでくれよ。


 僕の前のトリオが呼ばれ、会場はこれまた大歓声だ。舞台袖からも始終が見えたが、三人ゆえに少なすぎず多すぎずで構成された大道芸のネタは素晴らしい。彼等三人のコンビネーションがあってこその技だ。その上客を数人彼等のネタに参加させるのも良い。全て彼等の手の内と言った感じだな。


「有難う御座いました! お次は、イリス姫も太鼓判を押す神業師です! モモローン!!」


 トリオは大歓声の中去って行き、僕の名前を呼ぶ司会。盛り上げる為に多様な言い方をするのは職業柄仕方のないことだが、まるでハードル上がりすぎじゃないか。これで失敗したら笑えないぞ。


 フラフラとしている男の頬を叩き、男が現実に戻ってきたところで背中を押した。男が先にステージへと上がると、観客が拍手をした。嫌いな景色にたじろぎかけたものの、何とか持ちこたえて礼をした。隣を見てみると、男も合わせて礼をしていた。よし、男が動く内に進めるとしよう。

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