その18 振り向けば最悪

 そして。


「お疲れ様でした、会長」


 教壇の上にマイクが置かれた。

 舞台から見下ろせば、多くいた観客たちはもういなくなっていた。

 カメラの電源は落とされ、各教室への放送も終了している。


「全て、不正解です」


 ……まあ、そりゃそうだ。

 中学レベルの問題だって今の俺にとってはできるか怪しい。


 ニヨの力に頼っていたのは、一体いつからだったのか……。

 最初からのような気もするし、最近からだったような気もする。

 その力が当たり前になっていたのは否めない。


「……基礎問題もできないとは思いませんでしたけど……」


 どれが基礎問題だったかも俺には分からない。

 全部、同じく難しかった印象しかなかった。


「先生」


 階段を上がる音がした。

 聞き覚えのあるヒールの足音。

 俺の担任の巳浦だった。


「私が見届け人だ。最後までは付き合ってやろう。……話し合いは済んだか?」

「いえ……会長は」

「もう会長じゃないんだろう? 立川が引きずり落としたんじゃないか」


「……そうでしたね。大垣、くんは、退学になるのでしょうか?」


「いや。確かに今日の結果を見ればこれまでのテストで不正をしていたのは分かったし、そうとしか考えられない。が、具体的にどう不正しているのか、こっちでは判断ができない。過去のことまでは掘り返せないさ。大垣が『今日の結果は調子が悪かったから』、もしくは極端な話、最近、記憶喪失になってしまったと言えば、処罰もできまい」


 なら、俺への処罰はなにもないってことか?


「だが、今、退学にならないだけで、あの学力ならいずれ退学になるだろう。借り物の力で誤魔化していただけだ。なににも頼れなくなった時に自分を助けるのは自分の実力だ。それが不足していれば結果は火を見るよりも明らかだろうな」


「そうですね」


 副会長が俺を見た。

 目が合う前に俺は視線を逸らす。


「私たちを騙していたことは、許せることではありません……けど。私はやっぱり、感謝しているんです」

「……俺に、感謝だって?」


 力を使って副会長を操作したことなんて何度もあるのに。

 中には俺に感謝するよう、信頼するように仕向けたことだってあるんだ。


 それが今も活きている、力の効果が積み重なって抱いた感情かもしれないのだ。

 素直には受け取れねえよ。


「方法がどうあれ、会長は私の前に立ち塞がってくれました。越えるべき壁として、何度も私の心にムチを入れてくれたんです。今も勉強を頑張れているのは、会長のおかげでした……だから、ありがとうございます」


 そう言って、深くお辞儀をした。

 見はしなかったが、雰囲気や、副会長ならそうするだろうって分かっていた。

 一年の頃から生徒会でずっと一緒だったのだ、どういう人間かくらいは分かっている。


「お世話になりました。……これから、頑張ってください、大垣くん」


 ……立川が舞台から下りて、体育館を後にした。


 ――はっ、なにを頑張れってんだよ。

 俺の居場所はもうどこにもねえ。


 これから自分のクラスに戻るのも億劫だ。


「戻るぞ大垣、授業が始まる」

「あんたも鬼だな。ちょっとは感傷に浸らせてくれないですかね」

「知るか。貴様の事情など知ったことではない。……潰れるのなら勝手に潰れろ、ただそれまでの生徒だったってだけだ」


 一年の間に多くの退学者を出している学園の教師だ、このへんはドライなのが当然か。

 いちいち出来損ないに感情移入をしていたらきりがない。

 結局、実力がないのに無理やり引き止めても、困るのは生徒自身だからな。


「だがな、私はお前に興味があるんだ」

「?」


「簡単に言い逃れができてしまうような、証拠を掴ませない不正行為。お前はそういうところが評価されていたんだ。生き残る奴はなにも真面目な奴ばかりじゃない。どちらかと言えばお前みたいなタイプが多い。だから私はお前に興味があり、そして期待している」


「俺が退学にならないよう、サポートでもしてくれるんですか?」

「お前の言葉次第だな」


 これ以上は迂闊に喋らない方が良さそうだ。

 体育館を出てしまえば、すれ違う先生も多い。

 ヒールの音が連続的に響く。

 自分の教室までは、長いようで、短かった。



 教室に入り、たった一つの空席へ向かう。

 ……全員からの視線が痛いな……。

 全教室に俺の公開処刑の模様が放送されたわけだから、俺の化けの皮が剥がれたのは周知の事実だろう。


「バカのくせに偉そうにしてたのかよ……」


 誰かが呟いた。

 クラスの全員が俺に失望しているようなので、誰が言ったのか、特定はできない。


 声の低さで男子なのは分かったが。

 後ろから見れば分かるが、女子たちは机の下でスマホをいじっていた。

 遠目からでも分かる画面には、複数のふきだしによってメッセージが飛び交っている。

 直接、口には出さない分、ネット上では多弁になるらしい。


 攻撃的な言葉が少ないのは、俺と同時に教室に入った巳浦がいるからだろう。


「授業を始める」

「先生、大垣には難しい内容じゃないですか?」


 一人の男子が挙手をして言った。

 その言葉にクスクスと、俺を笑い者にする生徒が増えていく。

 実際、毎回授業の内容は理解していなかった。

 どうせテストでは良い点が取れるのだから理解している必要もない。

 いざ理解してみようとすればまったく分からないのだから、挙手した男子の意見は正しい。


 ただ、言ったところで俺一人のために内容が変わるわけもないし。

 ついていけなければ俺が勝手に振り落とされるだけだ。


 巳浦の意見も俺が思い描いた通りだった。


「お前はどうなんだ?」


 質問をした男子が巳浦の問いかけに戸惑った。


「じゅうぶん理解できているんだろうな?」

「いや……、まあ大垣よりは」


「下を見て安心しているようでは期待はできそうにないな。大垣を馬鹿にするのは構わないが、それで成績を落とすようであれば大垣以上の笑い者だ。いいか? 注目されているのが大垣だと思ったら大間違いだ。大垣を見るお前らを、我々は見ている。それを肝に銘じておくんだな――教科書を開け、昨日の続きからだ」


 そして淡々と授業が始まる。

 しばらくは俺をからかう遊びに終始するかと思ったが、巳浦の言葉によって周りからはなにも言われなかった。

 居心地の悪い空気感は仕方ないが、俺に直接なにかをしたり言ったりすることはなく、無事に一日が終わる。


 だが、これはこれで心に重く圧し掛かるな……。

 今までずっと騙していたことへの追及がなく、完全に無視されている。

 クラスの中で俺はいない者として扱われていた。


「……行くか」


 教室を出て、しばらく歩いて気づいた。

 ……どこに?


 自然と足は生徒会へ向かっていたが、俺はもう会長じゃない。

 正式に立川が会長になるのは先の話だが、俺の席はもうないだろう。


 忘れ物もない。

 あの部屋へ入る理由が、今の俺にはなかった。


「こんなところで誰かに会って、未練がましいと思われたくもないしな……」


 生徒会室まで後少し。

 メンバーの誰かとばったり会っても不思議じゃない。


 立川ならばまだしも、後輩二人となると気まずい。

 そんな最悪な状況にはなりたくなかった。

 とは言っても、同じ学園にいる以上はどこかで必ず向き合わなくちゃならない場面は出てくるだろうが……今は避けたい。


 だからすぐさま引き返そうと振り向いた。


 猪上がいた。

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