君が敵でよかった。
郁崎有空
君が敵でよかった。
「いっけなーい! チコクチコク!」
わたしは生のままの食パンをくわえて、カバンを肩に提げてボロアパートを飛び出す。
……って、いけない。これ忘れてた。
みなさん、どうも! わたし、
今回はママからのお願いもあってここに越してくることになったんだけど、わたしもイロイロあっていままでこういうことはできなかったから、正直とっても楽しみなんだ!
あっ、噂をすればママからのLINK!
〈おはよう、クルイちゃん〉
〈ああは言ったけど、せっかくの学校生活だから楽しんできてね〉
〈クルイちゃんのことは信頼してるし、せっかくだからほどほどに羽伸ばしたっていいんだからね〉
〈こうでもしないと娘を学校に通わせられない、情けない親でごめんね〉
〈それじゃあ、ファイト。愛してる〉
〈ママより〉
ママ……
わたし、頑張るからね。学校だって、お願いだってバッチリ果たしてくるから。
思わず笑みが浮かんだ。足取りを早めて、パンをむぐむぐと口に引きずり込む。
そうして、このまま目の前の十字路を突っ切ろうとした、その時だった。
目の前に飛び出す影! あまりに急で対応できない!
わたしはそのまま、影と衝突してしまう。ゴッツンと頭に強く音が響いて、盛大に尻もちをついた。
「いてて……」
「いっ、たたたた……」
わたしはスマホと食パンを拾って、かけていたダテ眼鏡を直し、ぶつかった相手の方を向く。
金髪縦ロール、赤いカチューシャ、精巧なお人形さんのように整った小さな顔、新品のように綺麗なわたしと同じ学園の青い制服。
「あっ……」
わたしは内心ヒヤリとした。わたしにとって、よく知った顔だったからだ。
同じく尻もちをついた彼女は眉根を寄せて、すらりと整った指をわたしにビシリと指して叫ぶ。
「あなたねえ!」
怒りで歪んでも綺麗な顔がぐいと詰め寄る。まつ毛の長さもいやというほどの距離で、じっと見つめられる。
まずい、このままでは、さっそく学園生活がおしまいになってしまう。
だって、彼女は——
「パン咥えてスマホ見ながら全力疾走とか、いったいどういう神経してるんですか!」
「……ほへっ?」
思わず声が出た。
ここまで近づいたらさすがにバレそうかと思ったため、拍子抜けしてしまう。
「あなたのことはまったく知らないし、どういう事情があって生き急いでるかも当然知りませんが、それじゃあ命がいくつあっても足りませんわ!」
「……はあ」
「理解してまして? あなたはいま、スッポンポンで目隠ししてジャングルを歩くような、そんな愚行を行っていましたのよ!」
「……スッポンポンである必要なくない?」
「黙りなさい! この鳥頭!」
まったく知らない相手に、ひっどい言い方するな……
内心引きながら、スマホをちらと確認する。
本来着いてるはずの時間から五分前。
わたしは慌てて立ち上がり、走り出す。
「急がなきゃ!」
「ちょっ、あなた——」
彼女も遅れて立ち上がろうとして、勢いづけたわたしのカバンが彼女の頭に思い切りぶつかってしまう。
彼女はアスファルトへと横に叩きつけられて痛そうにしている。綺麗な顔に傷がついてないか、こっちも少し心配になってくる。
しかし、このままでは遅れてしまう。それに、こっちもあまり彼女とは関わりたくなかった。
「まっ、て……まちな、さ……!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
目に涙を浮かべて倒れたままの彼女を放置して、わたしは学校へ急ぐことを優先した。
結局、ギリギリで間に合った。
自分の入るクラスの担任からは「これからはもうちょい余裕をもって登校しような」とどやされ、恥ずかしい気持ちで反省しながら二人で教室に向かう。
担任が先に入り、ホームルーム(いわゆる朝礼)を済ませてから、「今日からこのクラスに転入生が入る」と前置きしてわたしを呼ぶ。緊張気味に早足で教室に入る。
担任がわたしの名前を書く間、早口で自己紹介する。
「まっ、禍々クルイですっ! えっと……ちょっと遠いとこから転校してきました! これからよろしくお願いします!」
心臓がばくばくと鳴っている。こういうのは初めてだったからだ。
言い終えて、熱っぽい顔を冷まそうと意識する。
「それじゃあ、転入生になんか質問あるか?」
一斉に手が上がった。
好きな食べ物、好きなアニメ、特技、この中では誰がタイプか。ママからのアドバイスをもとに、あらかじめ用意しておいた無難な答えで対応していく。
挙がる手が落ち着いて、担任が「それじゃあ、もう質問はないか?」と訊くと、
「ありますわ!」
張りのある声とともに、ぴしゃりと後ろの引き戸が開け放たれる。すぐさま、先ほどの金髪縦ロールの子がカツカツと足音を立てて入ってきた。
頬には絆創膏が貼られていて、それが彼女の高貴な見てくれにはひどく際立っていた。
「遅刻だぞ、
「上に立つ者は、常に大きな因果に巻き込まれるもの。多少の遅刻は許していただきたいものですわ」
「……それで、ご令嬢様がはた迷惑にお嬢様出勤して、一体なんの質問があるっていうんだ?」
「ええ、もちろんありますわ! ありまくりの有馬温泉ですわ!」
困惑気味に見つめるクラスメイトや担任やわたしをよそに背後の教室の真ん中にしっかりと立ち、腕を組んで訊く。
「あなたはこの輝星ヒジリにぶつかり、さらには頭にカバンをぶつけて地べたを味わわせ、頬に擦り傷まで作らせ、挙げ句の果てにはそれを置いて逃げやがりました」
恨みを込めた言い方でつらつらと語り、そのままじっとこちらを見る。
「土下座のひとつくらいないのですか?」
「それは……質問か?」
「先生はお黙りくださいまし! 私はそこの小娘に聞いてるんです!」
「同い年に小むす……いやまあ、うん……」
担任は肩をすくめながら、申し訳なさそうにこちらを見る。
「なんかよく知らんが、痛かったから謝ってほしいそうだ」
「違いますわ! 誠意を見せろということですわ!」
「あ、えっと……」
なるべく彼女には目をつけられたくなかった。
わたしはすぐに地面に両手両膝をつけて、しかるべき体勢を取る。
「土下座ってこれでしたよね? ……ごめんなさい」
担任に一度訊いてから、答えを待たず床に勢いづけて額を付ける。
見えない方々から、ざわめきが起きる。
まさか、土下座の姿勢を間違えてしまったのだろうか。
おそるおそる顔を上げると、輝星ヒジリがおぞましいものを見るような目を向けているのが見えた。
クラスメイトの困惑の顔が、今度はこちらに向けられている。
そんな気まずい空気のなか、呑気な調子でチャイムが鳴った。
「……あ、あー……も、もうホームルーム終わりだな。はい、ホームルーム終わり! 一時限目の準備入って! 土下座もやめろー!」
担任が大袈裟な動きで黒板の名前を消して、方々に声をかけていく。他の生徒もわずかにためらいながら、それに従っていく。
「あっ……ぁ……、えっ……」
輝星だけが、ただ一人呆然としている。
自分から言っておいてなぜ混乱してるのか。恨みがましくそう言いたかったが、こっちもだんだんと恥ずかしくなってそれどころではなかった。
ここでひとつ、悲しいお知らせがあります。
なんと、よりによって、わたしの隣の席が輝星だったのです。
「…………」
「…………」
お互いに、気まずい空気のなか席につく。
教科書はあらかじめ用意されていたため、わたしはすぐにカバンを開く。
「あっ……」
開けたカバンの中から、剣の柄が飛び出してしまった。
「っぷは! あー、苦しかった!」
「ちょっ、いつの間に——」
周囲を見回し、柄をカバンの奥へと一気に押し込む。
しまった、魔剣が勝手にわたしのカバンに入ってきちゃった。
そのまま声をひそめて、カバンの中に向けて怒る。
「ちょっと、なんで来ちゃったの! てか、さっきいなかったよね! ダメじゃん、魔剣が勝手に学校来たら!」
「なんで魔剣が学校に来たらダメなんだよ! 魔剣が学校に行っちゃいけない校則なんかなかっただろ!」
「君そのままだと不要物なんだよ! 先生に没収されちゃうよ! てか、いまはそういう問題じゃなくて——」
とっさに輝星の方を向く。
なにか気がかりな様子で、こちらを食い入るように見つめていた。
「な、なに、いまの……」
「あ、あー、えっと……間違えてテニスラケット持ってきちゃったんだ、秘密ね」
「なぜ……」
疑いの目を向けながらも、こちらの正体に気づいている様子はない。
わたしは息をついて、カバンの中で暗く紫光を放つ魔剣の鞘を見る。
「とりあえず! 今日は余計なことしないでね。もし聖剣聖女にバレでもしたら、こっちが動きにくくなるんだから!」
「聖剣聖女……?」
小さく言った言葉に、輝星が耳ざとく反応する。
まずい、話を聞かれたか……?
すぐに輝星の方を向く。しかし予想に反して、彼女は目をきらきらと輝かせて楽しそうな顔をしていた。
「聖剣聖女をご存知なのですね?」
「あ、うん……SNSで聞いただけなんだけど、ね……」
「実は私、聖剣聖女だったりするんですの。ほら、聖剣だってちゃんとありますわ」
彼女はカバンから鞘つきの白銀色に輝く1メートルほどの聖剣を取り出す。鞘には、色とりどりの宝石が飾られている。
「どもども、聖剣ブライトジャスティスです〜。ヒジリちゃんと血の契りを交わした聖剣です。ヒジリちゃん、やかましい子と思われるでしょうが、どうか仲良くしてくださいね〜」
「しかも、このように喋りますのよ。少し鬱陶しいくらいですけど」
「学校に、聖剣を……?」
「当然ですわ! 聖剣聖女たるもの、たとえ学校でも聖剣を持ち、しかるべき時に備えるものですから!」
輝星は胸を張ってそう語る。
そんな彼女の横で、聖剣が苦笑いの声を上げながら、
「まあ、わたしでカバンの中かさばらせて、置き勉しちゃうのはどうかと思うんですけどね〜」
「学業など必要ありませんわ! 聖剣を持ったその時点で、私はすでに選ばれし者ですので!」
「バカに仕える聖剣の気持ち考えたことありますか〜?」
「バカですって! こいつ……!」
両手で聖剣の鞘を絞め始める。
チャイムが鳴って、一時限目の教師が入ってくる。わたしは急いでカバンから教科書やらノートやら筆記用具を取り出して机に出し、すかさずチャックを閉める。
「ほい、授業始めっぞー」
「やっべ、石野ですわ……!」
「輝星は聖剣没収なー。放課後取りに来るようにー」
「あちゃ〜、またですか〜」
石野と呼ばれた中年の教師がまっすぐこちらへ来て、彼女の手から聖剣をかすめ取る。
石野は聖剣を黒板の横に立てかけて、教科書を開く。
「大変失礼しました〜あの子にかまわず授業始めちゃってくださいね〜」
「大丈夫……ヨゴレさえ……ヨゴレさえ出現すれば、すぐに返してもらえますわ……」
輝星は教科書も出さず、ぶつぶつ呟いて両手を合わせて祈っている。
今日はヨゴレは出ないよ。教科書とノートを開きながら、あんまりにいたたまれなくてそう言いたくなった。しかし、言えるはずもない。
わたしと彼女は、敵同士だから。
聖剣聖女と、魔剣旅団の魔剣魔女。魔剣旅団はヨゴレという物や生命を触媒にした怪物を生み出し、聖剣聖女はそれを倒す。そして魔剣魔女は、聖剣聖女を
平穏無事な学校生活を送りたいのならば、彼女にやたらと関わりあってはいけない。
これっきりにしなきゃ。どうにかそう心がけて、授業に集中する。
「昼のいままでヨゴレが出てこないってどういうことですの!」
机を真正面にくっつけた彼女が、ぶつぶつと呟いている。
関わり合ってはいけない、んだけどなぁ……
お盆の上のシチューをスプーンで口に運びながら、気まずい気持ちで彼女から視線を逸らす。
「ああ、不味いですわ! 食材が泣いてますわ! なにが給食ですか! グリンピース本当に邪魔! これならうちの家の残飯の方がまだマシですわ! ヨゴレは出ないし給食は不味いし、本当に最低ですわ!」
無理やり口に押し込みながら、彼女がわめき続けている。
同じ班の三人が、とても肩身を狭そうにしている。
聖剣聖女が給食に文句つけるのはどうなんだ。せめて表向きくらい、人のお手本になるべきじゃないのか。
そこらへんについては、わたしにはどうでもよかった。しかし、人が楽しもうとしている学校生活にケチをつけられて、すごく腹が立っていた。
「……聖剣聖女が、食べ物にケチつけるんだね」
「もちろん食べますけどね。どんなに汚物じみてても、食べ物を残す者は軟弱者ですから」
「じゃあ黙って食べなよ。友達失くすよ」
「……そんなもの、いませんわ」
憂いを帯びた顔で、彼女が吐き捨てるように言う。
まあ、それもそうか。わたしが来る以前からこんな態度してたら、当然友達だって失くす。
「私には、聖剣がありますから。聖剣聖女である限り、私に友達はいりませんわ」
「……ごめん」
「謝られる理由が分かりませんわ。平民ごときが同情などしないでくださいまし」
……なんなんだ、こいつは。
そう思いながらも、どうにかそれをちぎったコッペパンと一緒に呑み込む。
こいつ以外と関わろう。そっちの方がずっと早い。
わたしはこれ見よがしに、同じ班の輝星以外の女の子に話しかける。
「あの、
「ひっ……あっ、えっと……」
怯えたのか、わたしが話しかけるとともに、びくんと身体を跳ね上がらせる。
あっ、ダメだ。
おそらく、ホームルームの土下座の件が一番の要因だったのだろう。今になって、素直に土下座してしまったことを後悔する。
「あっ、ごめんね……やっぱ、なんでもない……」
「いや、別に……ごめんなさい……」
多分、他のクラスメートからもこうなのだろうか。そう思うと、なんだか急につらくなってきた。
「気のせいかしらね。あなたも充分友達いないように見えるけど」
「……君のせいでしょ」
「まあ聖剣聖女の頬を傷つけるようなうつけ者ですからね。友達もできなくて当然ですわ」
言いながら、ここぞとばかりに頬の絆創膏をスプーンの尻で指し示す。
内心苛立ちながら、どうにか給食の方に集中してやり過ごすことにして平静を保つ。
「死ね。嫌いです。関わらないでください」
「死にませんし、嫌いで構わないですし、いやでも関わってさしあげますわ」
机の下で、足が上履き越しに蹴りつけられる。輝星の仕業だ。
最初は無視しながらも、気づけばわたしも給食を食べながらやり返していた。
それがなぜか、ちょっとだけ楽しくなっていた。
授業はそこそこ楽しかった。自分の知らないことを知るのは、いつだって楽しいものだ。
そうして、放課後になった。輝星はいま、職員室に聖剣を取りに行っている。
いまがチャンスだ。
わたしは校門を出て、カバンから魔剣を取り出す。暗色の宝石を飾る鞘を抜くと、近くの森のお地蔵様に魔剣をかざす。
すると、みるみるうちにお地蔵様は巨大化し、土台の底から無数の蔓が伸びて触手のようになる。いわゆる、ケガレというやつだ。
魔剣パンデミックローグ。刃から魔粒子を振り撒き、たちどころに万物をケガレに変える。この存在ひとつで聖剣聖女にとって忌むもので、これを人のまま扱えるわたしはまさに敵そのものだ。
「しかしいいのかよ、クルイ? 普通の学園生活送るのが夢だったんじゃないのか?」
「……このままじゃ、ダメな気がしたから」
「は……?」
「あの子といるのが、ちょっとだけ楽しかったんだ。このままあの子と仲良くなったら、わたしの剣が鈍りそうになると思ったから……」
「オレは鈍らんぞ」
「君じゃない。いま、わたしの話してるところなの」
「……わけ分かんねえ」
お地蔵様が頭を振りながら、木をなぎ倒していく。
このままいけば、そのうち学園を破壊してしまうだろう。しかし、その前に聖剣聖女は絶対に来る。
わたしはいままで、彼女を見てきた。何度かケガレで小手調べして、その度に確信していた。
彼女は絶対来る。手遅れになる前に、絶対に来てしまう。
「でりゃああああああああぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」
ケガレと化したお地蔵様に一筋の光が差す。否、それは一閃の軌跡。
巨大なお地蔵様の首から上が、ぐらりとバランスを崩すように落ちる。
「地蔵を盾に取るとは、卑劣漢!」
「まあね……しかし、そのお地蔵様の首を飛ばす君も大概じゃないかな」
「当然ですわッ! 私は神仏でなく、私を信仰しているのですからッ!」
その姿はなく、声だけがある。その間にも、無数の太刀筋が、うごめく蔓を切り落としていく。
そうして間もなく、首の斬れたお地蔵様に縦一閃の光を見る。遅れてお地蔵様が綺麗に真っ二つに割れ、その間から人影が姿を現す。
剣を構えたままの、金髪縦ロールの聖剣聖女。聖剣の加護により全身は黒いプロテクトスーツで包まれ、その上に白銀色の胴と籠手と足鎧を纏わせている。
彼女はわたしをまっすぐに見つめて叫んだ。
「どういうことですの! なんで、クルイが……!」
「なんでって、そりゃあ……」
おどけた調子でダテ眼鏡を外す。そのまま開いたカバンに落とし込み、魔剣を構え直す。
「聖女の聖剣を折り、聖女を完全に屈服させる。そのために、わたしはあの学園に来たんだよ」
魔剣の瘴気が濃くなり、魔粒子がわたしの身体にまとわりつく。
白いプロテクトスーツが身体を包み、その上に真っ黒な軽鎧が纏われる。聖剣聖女と鏡写しであり、完全に色の逆転した姿。
プロテクトスーツの張りつく場所から、ぴりぴりと刺激が走る。それが魔剣魔女の、わたしの戦闘本能を刺激する。
聖剣をへし折り、加護のついたまま死の寸前まで追い込み、心までも折る。そうして、いまだ使われていない魔剣の実験体として本部に持ち帰る。それを今日のうちに終わらせる。
「前に一度会ったよね? なんでわたしのこと、気づかなかったのかな?」
「直接仕掛けてこなかった姑息な雑魚のことなんか覚えてませんわ!」
「……うん、やっぱりわたし、君のことが嫌いだな」
「おあいにく、私もあなたのことなんか嫌いでしたわ!」
わたしが走り出した時、ヒジリもまた姿を消す。ほぼ同時に、敵のいる場所を斬り込む。
刃と刃が擦れて、火花が散った。一瞬の鍔迫り合いの後、剣を押す勢いのまま後退する。
瞬時に木を蹴って跳び上がり、今度は上空から斬り込む。しかし、向こうも聖剣を斬り上げ、こちらのバランスを崩しにかかる。
「同じタイミングで追ってきて、気持ち悪いッ!」
「そちらが私の美しい太刀筋をパクっているだけでしょう! あなたは私を覚えていたらしいですし、ねッ!」
力技でこちらを強引に叩き落とそうとする。一瞬、身体がぐらつきながらも、どうにか立て直して背後の樹の葉の中へと逃げ込む。
枝と枝の隙間をすれすれで通り、かしぐ前に幹の太い場所へと移る。木の幹に魔剣をかざし、魔粒子で急成長させる。
そのまま隣の樹へと瞬時に移り、また魔剣をかざす。
「大口叩いた割に、逃げるつもりなのですね! チキンですわ! 私の頬に傷つけたやつとは思えませんわ!」
あいつ……!
内心苛立ちを覚えながらも、どうにか冷静に作業をこなしていく。
半周に入って、彼女の罵倒はなおも続く。
「バーカ! アーホ! 食パン! 土下座! ボッチ! 短気! 厨二!」
「おいめっちゃバカにされてんぞ」
「……いいよ、後で後悔させるから」
だいたい彼女のまわりを一周して、さらに奥の樹に身を潜める。
ヒジリを囲む樹々が、次々とケガレに変化する。そのまま枝を伸ばし、全方位から彼女の身体を串刺しにしようする。
しかし彼女はうろたえる様子もなく、不敵に笑うだけだった。
「やっぱり姑息で陰湿ですわねッ! 根暗の考えは、手に取るように分かりますわッ!」
円を描くように聖剣をぶん回す。輝く聖剣の聖粒子が拡散し、ケガレたちの身体を崩壊させていく。あるべき姿に戻していく。
聖粒子がこちらにも迫る。このままでは、こちらは相反する粒子の毒により火傷を負わされる。
突っ切るか、逃げるか……
「また逃げるのですか? わずか一日で転校ですか? 登校したらしたで不意打ち食らわせてさしあげますけどね! まあでも、あなたにそんな勇気があるとも思えませんが!」
……魔粒子の霧で全身を包み、その中心へと走りだす。
粒子は相殺され、その奥へ。
わたしも彼女も、お互いのことが見えていない。これは思い切りと勘の勝負だ。
だけど、わたしは絶対、ヒジリを屈服させる。今日そうしなきゃ、明日はきっと難しくなってしまうから。
輝く霧の中へ、飛び込んだ。
そこには、自信満々にこちらに向けて構える彼女の姿。
「安心しました! ちゃんと勇気のある方でしたのね!」
「ああ、そうだよッ! 訂正させてやるッ!」
「それでもまあ、答えは変わりません! 私もまた、あなたを虐めて虐めて虐めて虐めて、精神的に追い詰めてでも、あなたの魔剣を折ってさしあげますわ!」
「折れるのはそっちだよッ!」
一閃、一閃、一閃、一閃……
聖剣と魔剣の刃と刃が交わり、方々に火花が散る。落ちた火花が雑草へ落ち、焦がして足元で炎を拡げていく。
身体がひりつく。息が苦しい。聖剣からほとばしる聖粒子を間近で浴びているためだろうか。
「魔剣なんかダサいですわッ! そんなものにすがるのはやめて、私という英雄を崇め奉りなさいッ!」
「誰がバカのこと崇めるんだッ! 自惚れが過ぎるんだ、鏡見ろッ!」
「はッ! 鏡なんか、飽きるほど見てますわッ!」
「どのみち、魔剣のことなんかどうでもいいッ! それより、お前のような自惚れたやつをブッッッッ壊したいッ!」
一閃、一閃、一閃、一閃、また一閃……
気づけば火花による炎が、わたしたちを囲み草木を燃やしていた。お互い少しずつ息を切らしていき、揺らぎが生まれる。
揺らぎを見つけ、そこを斬る。今度は逆に見つけられ、そこを斬られる。それをお互いどうにか避けて、ただ軽い切り傷に留める。
痛い、痛い、痛い、痛い。
至る部分の傷口から聖粒子が染みて、少し泣きそうだった。
「降参、するなら、今ですわ……まあ、魔剣は、折らせていただきますが……!」
「それは、こっちの、セリフだよ……! いまなら、軽い、拷問で、許してやる……ッ!」
意識が
一閃。
お互いの最大の粗を見つけて、斬る……!
「ぐッ……」
口の中で、血の味が広がる。粒子の毒気に当てられすぎた。そろそろ危険だ。
目だけで、ヒジリの方を見やる。
彼女の身体がぐらりと
彼女の手から、聖剣が離れる。
「ヒジリちゃん! 大丈夫ですか! ヒジリちゃん!」
聖剣の悲痛な叫びで、勝利を確信した。
口端から血が溢れるのに構わず、笑みが浮かぶ。
やった、ついに果たした。あとは聖剣とこいつの心を折るだけだ。
輝く霧は晴れて、濁った霧に覆われる。
地面に突き刺した魔剣に寄りかかり、しばしの休息を取る。
仲間の手を借りながら、ヒジリを旅団の用意した家の地下室へと運んでいった。そうして彼女から聖剣を奪い、加護を失わせ、拘束し、魔剣の瘴気を浴びせていった。最初は反抗的な目の彼女も、次第に瞳が死んだようになっていった。
そうして、一週間が経った。
手錠に後ろ手で拘束された下着だけのヒジリに、魔剣をかざす。
「あ、あっ、ああッ、いぁッ、あぐァ、ァ……」
髪を振り乱し、魔粒子から逃れようとする。一般人ならば一瞬でケガレに変化するところを、彼女は一週間経った今でも耐えている。
本当に、強いと思う。わたしだって、本当にギリギリだった。
「ヒジリ? まだ屈しないの?」
「…………」
答えの代わりに、唾が顔に吐きつけられる。
ああもう、これだからやめられない。一週間経った今でもこうだから、それが逆にわたしの熱を高ぶらせる。嗜虐心が高まっていく。
張り付いた唾に構わず、彼女へ笑いかける。
「いけないなーもう。聖剣聖女が人に唾を吐きつけるなんて。プライドなくなっちゃったの?」
「…………」
「旅団の人たち、もうここら辺はケガレでだいぶ荒らしてるっぽいよ。他の地区の聖剣聖女が到着した頃には、街の人のほとんどがケガレになっちゃったって」
「……わ」
「え? 何? なんか言った?」
「……ますわ」
「ごめん、もう一回」
「……殺し、ますわッ!」
叫びとともに、魔剣の魔粒子の濃度を上げる。
黒い霧の舞う中、ヒジリの呼吸が激しくなり、やがて前のめりに嘔吐する。胃液で黄色く濁ったシチューが、床へとぶちまけられる。彼女の口からは唾液が垂れ続け、目から涙がこぼれて、呼吸が嗚咽でさらに乱れる。
さすがにこれは死ぬなと、濃度を少し弱めた。一般人なら充分壊れるが、彼女には充分耐えられる程度だ。
「聖剣聖女、くるかなー? ヒジリの日頃の行いが悪いから、きっと無視しちゃうかもしれないなー?」
「……きらい」
「ん?」
「きらい、きらい、きらいきらいきらいきらいきらいきらい——」
「なにが?」
「お前、絶対に殺してやりますわッ!」
「聖剣もう折っちゃったのに?」
「折れてても、殺しますわッ! 絶対に、必ず、どんなことをしてでも、たとえこの身を捨ててでもッ!」
「…………」
ああ、やっぱり楽しい。
彼女の悪意が、殺意が、執念が、気持ちいい。
彼女との出会いが人生最高の出会いと言えるほど、心がひどく熱くなっていた。
君が聖剣聖女でよかった。わたしが魔剣魔女でよかった。
お互いに、敵でよかった。
気づけば、彼女を抱きしめていた。ほとんどなにも着ていない彼女の身体から、心音がじかに感じられる。
「きも、い……!」
「……殺して」
「は……?」
「わたしのこと、殺してみて」
ヒジリのおぞましいものを見る視線が、痛いほど突き刺さる。それがひどくぞくぞくする。
わたしはひとつ、嘘をついていた。わたしは彼女の聖剣を、折らずに別の場所へ保管している。
いつか彼女がわたしを出し抜き逃げ出した時、彼女は聖剣を見つけて手に取るだろう。そして、最高潮の悪意を引っさげて、真っ先にわたしを殺しにくるはずだ。
それはきっと、この世のどんなものよりも気持ちが良いのだろう。そのためなら、殺されたっていい。
彼女なら、きっと最後の最後に勝ってくれる。敵である彼女に対し、確かにそんな信頼があった。
君が敵でよかった。 郁崎有空 @monotan_001
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