第26話 やっとだね
家賃。家賃。
それを僕は、知識では知っているけど。真愛ちゃんにとって、どれだけ家計を圧迫しているかは、僕には分からない。ひとり暮らしをしたこともなければ働いたこともない。部屋を借りるということを、その体験を知らない。
僕は自分に怒りと、呆れを感じた。何を、のうのうと。休みの日に食事をご馳走になったりしていたんだと。何を、『大丈夫』の言葉を鵜呑みにしていたんだと。
8月末に、今のアパートを出ていかないといけないのに。次に住む所が決まってないほど。切羽詰まってるんだ。
「……不動産屋には?」
「行きました。……取り敢えず応急でなら、2万円の何もない部屋があるそうで。でも荷物も入らないし、お風呂もトイレも無いし、冷蔵庫も洗濯機も置けない所だそうで」
「…………なるほど。優愛ちゃんのことも考えると、急いで普通の部屋を借りる為に、夜のバイトを」
「はい。それと、小学校の準備も今からやっておかないと」
「…………なるほど」
どうして僕は、父さんがマイホームを建てられたんだろう。どうして母さんは専業主婦ができてるんだろう。どうして。
僕には両親が居て、優愛には居ないんだろう。
それが、不思議で仕方ない。どうしてそんなことが起こるのか。
「変なこと訊くかもしれないが、行政からの手当は?」
「……出産の時は、それどころじゃなくて申請できませんでした。それに、両親が助けてくれると思ってましたし。……給付金は、高校卒業してすぐだったので、受けられませんでした。児童の方は毎月貰ってます。……けどちょっと。今回は、タイミングもあって。……お家賃が払えなくて」
「こーちゃんだよ」
「!」
優愛の声が、テーブルに突き刺さった。この難しい話は僕にはよく分からなかったけど。
「こーちゃんにずっとお金をあげてたから、無くなっちゃったんだよ」
「優愛……っ」
こーちゃん、とは。真愛ちゃんの元カレだ。僕が彼に怪我をさせられた事件で、逃げるように去って見掛けなくなった。けど。
そうか。交際費を。育児するためのお金で充ててたんだ。
「……わたしが一番悪いのは分かってます」
でもそれでも、今まではなんとか回せてたんだ。やっぱりバイトをひとつ辞めることになったから。皺寄せが来たんだ。
「把握したわ」
「母さん」
母さんが頷いた。
「重明。貴方のお陰で、その『男』を追い払ったのね」
「!」
「そうでしょう? 真愛さん」
「はい。……シゲくんが居なかったら、もっと辛かったと思います。別れ話をしても。生活が苦しいと言っても。聞き入れてくれませんでしたから」
「優愛ちゃんに被害が行かなかったのは幸いね。今ニュースでもやっているもの。シングルマザーの交際相手が、子供を虐待する事件を」
母さんも父さんも、僕が入院することとなった原因を、詳しくは知らなかった。曖昧にしか説明しなかったからだ。当時のふたりも、それ以上追求しようとしなかった。
「どうする? どう思う。シゲ」
「…………こんな時も、『僕』?」
「お前の家族だ」
「!」
父さんは僕に訊ねた。『僕に』だ。久和瀬でもそうだった。どうして僕に、何かを決める権限があると思うんだろう。家長なら父さんじゃないか。
けど。目配せで分かった。きっと、父さんも僕と同じことを考えている。
「真愛ちゃん」
「うん……」
呼ぶと、目を合わせてくれた。手はまだ母さんと繋がっている。不安そうな表情だ。絶対に、どうにかしてあげたい。どうするか? だって、答えは殆ど決まってる。
「ウチに住めば?」
「!!」
真愛ちゃんが目を丸くした。え? という顔で、キョロキョロと僕や父さんを見る。
「部屋なら余ってるしさ。まあ……取り急ぎの応急でも。何もない部屋に2万円払うならさ、駄目かな、父さん」
「お前の『姉さん』だろ? 何が駄目なんだよ」
「!!!」
信じられない、といった顔になる真愛ちゃんは。口を押さえておでこをテーブルに付けた。うずくまるように、すすり泣き始めた。
「……良いアイデアだと思うわ。子育てだって一緒にやれば負担は減るし。家事は……貴女が働くなら私がやるし」
その震える背中を、母さんがさする。それは本当に、『娘』や『妹』に対するような優しい手付きで。
「……金銭的な援助はできないよな? 母さん」
「ええ。だけど家賃も光熱費も請求しないし、お弁当込みで三食私が作るわ。貴女は働かなければならないけど、今までみたいな無茶なシフトは組む必要無いわよ」
「……ぅぅっ!」
真愛ちゃんが抱えていたものが全部、今決壊して流れているみたいだ。
「父さん。なんか手続きとかややこしいのかな。適当に思い付きだったけど」
「別に。役所で住所変更するだけだ。続柄を『娘』にはできないけどな。まああれなら、住所はご実家に戻したままでも構わないが、それだと保育所や学校での手続きがややこしくなるかもな」
「ここが良いです。住ませてください」
「……だとさ」
僕らは家族だ。だけど、血は繋がってない。僕と父さん、悠太と母さん、優愛と真愛ちゃんは直接血縁で親子だけど。
引っ括めて、家族。父さんと母さんが認めてくれるなら、もう真愛ちゃんは家族だ。
「なあ優愛」
「はーい。なーに? おにいちゃん」
「皆でここに住むことになったけど、良いかな」
「おにいちゃんと一緒に?」
「ああ」
この時の、優愛の言葉が。感想が。印象強く残ってる。
「やっとだね」
「!」
まるで、当たり前なのに、今までがおかしかったかのように。
「……うん」
この子は本当に偉いなと、頭を撫でてあげた。
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