第15話 じっくりもやもや

 後で知ったことだった。真愛ちゃんが、母さんと連絡先を交換していたことは。


「……ただいま」


 18時03分。帰宅。今日も暑かったなと感じる、涼しい風が僕を歓迎する。同時に、冷たい空気も。

 まず、シャワーを浴びたい。すると、リビングへ行って着替えなんかを持ち出す必要がある。あの明かりの所へ。母さんの居るリビングへ。


——


「…………?」


 カチャカチャと。

 真愛ちゃんのアパートで聞いた音が、ここでも聴こえた。リビングの奥。L字になっているキッチンから。普段、誰も使わないオーダーメイドキッチンから。


「………………」

「……!」


 不思議そうに見ていると、母さんと目が合った。

 何か言おうとしたけど。何を言って良いか分からなかった。母さんは料理をしていたのか。ああ、悠太に何か食べさせていたのかな。そのくらいでなら、キッチンは使うか。確かに。


「……手洗い、うがいをしなさい」

「えっ」


 声が出てしまった。びっくりして。

 母さんが。僕に。

 今。『躾』を?


「……はい」


 洗面所へ一目散。『はい』なんて余所余所しく返事して。

 確かにいつもはやってなかった。癖付いて無いんだ。大事なことは知っているけど。

 ……確かにそうだ。思えば。悠太は置いておいても、優愛とか。ちっちゃい子供と触れ合うんだから、手はいつもよく洗っておかないと。……ああ、真愛ちゃんちではやってたな。

 家に帰ると、調子が狂うんだ。母さんが居ると。


「……お風呂、沸いてるわ」

「!」


 着替えは持ってきてない。リビングへ戻ると。また、母さんが僕に話し掛けた。

 今日は、どうしたのか。こんなこと、今まで無かった。


「作りすぎたから。好きにしなさい」


 そう言い捨てて。

 母さんは子供用の椅子に座っていた悠太を抱き上げて、寝室へ向かっていってしまった。


「………………!?」


 意味不明だった。あれは誰だ? まさか母さんじゃない。そんなことが過って。

 キッチンへ向かうと。炊飯器には、炊きたての白米と。

 蓋がされたお鍋には。クリームシチューが入っていた。


 作りすぎたとか、余ったとかいうレベルじゃない。こんなの、明らかに。

 僕の為に、夕飯を用意してたんじゃないか。


「…………!」


 何が起きているのか。分からなくて停まってた。しばらくして、汗がクーラーで冷えてきて。そうだお風呂だったと思い出して、脱衣所に向かった。


「…………なんなんだ、ほんと」


 洗濯籠があった。

 『入れなさい』と。言われてると感じた。

 いつもはこんなことは無い。洗濯も自分でやっていたから。


「…………入れるけど。後でのけられてたらショック受けるよ僕」


 まるで『家』みたいだ。びっくりすると同時に、さっきの真愛ちゃんを思い出した。

 てっきり晩御飯も食べるもんだと思ってたけど。帰された。

 真愛ちゃんは、知ってたのか? 母さんがシチュー用意してたこと。どうしてだ?


 もやもやしながら、脱いだ服を籠に放り込んで、浴室へ向かった。


——


——


『どうでした?』


『駄目ね。お帰りなさいが言えなかった』


『これからこれから!

 ご飯は?』


『まだ、分からない。今お風呂』


『浴槽浸かってますか?』


『多分』


『一緒に食べないんですか?』


『それは無理』


『まあじっくり行きましょう(>_<)』


——


——


 次の日。

 優愛が公園で遊びたいと言い出したらしく、真愛ちゃんのバイトの間、お店の託児所ではなく僕が預かることになった。なんでも、縄跳びとか運動がしたいのだそうだ。


「……行ってきます」


 試しに。言ってみた。本当、試しに。


「…………っ……ゃい」

「!」


 小さく。聴こえるか微妙な声で。

 母さんが、僕を見送ってくれた気がした。

 何なんだろう。本当に。あのシチューは風呂上がりに食べた。作りすぎたって言ってたけど、あれじゃ作りすぎ『過ぎ』だ。完全にひとり分あった。

 母さんとは会っていない。ずっと寝室で、悠太の世話をしている。その声が漏れてきてるんだ。本当、楽しそうな声。母さんが、『母さん』をしている声。……僕も、昔は聞いたことがあると思うんだけどな。もう思い出せないや。


——


——


「見てて! ねえおにいちゃんっ」

「見てる見てる。やってみな」


 公園にて。

 やはり汗だくで、優愛は必死に縄跳びを練習している。最初は上手くできなかったけど、何回か目で感覚を掴んだらしく、もう危なげなくぴょんぴょん跳んでる。運動神経良いんだなあ。僕とは大違い。


「できた! できてる! ねえ!」

「上手い上手い。優愛天才だ」

「えへへへへ!」


 久々にガッツリ優愛と遊んだな。真愛さんが夕方のバイトを辞めてしまってから。これからどうするんだろうか。ふたつ掛け持ちでもギリギリだって言ってたけど。


「おにいちゃんおしっこ!」

「はいはい。行ってきな。じゃ休憩だ。お昼食べよう」

「うん!」


 公園には当然だけどトイレがある。優愛はひとりで行くけど、僕に報告するようにしてる。トイレは僕らがいつも居るあずまやから見える場所にあるから、特に心配はしてない。目を離さないようにしていれば。ていうか5歳でひとりでトイレできるのは早いんじゃないだろうか。


——


「——こんにちは」

「?」


 12時16分。

 優愛のトイレを待っている時に。

 不意に話し掛けられた。振り向くと。


「ちょっと良いかな」

「えっ?」


 僕の学校の制服を着た女の子だった。

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