第14話 レベル
8月1日。とっくに夏は来ていたけど、『夏休み感』を味わうのはこの日だった。だってずっと、エアコンの効いた病院のベッドだったから。
特に問題なく。僕は退院した。入院なんて初めてだったから、振り返ってみれば楽しかったかもしれない。不謹慎かな。毎日お見舞いに来てくれて嬉しかっただけだと思うけど。
「おにいちゃんたいいんおめでとー!」
「ありがとう優愛。よいしょ」
駆け寄ってきた優愛を抱き上げる。ちょっと重く感じたのは、この1週間全く動いてなかったからかな。もう汗びっちょりだ。
ふと真愛さんの方を見ると、うんうんと何度か頷いていた。
「真愛さん」
「うん。……良いね」
「?」
因みに、父さんは仕方ないとして、母さんも来てない。退院の日と時間は、連絡したんだけどな。
まあ最初からあんまり期待してないし、別に良いけど。結局、最初の1回しか、お見舞いに来てくれなかったな。
母さんより、このふたりの方が僕の『家族』だよ。実質。
「じゃ、行こっか」
「えっ。どこに?」
今日は、休みを取ってくれたらしい。嬉しすぎるけど、少し心配でもある。そもそも、夕方のバイトを辞めてしまったんだから。
と、思いながら優愛を降ろした途端に。僕の手が熱を持った。
「えっ」
「まずは腹拵え! でしょ! ウチ来なよ。ね」
「……!!」
手を。真愛さんが僕の手を取って。
心臓が爆発した。いや、『姉弟』という設定ならしてはいけないんだけど。
僕は、当然ながら真愛さんと触れ合ったことはない。抱っこした優愛の受け渡しの時に一瞬触れた、程度しか、今まで無かった。そりゃ、実の姉弟だってベタベタするものじゃない。
けど。
「この前は流れちゃったから。改めてご馳走させて?」
「……っ!」
僕の手を引いて、振り返って笑う真愛さんを。
直視できなかった。
——
——
「ねーこれわかんない!」
「おっ。知恵の輪?」
食後に、優愛が僕に渡してきたのは、金属の塊。なんか妙な形のふたつのパーツが絡まり合っている。
「それさ。百均とかであるんだよ今。結構難しいよ? レベル1でも」
「レベル?」
「そ。難易度。パッケージに☆が書いてあって、レベル1から3まであるの。わたしは全然、レベル1でも無理だった」
カチャカチャと、洗い物をする真愛さん。カチャカチャと知恵の輪を動かす僕。
ああ勿論手伝おうとしたんだけど。ちょっと、キッチンがさ。人ふたりは入れない感じで。
「うーん……。こうかな」
「それやったよ」
「うーん」
知恵の輪をそんなにやった記憶は僕にも無い。でもなんか、カチャカチャやってる間に優愛が夢中でそれを見てて。僕の膝に乗ってくる。熱い。ていうか暑いんだけど。
「おっ? 取れた」
「え——! もっかいやって! なんで!?」
適当にやっていると、なんか取れた。もう一度は、できそうにない。レベル1だと、こんな感じなのか。2や3だと適当じゃ無理そうだな。
「……今度はくっ付けられないな」
「え——!」
なんだろう。
優愛と遊ぶのって、めっちゃ楽しいんだけど。これ僕だけなんだろうか。めっちゃ楽しい。ぐるんぐるん変わる表情とオーバーリアクション。とびきりの笑顔と、可愛らしい仕草。
「ほら取れたよ。付けられないけど。……真愛さん?」
洗い物が終わったらしい真愛さんの方を見ると、またうんうんと頷いていた。なんだろうあれ。
「うんうん。ていうかさ、お父さんに『シゲ』って呼ばれてたよね。わたしも呼んで良い?」
「!」
急に。
こんなこと言うんだもの。真愛さんは。
「シゲくんて」
「……良いけど」
「じゃあ、わたしは真愛ちゃんね。お姉ちゃんでも良いよ」
「うっ」
ただでさえ。下の名前で呼び合うことでさえ、恥ずかしかったのに。
シゲくんて。
いやそれよりも。
「……流石に、あれだね」
「あれってなにさー。ほれほれ、真愛お姉ちゃんって」
「いやいや。……じゃあ、真愛ちゃん」
「良い——ねっ! もっかい!」
「……真愛ちゃん」
「い——! ああ、やっぱわたし昔から弟欲しかったんだぁあ」
女の子を、下の名前でちゃん付けなんて。保育園以来かもしれない。多分。僕が呼ぶ度に捻れる真愛ちゃんを見るのも、なんか楽しいけど。
難易度(レベル)は、高い。
——
「後さ、海かプールだよね。夏と言えば」
「あ——……」
「なーに、そんな乗り気じゃ無さそー」
この夏、何をするか会議が始まった。優愛はお昼寝中。扇風機の『微』に当たりながら、さらさらの髪を揺らしてる。
エアコンは付けてるけど、そこまで低くしないらしい。電気代とか、そういう理由なんだろうか。
「泳ぎは苦手で」
「えー。じゃ教えたげよっか。真愛ちゃん先生が」
「……あ——……」
「なにさーっ」
海。プール。水着。……これ以上はやめとけ僕。
「あと映画とー。キャンプ……は難易度高いか。あっ。お祭りあるじゃん。ね。浴衣レンタルとかあるよね。わたし着方分かんないし」
「……お祭り良いね。優愛もテンション上がりそう」
「おっ。反応した。じゃお祭りは決定ね。シフト空けとかなきゃ。いや、退勤後で間に合うか。そっか。何日だっけ」
浴衣姿の真愛ちゃんを想像した。いや美人すぎる。優愛は、優愛も似合うだろうなあ。美人親子かよ。
「あっ。そろそろ帰りなよ」
「えっ?」
17時43分。
唐突に、真愛ちゃんが切り出した。
「早く早く。ほらほら靴履いて」
「へっ? えっ?」
「いーから。じゃまた明日ね。って、予定聞いてなかった」
「良いよ。17時頃に公園?」
「いや、もう直接ここ来てよ。半には帰ってるから」
「分かった。じゃあ」
背中を押されて。急かされるように。
「?」
アパートから出た。
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