02

 夕暮れの射し込む、教室。


「先生」


 ふたりきり。


 他の生徒に見られても、あやしまれない、普通に補修を受けているように見える距離。


「わたし。先生を好きになってよかったです」


「そうですか。それはよかった」


 先生。


 黒板に何か書いている。たぶん、明日の授業のリハーサル。


「わたし。高校を中退します」


 黒板を書く音。


 止まる。


「ありがとうございました。今まで。わたしにやさしくしてくれて。わたしを。愛してくれて」


「教師としての回答と、恋人としての回答。どっちがいい?」


 先生。やさしい、ほほえみ。こちらを見つめる、純真で淀みのない、まなざし。


「両方」


「教師としては。中退はとてもじゃないけど認められない。君は優秀だ。将来がある。それに、先生のクラスで中退者を出したくない、というのもある。これは先生の教師としてのエゴだけど」


「そう言われると思って。別な先生を通して、すでに退学届を提出しました。先生の経歴に、傷をつけたくなかったから」


「そうか。じゃあ、恋人として。いいかな?」


「はい」


「きみは、俺なんかよりも、はるかにちゃんとしている。いまこうやって向き合っていても、そう感じるよ。きみは人として、完成している。完成しすぎてる。俺は、きみにとって、必要ではないのかもと」


 少し黙る。


「必要ではないのかもと、思ったりもする。でも、俺の隣に君がいてくれたら。うれしい。いや、うれしかった。きみと付き合うことができて、俺は。幸せだったよ」


 また少しだけ、黙って。


「きみは僕に迷惑をかけないように、僕の経歴に傷をつけないように、中退したあと僕の部屋に来たりは、しないんだろうな。きみはそういう、やさしい子だから」


「ごめんなさい」


 先生の邪魔は、できない。


「僕はね。きみが授業中に、何かを感じたのを。見てた。きみは、あのとき、何か、変わった。付き合っていたから、それだけは分かる。それだけ、だけどね」


 僕、という一人称。きっと、先生がわたしの前で俺と言うことは。もう。ない。


「きみはあのとき、何かを、落としたのかな。いや、なくしたのか」


「心を」


 わたしは。


「心を、どこかに落としました」


「そっか」


 夕陽だけが、紅く、教室を満たしていた。

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