餅つき婆

ペーンネームはまだ無い

第01話:餅つき婆

 ぺったん、ぺったん。


 僕が夕暮ゆうぐどきに通学路を歩いていると、どこからかもちつきのかけ声が聞こえてきた。

 辺りはもうだいぶ暗い。こんな時間にもちつき? そう思っていると――。


 ぺったん、ぺったん。


 また声がした。後ろの方からだ。

 歩くのを止めてり返ってみる。よく目を凝らして薄暗い通学路を見渡すけれど誰もいない。もちろんもちつきなんてしているはずもない。

 気のせい……だよね。そう自分に言い聞かせて足早あしばやに家へと向かう。


 ぺったん、ぺったん。


 まただ。

 僕は怖くなってきて走りだした。


 ぺったん、ぺったん。


 あきらかに声は僕を追ってきていた。つかず離れず僕に合わせてピッタリとついてくる。

 怖がりながらも、何とか僕は家まで逃げ帰ることができた。

 急いで玄関の鍵を閉めると、恐る恐る外の様子をうかがう。耳を澄ませてみるが、もう声は聞こえなくなっていた。

 あの声は何だったんだろう? きっと誰かのイタズラだよね? まさかお化けなんかじゃないよね? その疑問をA君に聞いてみることにした。A君は霊感が強くて都市伝説にも詳しい子だった。

 早速A君に電話すると真剣な声でA君が言う。


「それは『もちつきばばあ』だね」

もちつきばばあ?」

もちつき中に大けがを負って死んでしまった老ばばあ怨霊おんりょうとか、もちをつくために精神病棟から抜け出した殺人鬼とか言われている。もしももちつきばばあが話しかけてきても絶対にり返っちゃいけないよ。もちつきばばあの姿を見てしまったらきね撲殺ぼくさつされてしまうからね」

り返らなければ大丈夫なの?」

「そうだ」

「走って逃げられないかな?」

「無理だね。もちつきばばあ自転車チャリンコよりも速く走るから」

 きねりかぶりながら猛スピードでせまりくる老婆ろうばを想像すると背筋が震えた。怯える僕を受話器ごしに感じ取ったのかA君が口調を少しだけ柔らかくする。


「大丈夫。もしもちつきばばあの姿を見てしまったら呪文じゅもんとなえれば良いのさ」

呪文じゅもん?」

「『そのもちツルりとカメまんねん』ととなえるともちつきばばあは逃げていくんだ」


 僕はA君にお礼を言って電話を切ると忘れないように呪文じゅもんを何度もつぶやいた。もちつきばばあに対抗する手段を得た僕は恐怖を忘れることが出来た。




 翌日も帰りの通学路であの声が聞こえた。


 ぺったん、ぺったん。


 僕はA君に教えてもらった通りに呪文じゅもんとなえたけれど、もちつきばばあの声は止まなかった。

 結局、その日も僕は泣きそうになりながら家へ逃げ帰った僕は、もう一度A君に電話をした。呪文じゅもんが効かなかったことを話すと「すまないが、呪文じゅもんもちつきばばあの姿を見てしまってからでないと効果がないんだ」と教えてくれた。

 それからは悪夢だった。翌日も、そのまた翌日も、翌週も、そのまた翌週も、僕が学校から帰ろうとするともちつきばばあの声が追いまわしてきた。

 しかも、もちつきばばあの声は日に日に僕に近づいてきていた。最初は不鮮明ふせんめいにしか聞こえない声だったが、今ははっきりとしわがれた老婆ろうばの声が聞こえていた。すでにその声は手を伸ばせば届く距離から聞こえるようになっていた。

 我慢の限界だった。朝、起きるなりに泣きわめいて登校を拒否したけれど、母は僕を叱りつけて無理やり学校へとやった。

 どうしようと考えているうちに下校の時刻になってしまう。

 帰りの支度もしない僕を見てA君が「大丈夫か?」と声をかけてくれた。状況を説明するとA君は「今日から一緒に帰ろう。だから心配するな」と言ってくれた。嬉しくて泣きそうになってしまった。




 いつもの帰りの通学路。でも今日はA君が一緒にいてくれる。


「手をつなごう。何があっても離すなよ」


 僕はうなづいてA君と手をつなぐ。震えていた手をA君が力強くにぎってくれた。たのもしかった。

 しばらく歩いていると、またあの声が聞こえ始める。


 ぺったん、ぺったん。


 息がかかりそうなほど、すぐ近くだ。背筋に冷たいものが走った。

 僕はり向かないように顔も視線も正面を向けたまま、となりのA君に聞く。


「……今の声、聞こえた?」

「聞こえた」A君の声にも緊張が走っていた。


 ぺったん、ぺったん。


「……なぁ、もちは、好き、かい?」


 今度は耳元でもちつきばばあの声がした。思わず叫び出しそうになる。とうとうもちつきばばあに話しかけられてしまった。いまり返ったら、僕は殺される。


「……なぁ、こっち、向いて、一緒に、もちを、食お、う?」


 僕の手をにぎるA君にさらに力がこもった。「絶対にり向くんじゃない! 前だけ見ろ!」


 ぺったん、ぺったん。


「……きなこもち。いそべもち。あんこもち。どれも、血まみれ。ワシ、まっしぐら。食わん、と、言う、なら、ねじ、込む、ぞ?」


 ぺったん、ぺったん。


「……悲しい、な。こっち、向かん、と、悲しい、な。ばばあは、泣いて、しまう、ぞ?」


 ぺったん、ぺったん。


「……クソ、ガキ。こっち、を、向け。向け。向かす、ぞ?」


 もちつきばばあは不規則なリズムで語りかけてきた。内容は支離滅裂。

 両手で耳をふさぎたかった。でもA君とつないだ手は離せない。空いている方の手で片耳をふさぐ。そして大声でアーッと叫んだ。もちつきばばあの声が僕の耳に届いてしまわないように。

 A君もすぐに僕の意志をんでくれた。「走るぞっ!」と一際大きな声をあげた後、叫びながら走り出した。引っ張られるようにして僕も走り出す。

 僕の背中にピタリと張り付いたようにもちつきばばあの声がついてくる。


 ぺったん、ぺったん。


「……逃がさ、ない。逃が、さない。逃が、さ、ない」


 僕達の叫び声の合間に耳元で囁かれる恐ろしい声。きっと1人ひとりだったら耐えられなかった。ギリギリ正気を保っていられるのは、A君がいてくれるからだ。

 走った。がむしゃらに走った。息があがる。心臓が破裂しそうだ。それでも僕達は走った。




 できるだけ車の通りが少ない脇道わきみちを選びながら僕達は大通りまで辿り着いた。まばらではあるもの周囲には人の姿があるし、道路には車が少なくない。

 いつのまにかもちつきばばあの声はしなくなっていた。


「もう大丈夫。逃げ切れたようだ」


 A君の声に安堵あんどすると僕はり返った。A君が青ざめた顔をしていた。「違う。今の声は俺じゃない」


「……り、返った、な?」


 A君の肩しにと目が合った。白目のない真っ黒な目を見開いて僕をジーっとこちらを見つめている。

 うわっ! 僕が思わず飛びのこうとするが、手をつないだままのA君を思い切り引っぱってしまい、僕達は盛大せいだいに転んでしまった。あわてて上半身を起こすとがこちらを見下ろしていた。

 ところどころ毛の抜けた白髪。病衣びょういのような服にどす黒いエプロン。手に持った大きなきねをズリズリと引きずりながら、素足のままいびつな足取りで近づいてくる。

 それを見てA君が叫ぶ。


もちつきばばあだ!」


 もちつきばばあがニィと笑う。そのくちびる隙間すきまからは赤く染まった歯が見えた。口角こうかくからはブクブクと赤い泡を吹き出している。

 僕達は急いで立ち上がると、すぐさまけだした。足はもうクタクタで倒れそうなくらい呼吸が苦しい。でも寸前まで迫った死の恐怖が僕達を走らせた。


 ぺったん、ぺったん。


 後ろを見ると、もちつきばばあが上半身をユラユラと揺らしながら僕達を追いかけてきている。


「追いつかれちゃうよ!」


 そう僕が言うとA君がすぐさまに叫んだ。「助けて! 殺される!」

 周囲の人影が歩みを止めて、こちらに注意を向けたのが分かった。中にはわざわざ路肩ろかたに止まってくれた車もあるようだった。

 A君がもちつきばばあを指さして「アイツに殺される! 助けて!」と再び叫ぶ。しかし誰も助けてくれようとはしなかった。それどころかすれ違う人の中には、何もいないじゃないかとか、大人をからかうんじゃないとか、僕達を路肩ひなんする人達すらいた。まるでもちつきばばあが見えていないようだった。

 もう駄目だ。逃げ切れない。誰も助けてくれない。もうどうすれば良いのかわからない。いつのまにか僕はボロボロと涙を流していた。そんな僕をA君がはげます。


「大丈夫。まだ諦めるな。交番まで逃げきれれば助かる道がある」


 僕はわらをもつかむ気持ちでA君の言うことを信じることにした。

 大通り沿ぞいいに走った。赤信号を無視して道路を渡り、高架こうか下の角を曲がる。交番が見えた。駅前の駐輪所を抜けて僕達は交番へけ込む。中にいた警察官が驚いた顔をするが、僕達のただならぬ雰囲気を感じ取ってか緊張の面持おももちになる。


「変質者に追われてます!」


 A君がそう伝えると警察官は警棒を手にした。「君達は奥へ。危ないから下がっていて」そう言って慎重な足取りで入り口に近づく。周囲を確認して外へ出ていった。

 僕達は交番を奥に進む。A君は視線をめぐらせて何かを探しているようだった。「ライオットシールドは何処どこだ?」

 ライオットシールド? 僕が訪ねるとA君が「たてだよ。見たことないかな。透明のプラスチックとか金属でできていて、POLICEポリスとか書いてあったりするたて」と答えてくれた。


もちつきばばあから逃げられない。誰も助けてくれない。なら、僕らで身を守るしかないだろう」


 シールドは突然の襲撃しゅうげきそなえて手近てぢかな場所に置いておくだろうと言って、A君は机の下やキャビネットを調べ始める。「できれば武器になりそうなものも欲しいのだが」

 僕も一緒にたてを探したけれど、結局、見つけることはできなかった。

 しばらくして警察官が戻ってきた。交番に入るなり僕達を見て優しく微笑む。


「君達、安心して。あたりに怪しい奴はいなかったから。ところで詳しい話を聞かせてほしいんだけど――」

「……こっち、を、向い、て?」


 不意に声がした。警察官の背後から。

 警察官がり返った瞬間、きねり下ろされた。

 グシャリ。命が潰れる音がした。

 警察官が勢いよく机にぶつかって、ずるりと地面へと崩れ落ちた。そこへもちつきばばあが再びきねり下ろす。


 ぺったん、ぺったん。グシャリ。グシャリ。


 り上げたきねが蛍光灯を砕く。ガシャンと言う音とともに薄暗くなる室内。きねりかざすもちつきばばあのシルエットが闇に浮かび上がる。

 もちつきばばあが鼻歌まじりに何度もきねった。きねの上下に合わせて警察官だったものとその内容物ないようぶつが飛び散る。あたりにはむせ返るほどに血と糞尿ふんにょうの匂いがただよう。

 目の前で行われる惨劇さんげきに、まるで全身の血液が凍り付いてしまったかのように動けなかった。


 ぺったん、ぺったん。


 ひとしきりきねったもちつきばばあがピタリと動きを止めたかと思うと、急に僕達の方を向いて「……次、だよ」と笑う。

 わあああああああぁぁあぁぁぁっ!!

 もちつきばばあが僕達の方へとゆっくりと近づいてくる。

 逃げ出さないと!

 でも何処どこへ!?

 僕達の近くには窓もドアもなかった。

 すぐ後ろは壁。

 もう逃げられない。

 殺される。

 そう思った時、A君がつぶやく。


「……呪文じゅもんだ」


 ハッとした。そうだ、なんで僕達は忘れていたんだろう。

 僕達は呪文じゅもんとなえ始める。


「そのもちツルりとカメまんねん。そのもちツルりとカメまんねん――」


 もちつきばばあの歩みは止まらない。

 それでも僕達は一心不乱に呪文じゅもんとなえ続ける。


 ぺったん、ぺったん。


 迫りくる恐怖に、僕は目を閉じ、耳をふさぐ。


「そのもちツルりとカメまんねん。そのもちツルりとカメまんねん――」


 ぺったん、ぺったん。


 呪文じゅもんとなえる。何度も。何度も。











 ふと、周囲が静かになった気がした。











「……そんな呪文じゅもん、無駄、だ、よ」


 グシャリ。僕の真横まよこで、何かが潰れる音がする。生暖かい液体が僕に降りかかった。

 恐る恐る目を開く。

 となりにはA君がいた。顔が判別つかないほど潰れていた。壁も床も血に濡れていた。

 もう疲れた。何かを考えるのも億劫おっくうだ。

 もちつきばばあが小さな子供のようにはしゃぎながらA君を壊していくのを、ただぼんやりと眺めていた。


 ぺったん、ぺったん。


 もちつきばばあのリズムに合わせて、A君の体がビクンビクンと大きく揺れる。

 衝撃しょうげきでA君の手から何かが落ちた。カッターナイフだ。

 そういえばA君はたてと一緒に武器になりそうなものも探していたっけ。

 あの時は深く考えなかったけれど、A君はどうして武器を探していたのだろう?

 ……ああ、そういうことか。

 逃げ出せない。誰も助けてくれない。そして身を守ることすらできなかったのなら。られる前に、るしかない。

 都合よくもちつきばばあはA君に夢中になっていた。きねり終えた瞬間を狙って、拾い上げたカッターナイフでもちつきばばあを切りつける。首を狙ったけれど、残念ながらカッターの刃が食い込んだのは腕だった。もちつきばばあの腕からは血が流れなかったけれど、痛みは感じているのかきねを取り落として後ずさった。

 すかさずきね強奪ごうだつした僕は、力任せにきねった。手にジーンと衝撃しょうげきが走り、もちつきばばあが転倒してうめく。

 その光景を見て、僕はなんだか可笑しくなってしまってき出して笑う。なんだ、簡単じゃないか。最初からこうすれば良かったんだ。

 僕はきねり下ろす。


 ぺったん、ぺったん。グシャリ。グシャリ。


 手に伝わる衝撃しょうげきが、気持ちいい。


 ぺったん、ぺったん。


 一りごとに、達成感や開放感が僕を満たしていく。


 ぺったん、ぺったん。


 腕をり下ろすたびに、もちつきばばあがビクリと跳ねた。


 ぺったん、ぺったん。


 もちつきばばあが震える手で僕の足を掴んだ。まだ生きてたのか。


 ぺったん、ぺったん。


 あと何回で死ぬかな?


 ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん。


 ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん。


 ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん。


 ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん。


 ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん――。


 ……さて、次は?

 あたりを見回しても、次がいない。

 だから、僕は、探す、ことに、した。

 夕暮ゆうぐどき。通学路。

 次を、見つけて、今日も、きねを、り下ろす。


 ぺったん、ぺったん。


 翌日も、また、その翌日も。

 ほら、あなた、にも、聞こえる、でしょ?


 ぺったん、ぺったん。


 あなた、の、後ろ、で。

 すぐ、近く、で。


 ぺったん、ぺったん。


 ――ほら、こっち、を、向い、て?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

餅つき婆 ペーンネームはまだ無い @rice-steamer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ