拘束された勇者

アマヨニ

拘束された勇者

 聖剣ラグナータと魔剣ダルクバルムが激しくぶつかり合い、所々崩れ落ちる謁見の間に剣戟の音が響き渡る。



極大炎熱嵐エクスハラティオ


氷獄世界コキュートス



 紫の角を持つ偉丈夫の男が左手をかざすと巨大な炎が踊り狂い、対する茶髪で頬に傷のある男が左手をかざして対抗すると、急激に温度が低下して男の周囲を一斉に凍らせ、併せて正面に氷の波が天井に届く勢いで飛び出していく。


 巨大な炎と冷たき氷が真正面からぶつかり、その衝撃で周囲に激しい閃光と風圧をまき散らす。


 勇者としてベルク王国から認められた騎士アインは、目の前に立つ混沌と破滅の王である魔王ジードと最後の一騎打ちに至っている。

 世界征服を目論む魔王は、自ら魔王軍を名乗り、人間や亜人たちに対して宣戦を布告して10年が経つ。双方疲弊し決定打に欠ける中、起死回生の策として、勇者として認定した4人の英雄を魔王城に送り込み、魔王を直接暗殺する作戦に出た。

 勇者たちの行動を支援すべく、人間や亜人の連合軍は総攻撃を開始し、各地で足止めを行った結果、魔王軍四天王をはじめとする名だたる将は、連合軍の思惑通り各地で足止めを受けた。


 時間との勝負のきわどい状況の中で、アインたち4人は魔王軍の本拠地、魔王城へと辿り着く。


 時間のない勇者アイン達は、束の間の休息の後、魔王城に乗り込み、魔王と一騎打ちする状況にまで追い込むことが出来た。


 そして、謁見の間で控えていた魔王ジードと、周囲の魔王近衛騎士を他の仲間に任せた勇者アインが相対する。


 両者が戦い始め、互いに拮抗した力をぶつけ合っている最中、事態が急変する。


『ブルルルル!』


 聖剣ラグナータを振るい、魔王の斬撃をいなした直後、アインは胸元に伝わる強い振動を感じとる。


 魔導通信具と呼ばれる、非常用の通信装置が強い振動を発していた。


 聖剣ラグナータを正面に構え、魔王ジードと対峙する。そして魔王が左手を正面に翳して魔法を唱えた。


溶熱獄炎ボルケーノ


 かざされた手から溶岩の如き灼熱の焔がアインに襲い掛かる。


凍土氷壁ギフロナスヴォディヴァンド


 アインが手をかざした正面に氷の氷壁が構築され、灼熱の焔を真正面から受け止める。


 ほっと一息つき、アインはここぞとばかりに魔導通信具を胸元から取り出すと、聖剣を持つ手に握りしめる。


「ど、どうした?」


 何故かおどおどするアイン。

 すると、通信魔道具から凛とした声がアインの耳へと伝わってくる。


「ねえ、何でシャールのトイレ、掃除していかなかったの?」


 不機嫌そうな声に、アインは思わず天を仰ぐ。


 妻のイザベルだ。


 ちなみに、『シャール』とは、3年前に我が家に迷い込んできたホワイトキャットで、アインが飼う事を決めた魔物だった。

 シャールのトイレ掃除はアインの役割だったが、今回は魔王軍拠点への攻撃のため、トイレ掃除を後回しにして仲間と合流したのだった。


「い、今それどころじゃないんだけど……」

「シャールのトイレもそうだけど、家のゴミを出した時、玄関に置いてあった落ち葉ゴミは出さなかったよね? 私、家の掃除もやらなくちゃならないのに、玄関開けたらゴミが残っていたから慌てて捨てに行って大変だったんだけど」


 魔王ジードが新たに天井にいくつもの焔の槍を出現させた。


焔炎槍嵐フラメシュピリシュトル


 慌ててステップを踏んで回避していくアイン。


「ねえ、聞いてるの!?」


 魔導通信具からイザベルのヒステリックな声が聞こえる。


「あ、後で掛け直す」

「ちょ、ちょっと待ちなさ……」


 ブツッ


 アインは一方的に通話を切り、四方八方から襲い掛かる焔の槍を避け続ける。

 額に汗をにじませ、手を天井にかざして意識を集中する。


氷獄世コキュー……」

『ブルルルルルルルルルルルルルル!!』


 再び魔導通信具が強い振動を伝えてくる。

 聖剣と共に握りしめていたため、剣を振るおうにも微妙に震えて位置が定まらない。


 半ば諦めて通信具に意識を集中すると、イザベルの狂ったような怒りの声がアインの脳裏に響き渡る。


「ちょっと! 何で勝手に切っちゃうのよ!!」

「い、いや、今はそれどころじゃないん……」

「あのね、人が話している最中に切るって、どういう神経している訳?」

「い、いやあのね、だから今はそんな……」


 魔王ジードが急接近してくると、魔剣ダルクバルムの漆黒の斬撃が襲い掛かってくる。

 聖剣を通信具共々握りしめてその斬撃を向かい受けるが、いまいち力が伝わらない。

 激しい火花を散らし、互いに距離を取るため後ろへ飛び退く。


「ちょっと、聞いてるの!?」

「あ、ああ。聞いてる」


 アインは何だか悲しくなってくる。

 そんな感情などお構いなしに、イザベルはまくしたてる。


「ホントは、最初はアインも国を守るお仕事だから今言うのを我慢しようと思ったんだよ? でもね、なんか我慢してたら、昔あった色々な事も思い出して、もうなんかムカムカしてきて! それで頭に来たから連絡したのよ! 私が病気で苦しい時なんかっ……」


 アインは意識を魔王ジードに向ける。

 魔王ジードはニヤリと口角を吊り上げると、容赦なく斬撃を繰り出してくる。

 防戦一方に追い込まれるアイン。


「……で、私が妊娠した時だって、あなたちっとも私の心配なんかしなかったじゃない! もう思い出したらムカついてムカついてっ」

「妊娠していた時の話だろう? ちゃんと謝ったじゃないか。あの時は仕事で疲れて寝ちゃっていたから、迎えに行くのが遅くなったんだって」


 激しい剣の応酬に応えながらアインは冷や汗を流しつつ応じる。

 剣の反応が若干弱くなっていくと、魔王ジードはここぞとばかりに容赦なく鋭い斬撃を放ってくる。

 間一髪で斬撃をいなし、返す刃で魔王ジードの首筋めがけて薙ぎ払うが、力が十全に入っていない剣戟など、魔王ジードのいなしで簡単に弾かれてしまった。

 間髪入れずにアインの腹部目掛けて蹴りを入れると、不意を喰らったアインは謁見も間の壁に向かって吹っ飛ばされた。


「……ちょっと、!?」

「ぐっ……き、


 腹部を抑えながらアインは立ち上がる。


「じゃあ、うーとかつーとか、言ったらどうなのよ!」


 間髪入れずに魔王が近づくと、物凄い速さで魔剣を振り下ろしてくる。

 片手で聖剣を構えて受け流そうとするが、勢いに負けて体制を崩し、その反動で顔に衝撃が走る。


「うっ……」


 呻き声をあげるアインだが、それを聞いたイザベルは更に捲し立ててくる。


「シャールだって勝手に飼うって決めちゃうし」


 一旦体制を立て直そうと、魔王から離れるために後方へと飛び退くと、聞こえた内容に若干の違和感を覚え、怪訝な表情を浮かべて思わず聞き返す。


「……え? それってお前も同意したじゃないか」

「『可愛いね』とは言ったけど、『飼っていい』なんて一言も言ってないわよ」

「可愛いって言ったから、飼えば喜ぶと思ったんだよ」

「これから子供が生まれるって時だよ? モフモフは嬉しいけど、抜け毛すごいんだよ? 赤ちゃんが病気になったらどうするのよ!」

「そ、それは……」

「それに、家だって勝手に決めて買っちゃったじゃない!」


 ゆっくりとアインの傍へと近づく魔王ジードの表情は、醜く歪んだ笑みを浮かべているが、アインはジードを一瞥するも、で明後日の方を向き、ジードなどお構いなしに大声でイザベルに反論する。


「いや、それってお前も賛同しただろ!?」

「私は何度も『収納場所が少ないなぁ』って言ったでしょ! しかも赤の他人が使っていた中古住宅よ!? 知らないおっさんが使ったトイレを掃除するのは誰なのよっ!!」

「なっ! あのな、お前だって『うーん、いいんじゃない?』って言ったじゃないか!」

「あのね、住宅販売員さんが一緒に居たのに、『ここ嫌なので辞めましょ』なんて言えるわけないでしょうが!!」

「はぁっ!? じゃあ何であの場で『いいんじゃない?』って言ったんだよ!?」

「その時の『いいんじゃない?』は『後でよく話し合ってから決めましょう』って意味に決まってるでしょ!? 空気読みなさいよ、空気っ!」


 魔王ジードは、目の前で聖剣を地面に突き刺し、魔導通信具を片手に大声を張り上げている勇者アインを呆然と見つめる。


「おい」


 魔王ジードは声をかけるが、アインは相変わらず魔導通信具に向かって声を張り上げている。


「空気読めって、お前な、今俺は魔王と戦ってるんだぞ! 仕事中に話しかけてくるなよ!」

「はぁ!? だったら最初っから言えばいいじゃない! それに、直接連絡してくるなって言ったから、伝書従魔鳩を送ったでしょ!?」

「立て続けに百羽も送ってくる奴があるかっ! あの鳥たちのせいで、どれだけ魔王軍に発見されそうになったか、お前わかってるのか!?」

「だったら魔導通信に出れば良いじゃない! 常に出れるように持っているはずなのに、それだったら持ってる意味がないじゃない!!」

「その時の状況とかタイミングとかあるの! わからないのかお前にはっ!?」


 無視され、イライラを募らせた魔王が、禍々しい魔力を溢れ出させながら低い声で呼びかける。


「おい!」


 魔王ジードが再び声をかけた直後だった。


「「うるさいっ!!」」


 魔王ジードを睨みつける勇者アインと、彼の手にする魔導通信具からの女性の声を聞き、周囲に放出された魔力が瞬時に霧散し、魔王ジードは不覚にも黙り込む。


 すると、魔王の後方で扉が開く音がした。


 執事服を着こんだ紫色の角を生やした老年の男が、魔導通信具を手にしながら静かに近づいてくる。


「どうした、ヴァル」


 ヴァルと呼ばれた老年の男は、魔王を静かに見据えて小さく呟く。


「……お、奥様からです」


 若干怯えながらそう告げるヴァルの持つ魔導通信具を見据え、魔王ジードは口元をひくつかせながら通信具を手に取る。


「な、なんだ」

「……あなた、今日は何をされてるの?」

「え? 今それどころじゃないんだけど……」

「……鍋は洗ってあったけど、蓋は洗うのを忘れましたわよね?」


 魔王は自分の顔から血の気が引くのがわかる。


「どうして貴方はいつも一つ忘れますの?」

「え? そんな筈は無いと思うぞ?」

「鍋と蓋をちゃんと洗えたと思ったら、今度はおたまを洗うのを忘れてますし」

「い、いや、あのな、今はそれどころではないんだよ……」


 連絡してきた内容を聞いて、ジードは思わず天を仰ぎ見る。

 妻の要望に応え、自分で料理を作ることが好きなことから、寝室にプライベートキッチンを作らせたのだ。

 本来は魔王である以上、全ての雑務はメイドがやるのが常だが、こと寝室内でのこまごまとした作業は夫婦二人でやることを決めたのだ。

 嫉妬深い妻の、浮気防止策でもある様だったのだが、こんな状況を思えば、それも失敗だったのではないかと深いため息を吐く。


「それに、ワインボトル、いっつも飲んだら飲みっぱなしで、後片付けを誰がやっていると思っていますの? 綺麗にすすいで乾かすのは私の仕事だとでも思っていますの?」

「い、いや、今それどころじゃ……」

「だからいっつも飲みっぱなし、そういう事なんでしょう?」

「だから、それどころじゃ……」

「いっっっっっつもそう! あなたと言う人は、毎日毎日どうして……」


 魔王ジードも、勇者アインを目の前にして魔導通信具に話しかける。


 魔王ジードの執事を務めるヴァルは、勇者アインと魔王ジードのそんな様子を見ながら額に手を当て、頭を抱えるのであった。











「なあ魔王」

「なんだ勇者」


 互いにそれぞれの妻とやり取りを終え、げっそりした様子で向き合う様にしてしゃがみ込んでいる勇者アインと魔王ジード。

 そんな二人の前には、執事ヴァルが用意した紅茶が湯気を立てながら置かれ、アインが紅茶をすすって一息ついて言葉を漏らす。


「あのさ、用事が出来たんだ。それも可及的速やかに対応しないとならない用事なんだ。だから帰るから、戦争するのやめない?」


 そんなアインの言葉に、ジードもまた紅茶をすすってうな垂れる。


「奇遇だな……余もそう言おうと思っておったのだ」

「「ハハハ……」」


 乾いた笑い声が、いくつもの極大魔法によってボロボロに崩れ落ちそうになっている謁見の間に、虚しく響き渡るのだった。




 人間・亜人の連合軍と、魔王軍との戦争はこうして終結し、世界に平和が訪れた。

 人々は戦争終結に狂喜乱舞し、様々な場所で喜びの声がひっきりなしに響き渡り、至る所で連日のように宴が催された。


 だが、人々は知らない。


 この平和な世になった理由が、勇者と魔王が、それぞれ奥様から日常生活態度を叱られたことが原因だったなど、誰も知ることは無い。

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