死者の通学路

片瀬智子

第1話

 親友、岸川きしかわ茉子まこはどうも強引なところがある。

 高校一年生の私たちは隣のクラスに在籍し、隣の家に住んでいる。しかも生まれながらの幼馴染みともなれば、親友でないほうがおかしい。

 なので放課後、今日も一緒に帰ろうと教室へ迎えに来たのに「朝香あさかー、こっち来て! 美沙たちと喋ってから帰ろうよ」とちょうどよく空いてる席にむりやり呼ばれた。

 

 こちらの教室では、女性の新任教師がまだ机で作業しながら男子生徒たちと話をしていた。一瞥いちべつし、彼女らのいる窓辺へと向かう。

 茉子と一緒にいた美沙みさ有希ゆきは、ふたりとも色白でぽっちゃり気味の類友るいともだ。だが、美沙のほうが痩せたら美人になるかもという要素を秘めている。

 

「今ね、みんなで怖い話をしてたんだよ」

 茉子がこちらを見ながら無邪気に言った。

 なぜ私を仲間に入れた? 

 思わず、喉のところまで言葉が出そうになる。私は昔から幽霊やおばけ、そういった類いのものが大嫌いなのだ。知ってるくせに。

「私すっごい怖がりなの……ホント無理だから。みんな、ごめんね」

 手を振り、立ち上がろうとした。


「朝香ぁ、ダメだよ。ここまで来て」

 茉子が甘えるみたいに柔らかな両手で私を制す。

 茉子はいつもそうだ。ひとりで行動することが苦手なんだ。ご飯もトイレも通学も。小さな頃から変わらない。

 だけど、茉子の心細い家庭環境を知ってる私はここで突っぱねることが出来なかった。

 なぜなら私も同じ。どうにもならない寂しさを知ってるからだ。

 今もまだ、不連続で打ち寄せる波間ですり減る心を抱えていたからだった。



 私と茉子は市営の古びた共同住宅で生まれ育った。

 実は私の母は十三年前に亡くなっている。私が三歳の誕生日を迎える前のこと。

 その当時飼っていたミオという雄猫おすねこが家を飛び出し、探しに行った途中で無惨にもき逃げに遭ったのだ。

 雨の夜。

 光る路面。

 信号無視の車。

 かばおうとした若い母親と老猫は即死らしかった。


 それからは、身内の誰もが本物の絶望を知ることとなる。

 矛先のないいきどおり、終わることのない悲しみ。

 暗く人通りのない道路での事件だったため、当時の不運な状況やいい加減な捜査では未だに犯人を挙げることが出来ないでいた。

 その後私は父と祖母、それから母の妹・亜矢あやおばさんに育てられた。祖母と叔母が近所に住んでいたのは救いだったといつも思う。

 笑顔を忘れないで生きられたのは、残された家族が消えそうな家の灯りを助け合って絶やさないでいてくれたおかげだった。


 隣家の茉子は、記憶にない頃から友人として存在した。まだ首のわらないうちから一緒に写真に収まっている。

 彼女の家族構成はとてもシンプルだ。

 ひとりっ子の茉子の母親は看護師、父親はずっと単身赴任をしていて滅多に帰ってこない。以上。

 看護師の母親は夜勤の仕事の関係で、月に一、二度は夜中家を空けた。頼るもののいない子供にとって、独りの夜がどれほどの恐怖か想像がつくだろうか。

 それを知った父は憤慨ふんがいし、茉子がひとりぼっちの夜はうちに泊まるよう話をつけた。


 私たちは姉妹のように大きくなった。

 中学生になる頃には私が茉子の家に泊まることも珍しくなくなり、まるで隣の親戚の家に行き来するみたいにして育った。

 私は茉子が好きだった。

 生意気で自由奔放な精神と好奇心旺盛の強さを持ち合わせていて、常に私をワクワクさせるのだ。


 そういえば小学生の時、初めて子供同士ふたりきりで山手線に乗ったことがある。

 成長過程における、秘密の冒険。

 チェックのミニスカートにGジャン、小さなポシェットの茉子はやけに可愛くて堂々としていた。

 大人になるのが待ちきれないみたいだった。私は迷子にならないように必死で後をついて歩いた。

 満員電車の中、やっと座れた記念って言って、こっそり茉子がくれたチューインガムの味が忘れられない。

 眩しい笑顔。

 ガム一個くらいで、なんであの頃は世界中が輝いて見えたのだろう。

 


「……やく、次、朝香の番だよ。あ、さ、か!」

「えっ」

 私はびくっとして顔を上げた。

 三人がそれぞれ、私を見ている。なんなら期待を込めて。

 やばい、聞いてなかった。

 怖い話すでに始まってて、順番来てんじゃん。

「はやく、朝香の番!」

 茉子がむくれた顔で私の腕を突っついた。

「あ……ごめ、ん。えっと、どうしよ。有希ちゃんの話、どんなだったっけ」


「えーーー」

 有希が、朝香ちゃんったら~という顔で私を見た。

「もう、ひどーい。弟が金縛りにあって、けものみたいな霊に指を噛まれちゃったって話だよ。めちゃくちゃ怖い話してあげたのにぃ」

 ああ、そんなった話だったの。

 怖い話のネタなんて、私ほとんど持ってないし。そもそもホラーは大嫌いだ。

「スベらない話にしてね」

「聞いた話でもいいけど、実話じゃないとおもしろくないよー」

 話し終わった美沙や有希がプレッシャーをかけていく。

 ちょっと待って、困った。ホントどうしよう。


 女子のお喋りを甘く見てはいけない。

 それは原始から続く、女が生きていくすべのひとつなのだ。

 男たちが狩猟で食料を調達しに出ている間、女は家事や子育てをし、友好的に生きやすくするコミュニティーを作り上げてきた。男子とは違い、私たちは共感で信頼関係を育てていく生き物だから。

 見え透いた作り話では私の信用に傷がつくだろう。ここは本気出さなきゃ。

「……わかった。今まで誰にも喋ったことない、秘密の怖い話をするから」

 意を決して、私は三人に向かって言った。



「実は私……幽霊を見たことあるの」



「マジで?」

 嬉しそうなため息がみんなから漏れた。

 まずは成功。興味津々の視線も感じる。

「うん。茉子にも話したことないけど本当。私……見たとき、怖くて怖くて……ずっと今まで、誰にも言えなかった」

「いつ見たの?」

 茉子が聞いた。

 

「小学五年生の時に。小学校の通学路ってさ、途中に柳の木があったの覚えてる? その木は昔から……死者が見えるって噂があったの」

「その柳の木の噂なら、誰でも知ってるよね?」

 有希がふたりに同意を求めた。みんな同じ反応だ。

「朝香、まさかそれって……」 

 真顔の茉子の言葉に私はうなずく。

「そうだよ。私が死んだママに会いたくて、茉子にも手伝ってもらった儀式のこと。あの後に……本当に見たの、幽霊を」


「うそっ……だってあの時……朝香、お母さんを見たなんて言わなかったでしょ。だから失敗したんだって思ってたんだよ」

「ううん、ごめんね。実は、そうじゃなかった。ちゃんと見たの。でも……その幽霊がママかどうかは今もまだわかんない」

 私は思い出すたび、心臓が凍りそうなくらいの恐怖がよみがえってきて怯える。口に出すのも躊躇ちゅうちょする。それほどの情景だった。

「パパと喧嘩したあの雨の日、茉子の家に泊まったよね。ちょうどおばさん夜勤でいなかったから……」



「どうしてもママに会いたいって私が泣いたでしょ。そうしたら茉子が『いい考えがある。今夜、会いに行こうよ』って言ってくれて。……昔からあの通学路にある柳には、怖い言い伝えがあったんだよね。雨の日の夜、柳の前で三人並んで写真を撮ると、真ん中に写った人には幽霊が見えるって」


「それは……」

 えっ。

 みんなでいっせいに声の方向を向いた。

「もしかして、『死者が現れる通学路』のことかな?」

 そこにはさっきまで机で作業をしていた先生が立っていた。教室にはもう誰もいない。みんな帰ってしまって、残ってるのは私たちだけのようだ。

「その噂なら先生も聞いたことがあるわよ。……涙雨なみだあめの真夜中、柳の木の下に三人立つと真ん中の人にだけ死者が現れる」


「そうです、先生。……それです」

 やばい、先生が話を聞いてたなんて思わなかった。これからする、小学生が夜中に出歩く話はまずいかな。

「あなたのその話、興味あるなぁ。続きを私にも聞かせてくれる?」

 マジか。私の名前を知らない、隣のクラスの担任が斜め前に腰掛けた。

「あ、はい。えっと、私……どうしても死んだママに一目ひとめ会いたくて。茉子にお願いして、同級生の男子に連絡してもらったんです。夜中……一時に待ち合わせして、三人で柳の木の場所に行きたいって」


 私は気まずそうにまた話を続けた。

「……その日は小雨が続いてました。雨がやまないようにって祈りながら、三人一緒に真夜中の通学路を歩いたんです。柳は暗闇の中、雨の湿気で白色を帯びてたのを覚えてます」

 あの雨は、涙雨だったのだろうか。

 優しい雨音。鎮魂歌レクイエム

 死者との再会を叶えようと、確かに静かな雨が子供たちの頭上に落ちていた。


「茉子の携帯のカメラで自撮りしました。それから走って家まで帰りました。私たちがしたのはそれだけです」

 息つく私に、先生と女生徒が表情だけで私を核心へと誘導する。

 私はうなずく。

「その言い伝えには、『最後に真ん中の人だけが柳の木を振り返ること』という約束事があるんです。だから……私は振り返りました」

 当時の思い出が、瞼の奥で鮮明にフラッシュバックした。

 ああ、あの時。



 柳の木には、確かに人の姿が浮かび上がっていたのだ──



「白い顔をした、若い女の人が真っ赤な血に染まって……立っていたの。黒い塊を抱いて。そして、虚ろなで私に『ニーニを……探して』って言ったんです」



 ここで私は終了宣言をした。



「やっばーい」「怖ー!!」

 色白の類友ふたりが騒ぐ。先生もゆっくり頷いていた。

「……ニーニって?」

 少し不機嫌そうな茉子が聞いた。

「わからない。しかも、その女の人がママかどうかもよく。だって笑顔の写真しかママのこと知らないし。声も覚えてないもん。誰かわからない血まみれの女の人が柳の前に立ってたなんて言ったら、茉子絶対トラウマになると思って言えなかった」

「……逆に言って欲しかったよ」

 茉子はぽつりと言った。



 しんとした空気を変えるかのように、先生が立ち上がる。

「通学路の噂、まさか本当だったなんて。あ、でもね。夜中に暗い場所に出掛けるのはもうやっちゃダメですよ。女子高生なんて一番変な人に狙われやすいんだから。本当は幽霊なんかより、生きてる人間のほうが百倍怖いの! わかった?」

「はーい」

 結局、私たちは叱られる?注意される形となった。


「じゃあ、暗くなる前に気をつけて帰りなさい」

 その声に、茉子が先生を二度見した。

「ちょ、ちょっと先生ひどーい。私だけ怖い話してないんですけどー。すぐに終わらせるので話していいですよね?」

 みんな吹き出した。少しだけ和む。

「岸川さん、じゃあ十分だけね。先生は仕事に戻るから。はい、どうぞ」


「あーもう、時間厳守なんて焦るー」

 茉子が可愛らしくおどけた。

「あのね、実はぁ、パパのお話なんですけど……。あ、そうだ朝香。パパね、やっと単身赴任が終わって、来週こっちに戻ってくることになったんだよ! 私たち家族三人、一緒に暮らせるの。嘘みたい」

 満ち足りた笑顔だ。

「パパね、結構イケメンなんだよ。落ち着いたら、家族同士でBBQでもしようね」


「茉子、時間なくなっちゃうよー」

 美沙が壁の時計を見ながら教えた。

「やばっ。あのね、そのパパの話なんだけど。実は昔ね……黒猫を殺しちゃったことがあるんだって!」

「えー、なにそれ。すごいやだー」

 猫を飼っている有希が真っ先に騒いだ。

「私が二、三歳くらいの時かな。ママとドライブデートするはずだったのに、パパから猫をいたから車使いたくないってドタキャンの電話が入ったんだって。雨で視界が悪かったとかで。ママね、パパと会えるの楽しみにしてたからその時すっごく怒ったって言ってた」


「で、轢いた時にね。パパが車から出て見たら、足下にその猫の首が転がってたらしい。普通、つぶれるんじゃないの? わかんないけど。パパ驚いて、思わずそれを道路脇の溝に蹴ったんだって。ありえる? マジで自分の親ながら最悪じゃない?」

「うわっ。茉子、私その話、聞きたくなかったかも」

 美沙が顔をしかめる。

「だって、怖い話なら何でもいいんでしょ。グロいのもホラーではよくあるもん」

 茉子と美沙たちが言い合ってる中、私は立ち上がった。



「……ごめん。あたし、トイレ行って、くる」

 目の前がゆらゆらと揺れる感覚がした。

 雨、交通事故、猫殺し……。

 母の死んだ夜が脳裏のうりにちらつく。一緒に轢かれた猫は? なぜか状況がひどくダブる。

 動悸がとまらない。かろうじてカバンをつかんで歩き出す。

「ちょっと朝香、先に帰ったりしないでねー」

 茉子の声が遠くに聞こえた。


 廊下に出た私は、カバンの中を引っかき回しスマホを取り出した。父親に電話をかける。

 ダメだ、繋がらない。会議中なのかもしれない。

 亜矢おばさん……。指が震えてなかなかタップがうまくいかなかった。

 お願い、出て。


「はーい、朝香?」

 気楽な叔母の声が聞こえてきた。

「亜矢おばちゃん! 教えてほしいことがあるの……昔うちで、猫飼ってたって言ってたでしょ。その猫って、もしかして……黒猫だった?」

「あー、猫? うんうん、そうね。黒猫だったわよ。確か、オスのね。ミオって名前で朝香のママもすごい可愛がっててねぇ」

 黒猫……。

 すでに全身が震えだしている。

「おばちゃん、教えて。ニーニって聞いたことある? 何のことかわかる?」

 私の声はもはや悲痛なものに変わろうとしていた。


「ニーニ?」

「ニーニって……ああ、『にいに』ね?」

 叔母の確信した声が聞こえた。

「小さい頃に朝香、自分が使ってた言葉じゃない。にいに。その猫のこと、あなたはって呼んでたのよ」

 私が……?

「幼児語ね。おばあちゃんのことをって呼んだりするでしょ。それと一緒。お兄ちゃんのことは、にいにって言うの」

「それって……」


 心の中の張りつめてたものが一気に溶け出していく。

「それって、もしかして、猫のことを私はお兄ちゃんって呼んでたの?」

「そうよ。ママは小さな朝香にね、ミオじゃなくてって教えてたの。猫も大事な家族って思ってたからでしょ」

 ママ。

 にいに。

 そうだ……。

 ママは、私のママは、あの日、柳の木の下で私に伝えようとしたんだ。



にいにを探して────にいにの、首を探して』



 私が見た女性の幽霊は、血にまみれた黒い塊を抱いていた。

 あれが、にいに。

 のない黒猫だったんだ。

 ママはずっと探していたのかもしれない。愛する家族の亡骸なきがらの一部を。

 そして、柳の木の前で私にそれを伝えた。

 私に伝わる言葉で。

 私が気づくように。ちゃんと探せるように。


 涙が頬を落ちる。

 すべての意味が通じた気がした。

 地続きの空に天界があるとしたら、涙雨の日に降りて来られるのかもしれない。

 そして柳の木の下、死者は現れる。

 あの雨の夜、私は家族を想う母の無念をきっと見たのだ。

 血まみれの猫を抱きしめた、哀しい母の幽霊を。



 私はもう知っている。

 雲間の月のように、揺るがない真実は必ずいつか現れるもの。

 眠っていた遠い過去、裁かれなかった悲劇まですべて。

 

 ママ。にいに。

 見つけてあげられなくて、ごめんね。

 ……次はどうすればいい。


 私たちを不幸におとしいれた、

 家族を殺した犯人がこれから隣人になるの──

 

 

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