難破

陽野月美


 私はこの世が嫌いだった。

 辛いことが多いし、殻を被ったら外せと怒られるし。

自由と無法の区別もつかず正論と屁理屈も分かっていない。

 だから、私はこの世が嫌いだった。

 そんな嫌いな世の中とはいえ生きなくてはならない。否、死んではならない。

 生きるためではなく死なないために生きる。

 生きるために死なないなんて、それは生きている者のやることだ。

 既に死んだ私なんて、どうしたって死なないことでしか生きていられない。

「……面白くないなー」

 長年の口癖となったその言葉を中に浮かべ夜の街をただ歩く。

 生きるも死ぬもそうそう変わらない。命があるかないか、命が歩かないか。たったそれだけ。

 だから私は死んでいるとも言えるんだ。だって私の命は歩いていない。

 死んだ人は、もう歩けない。

 だけれど足を動かすことは出来る。健康のためと、なんとなく好きだからって理由で夜はよくお散歩をする。

 夜の匂いが好きなんだ。少し冷たいけど、その冷たさだけが私を包み込んでくれる。

「温かい……」

 孤独は常に私の味方だ。この街並みや喧騒の中で唯一私を守ってくれる。

 そこのベンチで電話をしている若い男も。店の前でキャッチをしているあの人も、誰も私を守ってくれない。

 守って欲しくなんかないけど。でも何となく私も守ってやんない。

 どうせみんなは他の誰かが守ってくれる。私に誰かは守れない。だけど自分は守れるから。

 孤独に身を包んでこの街を歩く。

「ねぇ、そこのお姉さん」

 隣にスっと現れた少年が私に声をかけてきた。

 背丈は同じくらいだが、歳は恐らく13か14と言ったところだろう。

 純粋そうな大きな瞳を嬉しそうに歪め、満面の笑みで私を見てくる。

「今暇だったりしない?良かったら僕と遊ばない?」

 どうやらこの歳でナンパをしているらしい。というか私がこの歳でナンパをされているらしい。この歳がナンパし、この歳でナンパされる。

「ごめんね、私はそんなに暇じゃないから、それに周りにもいっぱい人はいるでしょ?その人達に遊んでもらって」

 できるだけ朗らかに笑顔を作りそう受け答える。

 本当は暇だけど、私は今、孤独とのデートで忙しいのだ。

「そうなの?この中で一番お姉さんが暇そうに見えたし、この中で一番お姉さんが寂しそうだったからつい」

 周りを見渡すとそれなりにカップルが多く、大体の人は2人以上で歩いているようだった。

 なるほど、たしかに私は寂しそうに見えるかもしれない。しかしそれは大きなお世話と言うやつだ。

「そっか、ごめんね、大丈夫だよ。私は寂しくないから、ほかの寂しい人の所に行ってあげてね」

 また笑顔を作りそう答える。

 するとその少年は困った顔をした。

 眉を八の字に曲げるその仕草はなんとはなく可愛らしいものだった。

「またその笑顔だ……なんでそんなに寂しそうな笑顔をするの?」

「えっ……?」

 私の笑顔を寂しそうといった男は初めてじゃない。しかしこれまでそう言ってきた男は全員詐欺師だった。

 思わず私の中に警報が鳴る。

「お姉さんの笑顔、仮面みたいだ。声もそう、何かを押さえつけて出てこないようにしてるみたい」

「……そう、かな?楽しそうに笑うとは言われるけど……」

 これは本当。周りの人からは楽しそうに笑うね、とか、君の笑顔をみるとこっちまで楽しくなる、と言われる。

 私の笑顔が作り笑いとも知らないで。

 そうやって笑顔を褒める人達の顔の方が仮面のようだ。はっきり言ってしまえば見分けがつかない。みんながみんな同じ顔に見えてしまう。

 しかし笑顔の仮面をつける人なら沢山いるはずだ。全部偽物ってすぐに分かるちゃちな仮面だけど。

 むしろ私の笑顔に騙されない人なんていなかった。詐欺師の奴らも最後は私が騙して追い返したほどだ。

 嘘には自信がある。

「楽しそうすぎるんだよ。今のところそんなに楽しそうなことは無かったのに……僕が話しかける前までは鉄仮面のように冷たい表情だったのに」

 しまった。前を見られていたのか。

「ううん!そんなことないよ!話しかけてもらえてお姉さん嬉しかったし!だからさ、その喜びを他の人にも分けてあげて欲しいなっ」

 いつも通りの笑顔で受け流す。

 最早手馴れたものだ。

 しかしここまで食い下がる人は初めて見た。この歳でそんなもの好きとは将来が不安……いや、私には関係ないか。どこかで普通に戻るはずだ。

 普通に。私からしてみれば普通でいられるなんて羨ましいのだけれど世の中にはそう思わない人もいるらしい。

 逸脱者である己に酔っているのだろうか?ただおかしいだけの自分をカッコイイと勘違いしているのだろうか?

 思い違いも甚だしい。愚か者が嫌う普通。私は愚かだが異端が如何に醜いか知っている。

 この世が思う優秀など、結局は普通の延長線上にしかない

 普通でいれば、辛さを極限まで抑えられる。殻を被っても怒られない。

 それこそが自由なんだ。無法とはまた別の。

 普通でいれば自由に生きられる。

 異端になれば無法に生きられる。

 だから私は無法に死んでいる。

「その喜びを僕はお姉さんにあげたいんだよ。お姉さんが1番必要だから。仮面をつけたままは苦しいでしょう?だから自由にしたいんだ」

 またこれだ。つまりは私が殻にとじこもり仮面をつけることを良しとしない。そういう人種だ。

 私の孤独を邪魔して何が楽しいのかよく分からない。

 外したくないという仮面をなぜ外そうとするのか。

 それが私のためだと言うけれどもそれが私のためになったことなど1度もない。

 とどのつまりは普通。個々の意味での普通。無難に難あり。

「大丈夫、仮面なんてつけてないよ!私は心からの笑顔で接してるよ!」

 心からの笑顔なんてしたことが無い。小さい時からどれもこれも面白くない。だから未だによくわかってない。笑顔が何なのか。なぜ笑顔をみんな好むのか。

「大丈夫って、さっきからそればっかり。大丈夫な人は大丈夫って言うけど、大丈夫じゃない人も大丈夫っていうんだよ?」

 それはそうだろう。心配なんて邪魔なもの、されたくないのだから。

 誰にも頼りたくないし心配されたくない。孤独を邪魔する敵を排除するには自分が問題ないということを見せねばなるまい。そのために私は仮面を被るのだ。

 誰も私に触れさせない。誰にも私を見せないために。

「うーん……そうは言っても本当に大丈夫だよ?心配してくれるのは嬉しいけど、でも本当に大丈夫なの」

 本当は嬉しくなんてないのだけれど、人は感謝に弱いのだ。

 目先の感謝に目が眩み、その内側にある心にまでは目が届かない。

 所詮人間なんてそんなものだ。自分の都合のいい言葉を選んで自分の中に取り入れる。それが自分のためになるかどうかなんて関係ない。心地が良いかどうかだ。

 例え、それが自分を陥れる大きな罠だったとしても。甘美な言葉の誘惑に負けるのだ。

「……違う」

「え?」

 少年はふいと俯き、声のトーンを落としてそう呟いた。

「本当は嬉しくなんてないんでしょう?正の感情に人間は弱い。だから、そうやって自分から人を遠ざける。ずっとそうだ」

「ずっと……?」

 何を言っているのだろう。私とは今日初めて会ったのに。

 その顔や声にも憶えはない。

 少年はこちらに向き直り、私の頬にそっと手を当てた。

「思い出して、君が人間だってことを」

 静かな口調で少年は続ける。

「君の心が隠した、もう1人の君を」

 私をぐいと抱き寄せ、さらに続ける。

「君は、いつから人を、自分さえも愛せなくなったの?」

 スマホから流れるテクノ風な音が部屋に響いた。

 窓の外を見ると既に日は顔を出し、一日の始まりを懸命に伝えていた。

 まだ覚醒しきらない意識と体を無理やり起こしベッドから出る。

 いつも通り洗面所に行き歯を磨いて顔を洗った。そしてまたいつも通り朝食をとる。

 もう着慣れたブレザー型の制服に袖を通し、いつも通りの退屈な日常が始まるのだと実感する。

 結局あれは夢だったのだ。少年の顔ももう既に思い出せない

「行ってきます」

 返事のない挨拶を終え、私は家を出た。

 学校に着き、そして席に着く。

 その時ふと、隣から声がかかった。

「おはよー」

「おはよう」

 聞き覚えのある声にふとそちらを振り向いた。

 久しぶりに表情が崩れ、驚きを隠すことが出来なかった。

「ん?どうしたの?」

 声の主は、17という歳にそぐわない幼めな顔をコテンと横に傾けそう言った。それは酷く可愛らしい動作だった。

「え?ううん!何も!」

「ふーん……?朝、何かあった?」

「何もないよ!いつも通り」

「そっか!……なんか昔に戻ったみたいな顔してたよ?」

「昔に……?」

「うん!昔みたいだった」

 昔に……戻った。昔を、思い出した。

 彼は夢の中にでてきた時より少しだけ大人っぽくなった顔に不思議そうな表情を浮かべ、こちらを見ている。

「えっと、どうしたの?」

「ううん、ホントになんでもないよ。ゆうくん」

「……?そっか」

 納得行かなさげだがそれ以上突っ込んでは来ない。その顔と同じく昔からほとんど変わらない癖だ。

 だけど……いつもと変わらない日常。もしかして、そんなものはないのかもしれない。

 少なくとも、私の日常は既に、私の知っていた日常では無くなったのだから。



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難破 陽野月美 @Hino_Tukimi

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