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「それでは自己紹介をしましょうか! 出席番号順に、相沢さんから! 」

入学式が終わった新しい教室で、1年3組の担任教師がにこやかにそう言った。

呼ばれた相沢はというと、最初に言うのが嫌なのか思いっきり顔を顰めた後、渋々席を立ち小さな声で自身の名を口にした。

「相沢真奈美です」

一言だけ言って席に座ろうとする相沢真奈美を、先生が止める。

「名前だけじゃなくて、好きなものとかも言ってみようか」

相沢真奈美の顔が更に険しくなった。

他の生徒も若干焦りの色を見せている。

相沢真奈美は少し間を置いた後、再び立ち上がった。

「相沢真奈美です。好きな教科は、国語です」

そこから、淡々と自身の名と好きな教科を言っていくだけの時間になった。

「伊藤健太です。好きな教科は国語です」

「日下凛です。好きな教科は英語です」

もちろん先生は、好きなものを言えといっただけで教科とは言っていない。

なんの盛り上がりもないまま、最後の人になった。

「それじゃあ最後、若林さん、お願いね」

「あ、はい」

生徒全員が若林に注目する。

長い髪をポニーテールで結び、眼鏡をかけている小柄な女生徒。

「若林楓莉です! 好きな食べ物は苺とアイスと……甘いものが好きです! あ、後少女漫画が大好きで、特にキミイロびより! が最近のお気に入りです! よろしくお願いします! 」

一息でそう言った後、若林楓莉はぺこりと頭を下げて着席した。

「何、あの子」

「さぁ……」

「ちょっと空気読めないんじゃない?」

周りからそんな声が漏れる。

これまで好きな教科しか言わなかった空気を壊した若林楓莉を咎める声。

周りと違う。そのことをおかしいと嘲笑うように笑う生徒もいた。

「それじゃあ、明日の日程について――」

先生がそう言うと、周りの生徒はピタリとお喋りを止める。

「先生! 私、このプリント貰ってません! 」

そんな中、若林楓莉だけが大きな声で先生に言った。

「あら本当? じゃあ、先生の使って。後で持ってくるから」

「ありがとうございます! 」

「ふふふ……」

「ふっ、あはは……」

「ちょっ、笑っちゃ駄目だって……」

先生と若林楓莉のやり取りに、多くの生徒が笑う。

やなぎはただ、そんなこと気にも止めずに黒板の方をじっと見ていた。


入学してから2ヶ月が立った。

やなぎがいつものように教室に入ると、いつもの光景が目に入った。

「ほらー何やってんの若林さーん? 」

「ご、ごめんなさ……」

「早くしてよー邪魔なんだけど」

床には散乱した教科書やノート。それらには「若林楓莉」と名前が書かれており、一心不乱に拾う楓莉。

その周りには、竹下仁奈、水野胡桃、朝川千夏と、いつものメンバーが立っていた。

若林楓莉を蹴ったり、教科書を踏みつけたりしている。

「早く教科書どかせてよー通れないんですけどー」

「ごめんなさい。でも、あなた達がぶつかってきて……」

「はぁ!? ふざけんなよ! 100%そっちのせいでしょ!? 」

仁奈が楓莉の頭を上履きで踏む。

すると楓莉はバランスを崩して、近くのやなぎの机に身体をぶつけた。

その拍子に、机が揺れて椅子が倒れる。

「あ、ごめーん、桔梗さん! 若林さんがドジで! ほら、若林さん。謝らないと」

「で、でも、竹下さんが頭を……」

「いいからさっさと謝れっつーの! 」

「ひっ! ご、ごめんなさい」

「かまわないわ。机と椅子は無事だから」

机と椅子を元の位置に戻し、何事もなかったかのように席に座る。

こんな、真正面で虐めが起こっているこの状況で、無表情でこちらに全く興味を示さないやなぎに、その場にいる全員がポカンと口を開けた。


コツコツコツコツ……。

すると、どこからか足音が聞こえてきた。

「やばっ! 先生来たよ! 」

千夏が焦った声でそう言うと、仁奈と胡桃も慌てたように自身の席へと戻っていった。

扉を開けて、先生が入ってくる。

「はーいHR始めますよー。って、若林さん、どうしたの? 」

散らばった教科書と楓莉を見て、先生が驚いたようにそう聞くと、楓莉は「あ、う……」と口をパクパクさせた後、急いで教科書を拾い集めて席へ戻った。

そんな楓莉を見て、ニヤリと口角を上げる女子数人。

「それじゃあ今日の連絡は――……」

楓莉は、カタカタと震えていた。

自身の身体をギュッと抱きしめて、小さく蹲っている。その姿は、外的から身を守る小動物だ。


そしてその日、帰りのHRが終わった後、楓莉は素早い動きで先生の元へ向かった。

何やら話をした後、先生と共に教室を後にする。

「仁奈ー胡桃ー、帰ろー」

「おー」

「胡桃、カフェ行きたいなー」

そんなことは露知らず、いつもの3人組は帰り支度を始めていた。

この後、あんなことになるなんて知らずに。



「やなぎ! クラスで虐めがあるって本当!? 」

帰ってくるなり、母はそう言った。

それに、何食わぬ顔でやなぎは答える。

「虐め、といえばそうなのでしょうか」

母の顔が曇る。

やなぎは、虐めになんの関心もなかった。

ただ、教室で虐め?が起こっている。それだけのことだと、何の疑問も心配も抱いていない。

「やなぎ」

「なんでしょうか」

母はやなぎの肩にそっと触れ、曇った顔のままこう告げた。

「周りの人達の、言う通りにしなさいよ」

周りに合わせておきなさい。

この選択が間違いであるということを、やなぎには理解できなかった。

だから、

「はい」

そう答えることしか、できなかった。


翌日。教室に入ると、いつもの光景が並んでいた。

やなぎの前の席、楓莉が、雑巾を手に一生懸命机を拭いている。

油性だろうか。中々落ちる気配がないそれを、懸命に下を向いてゴシゴシ擦っていた。

「ふっ……っ……」

嗚咽が聞こえる。

机に書かれた「死ね」の文字の上に、水が滴った。

2粒、3粒と、シミが多くなっていく。

「若林さーん」

泣いている楓莉の元へ、仁奈と胡桃、千夏が向かう。

「なんで自分がこんな目に合ってるか、分かるよね?」

睨みながら聞く仁奈を、楓莉はぼんやりとした目で見つめた。

「何か言えよっ!? 昨日先生にチクったことは知ってんだよ!? クラス全員の親に連絡いったからなぁ!? 」

「ちょっと、聞いてんの? 」

「調子のんなよ、ブス」

楓莉は、降り注ぐ刃物を避けようとはせず、ただじっと、小さく身を縮こまらせていた。

「ちょっ、桔梗さん。今あっち行かない方がいいよ」

自身の席に歩を進めるやなぎを、ドアの傍にいた女子が止めた。

今やなぎの席周辺では、3人が1人を取り囲んで怒鳴りつけたり、髪を引っ張ったりしている。

行けば空気のよめない奴と見なされて、やなぎにもとばっちりがとんでくるだろう。

「クラス皆でね、若林さんのこと無視しようって決めてるの」

眼鏡をかけた、真面目そうな女子がそう言った。

「だから桔梗さんも、無視してね? じゃないと、若林さんと同じ目にあうことになるよ? 」

『周りの人達の、言う通りにしなさいよ』

母の言葉を思い出す。

「わかったわ」

そう返す。

「仁奈、そろそろ先生くるから」

千夏が仁奈にそう告げると、仁奈は最後、楓莉の身体を思いっきり蹴った。

小さな身体が、鈍い音を立てて壁に叩きつけられる。

「じゃ、先生には私の勘違いでした。お手数をおかけしてしまってどうもすみませんでした、って言っといてね? 」

「……」

「返事は!? 」

「……は……い」

3人が去ったところで、やなぎはようやく席に着く。

「あ……桔梗、さ……」

やなぎは、その呼びかけを、SOSを、無視した。

顔を楓莉に一切向けず、先生が来るまで本を読む。

「っ……」

楓莉は、更に大きな涙を流しながら再び机を拭き始めた。

大分擦ったおかげか、もう落書きはほとんど消えている。

でも、楓莉は拭いた。拭き続けた。

自身の姿を隠すように、外部からの悪を断ち切るように、ずっとずっと、手を動かし続ける。


放課後、仁奈達に「今度チクったら、許さないから」と圧をかけられた楓莉は、直ぐに家に帰らず、教室に残っていた。

残ってお喋りに興じていた生徒も、自習をしていた生徒も、1人、2人と帰っていく。

そうして、本を読んでいたやなぎと楓莉だけが残った。

時計を見ると、6時を回っている。

そろそろ帰ろうと思い帰り支度をして教室をでようと歩き出すと、

「桔梗、さん! 」

呼び止められた。

相手は1人しかいない。楓莉だ。

「あ、の……」

大きな声で呼び止めたはいいものの、言葉が見つからないのか口ごもる。

やなぎは一瞬足を止めるも、

『無視してね?』

今日クラスの女子に言われたことを思い出して、すぐにまた歩き出した。

「あ……」

楓莉を、無視した。

教室を出て、玄関に向かう。

ふと教室を振り返ると、俯いて身体を震わせている楓莉がいた。


そしてそれが、若林楓莉の最後の姿だった。

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