第15話 我が友 カラフト犬 セル号

 我が友樺太犬

活躍する犬のお話です。北海道には昔「樺太犬・からふとけん」が生息していました。人間の荷物を運ぶ運搬用の犬でした。この犬の祖先(そせん)は狩をするために獲物を追う狩猟犬でした。

大昔には、南極探検隊の極地調査でこの犬たちは活躍しました。そうです、犬そり隊です。南極大陸で活躍した事は映画にもなりました。現在、北海道には樺太犬は一頭もいません。

絶滅してしまったのです。そこで、数年前に稚内市に住んでいる人たちが、樺太犬保存会を設立しました。北海道に樺太犬を繁殖(はんしょく)させる運動です。色々と調べてみますと、北海道の北に位置するサハリン島にその樺太犬が生存している情報がありました。


サハリン島は元樺太と呼んでいた日本の領土でした。ここで活躍していた犬を樺太犬と呼んでいたのです。サハリン島は現在ロシア領です。北海道とサハリンは四十キロメートルの近さです。

でも、国境があり、お互いビザ(政府が滞在認めた証書)がないと入国はできません。樺太犬に愛着(あいちゃく)を掛けた保存会の人たちがサハリン島へ調査で訪れました。サハリン北部にオハ市(人口三万人程)があります。現在、原油と天然ガスの生産地があります。ここから西へ二十キロメートル程の海岸沿いにネクラソフカ村(人口七百人程)の漁村があります。この村でロシア人のセルゲイさんが、樺太犬を飼っていたのです。セルゲイさんは、漁師で樺太犬を作業用の物資の運搬に使用していました。この村には北方民族のニブヒ人が大勢住んでいます。


セルゲイさんは、幼い頃から樺太犬の扱い方をニブヒの長老から学んでいたのです。犬使いをニブヒ語でカユルジンと呼びます。ロシア人でもセルゲイさんは、カユルジンと今でも呼ばれています。このセルゲイさんに面談した保存会の人たちはセルゲイさんに北海道での樺太犬の歴史(れきし)と現状(げんじょう)を説明しました。三十頭もの犬に囲まれているセルゲイさんです。快い返答をもらったのです。「今年はムリですが、来年春に生まれた子供を数頭上げましょう」北海道から来た会員は大喜びで帰国しました。いよいよ北海道に樺太犬が来るのです。セルゲイさんは、毎年新しい種を求めて対岸のシベリア地方へ旅に出ます。結氷した間宮海峡を犬そりで渡ります。

途中の村々で宿泊し犬の休憩もかねての旅は重労働です。普段の犬そりの編成は先頭のリーダー犬、二番手・二頭 三番・二頭 四番手・二頭 五番手・二頭 合計九頭でそりを引きます。それに、旅には二頭の補助用犬も同行するのです。補助犬は若い犬で先輩の犬たちの行動を観察するためから同行させているのです。樺太犬はロシア名で東シベリアライカ犬と言います。大型の犬で体長は一メートル程、成犬(せいけん)では体重も四十~五十キログラムもあります。食事は日に一回でアザラシの肉を与えられます。アザラシの肉は脂身があり犬が冬場で過ごす体力としては、大変に合理的(ごうりてき)にできています。


セルゲイさんは、冬の生活は犬たちと共に魚場(ぎょば)へ犬そりで出かけます。村から海岸沿いに氷の上をそりが走ります。大抵・九頭の犬が使われます。そりはセルゲイさんの手作りです。近くの森から木を切り出し乾燥させた木材で製作します。犬が引く用具もすべて手作りです。馬の皮からそれらの用具ができます。一番苦労するのは、犬が病気や怪我(けが)になった時の対処の仕方です。その時は、隣町の獣医師さんに電話をして来てもらいます。予防接種は年齢ごとに行われます。大変な事は骨折です。当然、犬は歩けません。獣医師さんは、ドイツ製の骨を接続する金具を普段から準備しています。この金具は高額でとてもセルゲイさんには、重い負担になります。でも、かわいい犬であり労働犬として活躍してくれているのでお金を惜(おしむ)しません。骨折はソリに巻き込まれた時とか、氷の間を走っている時に起きる事故なのです。この事故は若いリーダー犬の時に起きます。

セルゲイさんもこの点は充分気をつけています。経験があまり少ないリーダー犬は、進路を取る時に無理な場所を走るから起きるのです。ネクラソフカ村には、樺太犬がセルゲイさんの家しか飼っていません。

人口の大半がニブヒ民族ですが、昔は犬そりを使って作業を行っていましたが、現在はスノー・モービルにその役割は変わってしまいました。ですから、村にはたくさんのモービルが走っています。子供たちの登・下校(とうげこう)にもスノー・モービルを運転した親の姿を見ます。


しかし、セルゲイさんは、そんな機械文化に反対です。なぜなのかと聞いてみました。「機械は故障する。遠く幾日も掛かる旅行で機械が壊れたら命も失う。それと、機械は燃料を食う。道中にその燃料を用意しないと前進できない。広いシベリアは犬が一番安心して旅ができる」そして、「犬の餌はどこでも手に入る。これが一番大事な事です。道中で事故があり私が亡くなっても犬たちは自宅へ帰ってくれます」と笑顔で言いました。なるほど、たしかに近代の機械では自動で帰宅などできませんね。犬の知恵を借りているセルゲイさんの意見にも同感(どうかん)でもあります。氷下のコマイ漁がセルゲイさんの冬場の仕事です。海岸で凍りついた海をノコギリで切ります。昨日掛けた網を引き上げます。生きたコマイが引き上げられると同時に寒さで冷凍状態になります。ほんの一秒ほどです。この地方の二月の最低気温はマイナス三十度です。海風も加わりその気温はマイナス三十二度を超えます。自然冷凍のコマイを袋に入れてそりに運びます。魚の重さは百キログラムにもなります。樺太犬たちの出番です。セルゲイさんが、乗り込み掛け声を掛けると同時に犬たちは陸に向って走り出します。帰りの道のりは森林地帯です。夏にはこの地域では木の実のたくさん採れます。そして、きのこも採れます。でも、ヒグマも時々出てきます。サハリンのヒグマは北海道と同じ体格で大型です。冬場は冬眠中なので犬たちも安心して走り回れます。三十分程で村に入りセルゲイさんの自宅へ帰ります。村に入ると他の犬たちが吠(ほえる)えて歓迎してくれます。犬は働いたり、走っているのが、とても好きな動物なのです。他の犬はそんなセルゲイさんの犬ソリを引いている犬をうらやましく見ていたのです。


帰ると犬たちは、リーダー犬を先頭に犬舎に入ります。この時、注意が必要です。リーダー犬は今日なまけた犬(働かない)を威嚇(いかく)するのです。その表情は恐ろしいものです。牙をむき今にも飛び掛らない程の行動なのです。セルゲイさんも知らない犬同士の約束事があるのです。

大抵前から三番目にいる犬がリーダーから注意を受けるそうです。なまけてソリを引かない、その状況がリーダーに伝わっているのです。何と素晴らしい事であり、何と厳しい掟(おきて)があるのか・・・。夕方に再び犬は外に出されます。食事の時間です。アザラシの肉がセルゲイさんの手で切り分けられます。犬たちもこの時間を待ちどうしくてたまりません。切られた肉は犬の前に飛んできます。無言で食べる犬たち。「今日も頑張った」とセルゲイさんは、特別に赤ビーッで調理したボルシチをボールに入れて犬たちに与えました。ボルシチは奥さんが特別に作ったものですが、これはセルゲイ家の家族も食べる貴重な料理なのです。少し甘いボルシチですが、ロシアでは家庭料理としてどこの家でも作っています。

犬たちも働いた影響で糖分が不足しているのか、すごいスピードで平らげます。みごとな食べぐわいでセルゲイさんも満足顔です。冷凍コマイは村の代表者が量を測り月に二回回収されます。そのコマイはブルトウザーが引くソリに乗せられて対岸の大陸へと輸送されます。結氷した海は厚さ二メートルにもなり戦車も通行できるのです。

夏場は、犬たちの作業も少なく船を海岸沿いに引くのです。この作業は犬の肥満防止をかねて体力の維持が目的なのです。


昨年、約束した稚内の樺太犬保存会への犬贈呈が春の訪れと共に現実に近づいてきました。昨年から時々、首都ユジノサハリンスク市のテレビ局がセルゲイさんの日常を映像化して送っていたのです。その映像では生まれた子犬も四ヶ月に入り大きく成長していたのです。オハ市の獣医師先生が輸出用の診断書と予防証明書を作成してセルゲイさんに届けてくれました。子犬は五頭でオスが一頭、メスが四頭になりました。樺太犬の成長は早いのです。

四ヶ月では体長も五十センチを超えています。稚内から二名が引き取りに村にやって来ました。


サハリン島最北端のネクラソフ村から最南端のコルサコフ市まで八百五十余キロメートルもあります。大型六厘駆動車(ろくりんくどうしゃ)に乗せられた犬たちと同行の二人が乗り込み二度と帰らない故郷を後にしたのです。出発間際(しゅつぱつまぎわ)セルゲイさんは、森から切り出した枝木をトラックの荷台いっぱいにひきつめました。木々の香りが車内に広がり犬も人間も心が安らぐのです。予約した木材船の出航が早まったとの連絡で関係者は驚きました。時間計算すると木材船の出港まで三十時間を切っているのです。


当然、この地からはるか南端まで八百五十余キロを三十時間で走るには無理があります。それと、港では動物検疫と輸出に関しての手続きもあります。担当のドライバーは無言でこの時間を犬たちのために達成させたのです。サハリンの道路は現在も悪いですが、当時では平均時速も二十キロメートルと早く走れないのです。担当のドライバーは軍隊にいたとの事で何なりとノンストップでコルサコフに到着したのです。五頭の犬たちは犬用ゲージに入れられています。途中四回の水やりと五分間の散歩そして人間様の食事で二十分間を費やして完璧に時間を出航に間に合わせてくれたのです。


コルサコフ市は港町です。北海道へ渡るには船舶の利用が一番良いと判断した保存会では、木材船に犬の運搬を依頼したのです。それと、サハリンテレビ局が樺太犬の話題を放送で扱ってくれたのです。コルサコフ市の市長もこの犬の移住作戦に全面的に支援をしてくれました。木材船のキャプテンも輸送経費も安くしてくれました。犬の好きな船員を係りとして配置してくれました。


港では五頭の犬を待っていました。オハ市の獣医師さんが書いてくれた五通の書類が税関・動物検疫の担当者に渡されました。一部は日本入国で使用すのでキャプテンに渡されました。書類には犬の名前がありません。番号が付けられて一から五までが彼らの名前なのです。

日本・北海道では素晴らしい名前が付けられるでしょう。犬の受け取りに来た保存会の人たちはコルサコフ・稚内間の国際定期フェリーに乗って日本に帰国しました。

夕方・コルサコフ港には市長と関係者そしてサハリンテレビの取材チームも見送りに来ていました。その日の夜に樺太犬が日本に移住したと報道されました。


北海道では動物検疫を行う場所は一箇所しかありません。

動物が入国できる港および空港は、港では苫小牧、空港では新千歳空港の二箇所しか認められていません。サハリンから船舶で三日目に苫小牧に五頭の犬たちは到着しました。これからが犬たちには試練がまっています。動物検疫で施設に入り病気の有無が検査されます。これらが二週間かかり日本に正式に入国ができるのが、その後なのです。病気があると当然入国はできません。それらの病気を治してから入国が認められます。生後四ヶ月の犬は母体からの免疫(めんえき)があります。それと出発前にサハリンで獣医さんが発行してくれた証明書があります。


稚内の樺太犬保存会に入国可能との連絡が入りました。春に生まれて四ヶ月目に犬たちは日本国籍の犬になったのです。犬の誕生から異国の地への移動には多くの人々の支援と協力からできたのです。名前もオスは「宗谷の熊・そうやのくま(稚内は北海道で宗谷地域であるのです)」メスはさくら・梅(うめ)など日本名が命名されました。現在・五頭の犬たちは健康に過ごしています。すでに、孫やひ孫「二世代・三世代」できくる年代に入りました。


すべてが老犬になりました。でも北海道は気候も良くてサハリンほど寒くはありません。快適な生活を人々と共にしています。私たちは、犬との生活に数千年もの歴史を持っています。


共存共栄(きょうぞんきょうえい)と言う言葉があります。お互いを認め合い、双方が助け合う、そして素晴らしい環境を作っていきましょうと訴えているのです。愛護の法律は心の問題でもあります。やさしい、ばかりでは動物も健康を維持(いじ)できません。育てている飼い主が観察力を増して動物に接して病気の予防に力を入れるのです。そして、異常が見られたら即座(そくざ)に担当の獣医師に相談をするべきなのです。動物も命ある生物です。物事を考える思考力(しこうりょく)が備(そなわる)わっています。そして、毎日・彼らは環境の変化に鋭く対応する能力(のうりょく)を学んでいます。彼らの学習している問題を少しでも解決して安心できる環境を作るのが、我々人間に与えられた課題(かだい)なのです。

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