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「僕はあなたが、嫌いだ」


「いきなりなかなかのことを言ってくれるじゃあないか、きみは」


「残念ながら僕には、娘を出世のツールにしているような人間に、こびを売る口を持ち合わせていませんので」


「おいおい。勝手に私をわかったかのように言っているが、きみは私のなにを知っていると言うのだね?」


「なにも知りません。けれど、あなたがクソ野郎だと言うことは、理解しているつもりですが。違いますか? クソ野郎」


「ふふ。まるで子供の喧嘩だな。そんな言葉を言うためだけに、この車に乗り込んだのかね?」


「どうしても伝えたいことは、直接言うべき。それが僕のスローガンなので。これでも僕、地元ではそこそこ名の知れているやつでしてね。沈黙の殺意とさえ呼ばれているんですよ」


「ほう? ではきみは今。私に殺意を向けているのか? 申し訳ないが、なにも感じなかった。失礼」


「いえいえ、当然ですよ。僕はまだ、本気の殺意を放っていない」


 そう。まだ僕は本気を出していない。


 ここから見せてやる。まずは僕をことごとく馬鹿にしてくる後輩。矢面から身を持って学んだ心の傷を刻み込んでやろう。


「ところで、そのスーツ。どこのっすか? あ、いや、別に深い意味はないですけど、ちょっとだせえな、って思いまして。つーかそのスーツウケんすけど。どこのブランドのスーツなんすか?」


「はて。私はスーツにはこだわらない主義なのでね。金額は百万ほどだったはずだが、確かにきみの言う通り、いささかセンスには欠けているのかもしれない。あるいはきみのセンスが、私に到底及ばないのか。そのどちらかだが」


「ならあなたのセンスがゴミなんでしょうね。これでも僕は若者ですし。流行に敏感ですから。そのスーツ、ぶっちゃけダサいっすよ。僕なら町を歩くどころか、コンビニにも行けない格好ですよ。あ、でもそれ、あなたから見たら格好良いんでしたっけ? 百万するなら、それなりにイケてる、って思ったんですよね? あはは。なんか悪いっすね。全否定しちゃって」


「ふむ。なかなか貴重なアドバイスだったよ。ではこのスーツはもう二度と袖を通さないことにしよう。さすがに今すぐに脱ぎ捨てることは出来ないのでね」


「賢明な判断っすね。なんだ。出来るんじゃねえっすか。賢明な判断。もしかして、生まれてから初めてしたんじゃねえっすか? 賢明な判断」


「ははは。さっきからきみは私を怒らせたいのかね?」


「いえいえ。僕にそのつもりはありませんよ。あれ? もしかしてこのくらいでカンに触りました? はは。すいません。いやでもこれくらいでカンに触ったなら、いささか小せえなあ、と。器の小ささを感じざるを得ないんで、失笑を禁じ得なかったです」


 サンキュー矢面。お前から受けた屈辱は、決して無駄にはならなかったよ。


 さて。ここからは、僕を日頃悩ませている妹様をトレースしてやるぜ。


「ところで、あ、えーと。名前なんでしたっけ? 鼻水みたいな名前でしたよね? えーと」


「雪水だ」


「あー、そうそう。雪水さんでしたね。イントネーションが鼻水と激似だったんで、間違えてしまいました」


「……構わないよ。所詮子供の戯言だ」


「戯言? それは僕の言葉が戯言だと? 自分のことを棚に上げてずいぶんと言ってくれますね。娘を出世のツールにしているあなたの発言など、口から出る言葉全部が戯言でしょうに」


「先程から、きみは私を誤解しているようだな」


「え? やだなー、してませんよ。誤解なんて。一体全体、僕のどの発言が誤解しているなんて誤解を招いたんですか?」


「コホン……、私が娘を出世のツールにしていると決めつけているところだ」


「えー? 違うんすか? とても信じられませんね。だって顔が詐欺師みたいな顔してるんですもん。ひょっとして、嘘で稼いでるんですか?」


「……そんなわけあるまい」


「否定が弱いなー。弱者の物言いですね、それ。はっきり言えないようなお仕事で稼いでいるんですね。やれやれ。それで金持ちとか世界が泣いてしまいますよ」


「……きみは……、失礼なやつだな」


「あはは。僕が一度でも失礼じゃない、って宣言しましたっけ? だとすれば僕をそうやって決めつけたあなたの目が節穴だった、というだけですよ。うわ、だっせえ。その鋭い眼光は、ただの飾りっすね。ウケんすけど」


「ウケていないようだが?」


「若者にそれ言うんすか? 僕たちにとってウケるって言葉は、ちょっとした挨拶みたいなものなんですけど、器が小さいとそんなところまで気になってしまうんですね。あーあ。良かった、僕。器が大きくて良かった」


「……………………」


「あれ? あれあれ? だんまりっすか? 子供の軽口にだんまりっすか? それだから娘にも家出されてしまうんですよ。父親がこれじゃあ、僕なら自殺してるなー」


「…………そろそろ私も少し気に触るが?」


「少し? それにしてはプルプルしてやがりますね。ちなみに、ここで僕に手をあげた場合。あなたは社会的に死にますよ。出世どころではなくなりますよ? それでも良いんでしたら、ほら。頬を殴っても構いませんよ。ほらほら?」


「…………いや、私はきみのようなガキになにを言われようとも、気にしないさ」


「ふふ。ガキって言ってるじゃないですか。気にしてるじゃないですか。強がりって、みっともないと思いません? ぶっちゃけ、ダサさえぐいっすよ。みっともない人間はみにくい、って。それは世界共通じゃねえんすか?」


「……………………」


 そろそろ僕もキツい。


 僕じゃ無理なのか……?


 僕には、フウチの声を取り戻してやることは出来ないのか?


 悔しい。


「……………………」


 悔しくて、涙が出る。ちくしょう。自分が情けない。


「…………今度は私から言わせてもらおうか」


「……え?」


 ちょっと待て。それは予定とは違う。


 そんな予定、プレゼンしていない。


 僕が予定から外れたことにより、若干の混乱をきたしていると、雪水氏は、どんどん言葉を続けた。本気のトーンで。


「まずきみは、礼儀が悪い。目上の人に対する礼儀がなっていない。私にクズだのゴミだの言ってくれたが、きみはそれ以下だな。クズ以下。ゴミ以下。ただの物質でしかない。それも有害物質だ。てんで話にならない。子供の戯言だと、聞き流していたが、しかしながらきみは失礼が極まっている。少しはがり、大人として教育してやろう。舐めてんのか? おいガキ。貴様は私に散々舐めた口を利いてくれだが、貴様はなにさまのつもりだ? 散々ダサいだの馬鹿にしてくれたが、私もきみはダサいと思う。いよいよ社会のゴミを育成するために、この国は税金を使い始めたのか、と。母国を離れて久しいが、残念ながら戦慄を禁じ得ない。それになんだ、その情けない顔は。仮にも私と対面しているのにいささか失礼じゃあないのか。顔のつくりには言及しないでおく。だが、とても好きになれる気はしないな。私のことを嫌いだと言っていたが、私も同じ言葉を返そう。私も貴様のようなガキは嫌いだ。どうやって育てていけば、貴様のようなクソガキが育つのか疑問を感じざるを得ない。まったく。私の時間を無駄にさせないでくれ。ガキが私の前に座るなど、本来なら許されるものではないのだ」


 親の顔が見てみたいよ——と。淡々と。そして冷酷な口調で雪水氏は言った。


 見せられるものなら、見せてやりてえよ。僕だって。それが出来るなら、ぜひともご紹介してやりてえよ……。


 僕だって——と。


 悔しくて。なにも言い返せない自分が情けなくて、本当に悔しくて。


 僕は、ひたすらに無言で歯を食いしばり、泣いてしまった。ぼろぼろ——と。


 涙を流した。


 だが、それだけじゃあない。僕がぼろぼろと泣いてしまったのは、決して——雪水氏の心ない、


 車内のスピーカーに響いた、一言が原因だ。


 たった一言。されど一言。


 その声は、僕が過去一度だけ聞いたことのある声で——でも、こんな風に叫んだ声を聞くのは初めてで。


 なにより、嬉しかった。まるで僕のために言ってくれたのではないだろうか——と。そのようなタイミングで、車内のスピーカーに接続した、ジーヤさんのスマホから聞こえた声に、僕は……いや。僕と雪水氏は、二人して笑みを浮かべながら、涙を流した。


 雪水氏が、親の顔が見てみたいよ——と。言った瞬間だった。


 リムジンの内部スピーカーに、響いた言葉。


 果たして声は、


「バカあああああああ——————っ!」


 という、スピーカーがキーンとなるほどの叫び声だった。


 ずっと封印されていた——魂の叫びだった。


 その言葉を聞いた雪水氏は、涙を拭い、そして僕を真っ直ぐに見つめ、小声を震わせながら、言った。


「良い取り引きだった。感謝する」


 それは間違いなく。娘を心から心配していた親から頂戴した、心からのお礼。


「どゔ……いだじまじで…………」


 上手く返すことも出来なかった。


 あまりにも。あまりにも嬉し過ぎて。

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