8


 無鳥を呼んだ。時間ももう深くなってきたので、来てくれるのだろうか——と。そう思っていたが、無鳥はすぐ来た。びっくりするくらいすぐ来た。両親に車で送ってもらい、連絡したら十分ほどで僕んちの玄関に到着し、


「フーちゃんは?」


 と。靴を脱ぎながら、出迎えた僕に言う。


「今、風呂入ってるよ」


「わかった。あたしもお風呂借りるよ」


 僕が何かを言う前に、無鳥は風呂に向かった。僕がひとまずリビングに戻ると、風呂場の方から、


「とーう! まず謝れ!」


 という声が。それからも風呂場から無鳥の声だけが聞こえてきた。


「よし許す!」「おもてをあげい!」「てかフーちゃん! おっぱいしろーい!」「もみもみ!」「まっしゅまろー!」


 と。無鳥の声だけが、やたらと爆音で聞こえてきた。リビングまで。


「白くてマシュマロらしいですぞ? 詩色さま」


「……エロじじい」


 茶をすすりながら、エロじじいが僕に言ったので突っ込んだところである。


 無鳥め。あいつ、僕を悶々とさせるためだけに大声で言ってやがるな……。認めたくないがファインプレーじゃねえか。グッジョブ親友。でも、もみもみした親友に嫉妬をしてしまう僕は器が小さいのだろうか。もみもみという擬音を口にしながらもみもみしたであろう親友に嫉妬を隠せねえ、ちくしょう……。


 ちなみに、先に風呂を済ませたしぃるはもう寝たようだ。だいたいしぃるは、風呂上がり部屋に戻るとすぐ寝る。いつもなら、全裸でリビングをウロウロしてたりするが、さすがにジーヤさんが居るからそんなことはしなかったようだ。良かった良かった。本当に。


「そういえば詩色さま。活動日誌は、お嬢さまにお返ししておきましたぞ」


「そうか。ありがとう、ジーヤさん」


「いえいえ。持ち出したのはわたくしめでありますからのお。お気になさらないでくだされ」


「結局、どうやって返したんだ?」


 一応返すまでの流れを話し合ったりしたはずなのだが、僕に何も言わずに返しやがって、という思いは禁じ得ないながらにも、その方法は知っておきたい。


 方法というか、手口というべきか。


 なにせパクって来たも同然だったからな、あの活動日誌。


「先程、コンビニより戻ったお嬢さまに、普通にお返ししました。しぃるさまがご入浴なさっている間、ここで茶を共にさせていただきましたゆえ」


「なるほど。ちなみに普通に、って、どんな風に?」


「こちら、ゴミ箱よりじじいが回収しましたが、個人情報を破棄するにしては、いささか不用心かと思いましたので、じじいが個人情報にフィルターをかけなおし処分致しますか? と。お訊ねしました。お嬢さまは捨てることを撤回いたしました。とても大切そうに、抱きしめておられましたぞ。ほっほっほ」


 回収した言い訳が上手い。個人情報を引き合いに出すあたりが、完璧な手口と言わざるを得ない。でもこれ、盗んだ言い訳を納得できるように言い換えているだけなんだよなあ……。


 口の上手さも才能ってことか。それとも年の功かな。どっちにしろ、言い訳の達人なのだが。


 でも、大切そうに抱きしめたのか。


「それは、嬉しいな」


 嬉しい。すごく。すごくすごく嬉しい。これがジーヤさんの目がなければ、バンザイして走り回り、謎の奇声でも叫びながら服を脱ぎ捨てひゃっほーする——ところだが、じじいが居るので自重しよう。いよいよジーヤさんに対する僕の内心の二人称がじじいになってしまっていることも、そろそろ自重しよう。


 しばらくジーヤさんと会話をして、ジーヤさんの布団をリビングに用意したりしていると、風呂からフウチと無鳥が出てきた。


 おお……。無鳥はまあ、いつも通りだし、今更無鳥のパジャマ姿を見て思うことは特にない。玄関にパジャマ姿で現れた時点で、パジャマ姿をスルーしていることから、僕に思うことがない。


 が、フウチの格好。服を洗濯するために、しぃるが僕のクローゼットから盗んだTシャツ、そして黒のジャージ。


 まずTシャツ。僕のダサいTシャツシリーズから、『電光石火』とだけプリントされたTシャツ。僕が着ると電光石火感は皆無で、ただダサいだけのTシャツなのだが、フウチが着るとここまで映えるのか。すげえ。


 電光石火感はないけど、すげえ良い。


 同じく僕が着るとダサい黒のジャージも、フウチが着るとダボっとしているのだが、袖は萌え袖になっているし、ズボンのウエストがゆるいのか、萌え袖でホールドしている。可愛い。


 濡れた銀髪が、すごく魅力的だ。キラキラしてる。リビングの蛍光灯に照らされて、キラキラしている。部屋に照明が増えたように明るくなった気分になってしまう。


「フーちゃん今、なんとノーブラだよ」


「……おい。発表すんな」


 ちょっと思ったけどな。近くのコンビニにブラジャーなんてあったっけ? って思ったけれども。


 思ったことを秘め親友のデリカシーの無さに突っ込む僕は偉い。一瞬、まじで? って言いながら身を乗り出しそうになったけれど、ぐっと堪えて突っ込むことだけに成功した僕は、きっと紳士だ。


 高校生男子にしては紳士だし、偉い。


 よく堪えた、僕。でかした僕。


 タブレットをしぃるの部屋に置きっぱなしだからか、フウチは右手と首を横にぶんぶん振っている。左手はウエストを押さえている。顔は赤い。


 でも、うん。それでジャージのチャックを上まで全部閉めるところを見ると、無鳥の証言は正しいのかもしれない、と。夢と希望と説得力を感じさせてくれる。


「ひとまず、これ使うか?」


 僕は僕のタブレットをフウチに渡した。受け取ったフウチは、早速、


『ノーブラじゃない……からね?』


 と。書いた。そう書きながらも猫背になり、なるべく胸を張らない体勢で座っている。いや、隠すの下手かよ……。ノーブラです、って発表しているようなものじゃねえか、その座り姿勢。


 マジかよ。フウチが着用している『電光石火』のTシャツ、これから家宝にしよう。って、心に決めた。つまり、葉沼家始まって以来の家宝が誕生した決定的瞬間である(ハッピーバースデー家宝)。


 そんな馬鹿なことを考え、でも僕にとってはなかなか重要なことを考え(なにせ家宝にするか否かだからな、かなり重要だろ)、それぞれが部屋に向かう。


 と言っても、ジーヤさんがリビングに布団を敷いて、無鳥とフウチは寝るまで僕の部屋でトークだ。いわゆる雑談だ。


 フウチの声を蘇らせる方法を話し合うべきなのかもしれない——が、その話題にフウチを参加させることを躊躇ためらったのだ。躊躇った結果、しないことにした。


 理由は単に、フウチにプレッシャーを掛けることになりかねないからである。


 自分が声を出せれば——と。そんな負担を背負わせたくないのだ。


 あまり逆境に強いタイプでもないだろうしな、フウチ。それくらいはわかるようになった。案外、その辺は僕と似ているのかもしれない。


 プレッシャーを力に変えるタイプではない。


 僕もフウチも。決してメンタルが強くないからな。互いに引きこもりになってしまったくらい、メンタルは弱々だ。


 僕の場合はもっとダメで、別にメンタルが強くなりたい、とすら思っていないところだろう。フウチが強くなりたいと思っているかわからないが、でも僕よりはフウチのほうがメンタルが強いと思う。じゃなきゃ四月に久しぶりの登校など出来まい。僕なら学校を辞めているだろう。


 そんな自己分析をしつつ、雑談を繰り返すと当然ながら、夜は深くなっていく。


「そろそろ寝るかー」


 と。無鳥が言ったことをきっかけに、フウチと無鳥はしぃるの部屋に向かった。


「んじゃ、おやー」


 無鳥の声に僕がお休み、と。返すと、ずっと僕のタブレットで会話をしてしたフウチは手ぶらだったので、出入り口で、ぺこり——と。頭を下げた。


「お休み」


 その動作に僕が言うと、フウチは頭を上げた——瞬間。


 頭を上げたことによる、微振動でウエストを抑えることを失念していたフウチのズボン。上下黒の僕が着るとダサいだけのズボンが、落ちた。


 ズボッと。微かな音を、すっ、と。しながら、ズボンが落ちた。


 でも、ジャージの上着がダボっとしているので、全く持って見えなかった。だけど、そのジャージの下にズボンがない——ということだけで、視覚から得られる情報以上の効果を発揮して、ドキドキする。


 ドキドキとかマイルドに言っているが、ストレートに言うと興奮せざるを得ない。


 今の僕は、世界一すけべな顔をしていると思った。


 若干のフリーズを経て(二秒くらい)、フウチはものすごいスピードでズボンを上げた。連写で撮影しても、三コマしか映らないくらいの超スピードでズボンを上げて、出入り口から完全にフェードアウトした。


 かと思ったら、出入り口からひょこっと顔を出し、口パクで——えっち……。と。無声で僕を罵り、今度こそしぃるの部屋に向かっていった。


「……………………」


 たぶん……。


 たぶんフウチは気づいていないけれど、その口パクで伝えてくる感じ。実は結構ツボなんだけど。


 顔に出さないように、精一杯歯を食いしばったりして堪えているんだけど、本当はすげえ萌えるんだけど。その口パク。


 てか今更になって、ドキドキして来た。


 やべえ。よくよく考えてみると、隣の部屋にフウチ居るとか、やべえ。


 厳密に言えばしぃると無鳥も居るけど、そこはスルーだ。もっと厳密に言えば、リビングには爺さんが寝ているけれど、それこそスルーだ。


「僕……寝れるのか…………」


 くそう。寝れる気がしねえ。


 なぜなら、ここまで考える余裕を失っていたから失念していたが、フウチは我が家のお風呂を使っているのだ。いや、あれだぜ? 別に残り湯にフウチエキスが……、とか考えてるわけじゃあないんだぜ?


 そこまでやばい性癖は持っていない。


 でもさ。フウチ着替えてるじゃん?


 それってさ。それってさ……?


「洗濯機…………ダメだ。理性を……」


 洗濯機。洗濯機洗濯機洗濯機。洗濯機洗濯機洗濯機洗濯機洗濯機。


 白物家電。わあああああああああ!!!


 白物といえば、白さに定評があり、無鳥いわくマシュマロのような超高級な白物……ホワイトクッションを包み込んでいた下着が我が家の洗濯機の中にうわあああああああ!


 まずい。油断したら我を失い、自分に素直になって洗濯機を漁り、欲望のまま浴槽にダイブしてしまうかもしれない。


 ちくしょう!


 なぜこのタイミングで、部屋の扉が破壊されているんだ! くそう!


 これではまるで、僕に洗濯機が壊れていないか隅々までチェックしに行け、という神のお告げみたいじゃあないか。


「……………………落ち着け」


 落ち着け。それはダメだ。人としてダメだ。


 兄としておしまいだ。仮にそんなことをしてバレたら、物理的に生きていても社会的に死ぬ。


 クールにクールに。


 深呼吸深呼吸。すーはー。すーはーすーはー。


「うん……寝れねえな…………」


 洗濯機に突撃することはしないけれど、それでも寝れる気がしねえ。


 仕方ないから僕は、廊下に立て掛けてある部屋の扉を直すことにした。


 幸い、ネジが折れただけみたいなので、ネジを交換して、扉を直すことにした僕である。


 器用でもなんでもない僕は、そのまま徹夜で扉を修理するのだった。まあ、体力と引き換えに、社会から死ぬことはなくなったので、よしとしようではないか。


 うん。良かった良かった。本当に。

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