8.ドレス・コードは幼子の装い


櫻井さくらいさん、美形の彼氏さんが迎えに来ているよ。お洒落しゃれして、これからデート? いいね。若いとは素晴らしい」


 月彦つきひこの届けたドレス・コードをまとった私を、店長が冷やかしました。


「ありがとうございます。お疲れ様です、店長。お先、失礼します」


 退店前の荷物チェックと挨拶を済ませて、お散歩帰りの月彦と合流しました。


日芽子ひめこさん。奇蹟的きせきてきに少女だよ。リサイクルショップで掘り出した甲斐かいがあった」


 月彦の選んだ衣裳。それは『トキメキ❤フルール・コレクション』という響きと同じぐらい、気恥ずかしさを感じるファッションです。


 重なるフリルとレースが繊細な乙女模様を描く生成きなり色のブラウス。

 熟したいちごにミルクを溶かしたような淡い桃色のジャンパースカート。

 生成きなり地に、赤いティアラとハートとスペードが縦一列に並ぶオーバーニーソックスに、五センチの上げ底の真っ赤なストラップシューズ。


「ストロベリー・ミルクティー。日芽子さん、食べちゃいたいぐらいの可愛かわいさだ」


 コーディネートは苺のフレーバー香るミルク紅茶の甘さ。

 幼少時代、ピアノ発表会で着用した衣装を思い出します。

 二十五歳にして、禁じられたファッションの遊びへ飛翔。

 罪悪感をあおる、しかし、満更でもないファッションでした。


 私たちは、イベント会場への道程みちのりを電車と徒歩で移動します。

 通勤通学ラッシュの車内は座席が埋まり、吊り革につかまって立っている私たちの姿が窓に映っていました。

 幸せそうなカップルです。

 私たちは、何処から見ても誰から見ても、きっと幸福な彼氏と彼女なのでした。




 結婚式場を想わせるチャペル風の白い建物。

 未知のイベント会場に辿たどり着きました。


「僕は同伴の王子さ。此方こちらが僕のお姫様」


 受付にて、寒気のする台詞セリフを口走る月彦と、手をつないでいる私。


「ドレス・コード、認証致しました。王子様。お姫様。ごゆっくり、お楽しみくださいませ」


 丁重に出迎えられ、つられて頭を下げる私を、月彦が遮ります。


「そんなにペコペコしなくていいよ。店員モードは解除だ。僕たち、お客様なのだから」


 開始寸前のイベント空間にいざなわれます。

 外観とは正反対の暗黒なステージ。客電が落ちて、耳をつんざくような楽器の音が鳴り、可愛かわいい衣装に身を包んだ少女たちが、ステージの近くへ雪崩なだれ込みます。


「激しいな。僕、こういうノリには、ついていけないんだ」


 月彦はお散歩で疲れたであろう足を、私は立ち仕事で疲れた足を休めたく、臙脂色えんじいろのベルベットにおおわれた食事席を見定めました。どちらからともなく席に着きます。


 舞台の様子を映し出すテレヴィ・スクリーンを埋め込まれた小部屋でした。

 六角柱型に切り抜かれた小部屋の壁面に、白い革張りの椅子が備え付けられており、真ん中には白い円卓テーヴル

 隣り合い、重たげなベルベットのカーテンの影で一呼吸ひといきつきました。


「いらっしゃいませ。ご注文をお伺い致します」


 ウェイターが、オーダーを取りに来ます。


「水をください」


 メニューを無視する月彦は、水を求めるのみ。

 しつこいようですが、彼は当然の如く私が知る限り、病識の無いアノレキシアでして、食べるという本能が欠如しているのです。


此方こちらは、お食事をご注文頂いた方の御席おせきでして」


 ウェイターは困り顔でした。私は卓上のメニューを手に取り、即決します。


「ボロネーゼとグリーンサラダ、アイスティーをください。サラダはドレッシング抜きで、アイスティーはお砂糖抜きで、フォークと取り皿とストローをふたりぶん、お願いします」

「かしこまりました」


 単品ひとつのオーダーで、ふたりがシェアすることを、ウェイターはとがめませんでした。月彦は、昼間から出歩いて疲れたのでしょう。ウェイターが去ってしまうと、私の腕にまとわりつき、肩にもたれ掛かってきました。


 そんなことをされても鬱陶うっとうしくなく、重みを感じないのは、彼の胃が空洞をたたえているためでしょうか。おそらく、ライチ味のゼロカロリーゼリー以外、何も口にしていないのでしょう。


「……がとうね、日芽子さん」


 生演奏がカーテン越しとテレヴィ・スクリーンから二重に聴こえて、小さい月彦の声を掻き消してしまいます。私は、ギグの様子を伝える室内のモニターの電源を切りました。

 画面の光と音が落ちると同時に、私たちの時間は濃密になるのです。


「ありがとうね、日芽子さん。御免ゴメンなさい。本当に御免なさい」


 月彦は聡い人です。

 月彦ヲトコ月子ヲンナのアイデンティティのあいだに生きる両性具有の上級天使のように。


「どうして謝るの? 私は月彦くんが好き。だから、お付き合いさせてもらっているの。分かるでしょう?」


 唇を重ね合いました。

 月彦の唇には、ライチ味のゼリーの瑞々しさが、淡く残っています。


「失礼します」


 カーテンが引かれます。ウェイターは手際良く注文の品を並べて、端末から精算レシートを切り離しました。


「千八百八十円でございます」


 今、精算が必要な様子でした。月彦は、天使ならぬ蝙蝠コウモリの羽根の付いたポシェットから、昼間に崩した紙幣と硬貨を数えて、お釣りの無いように支払います。


「ありがとうございます。追加注文の際は係員に、お申し付けください。ごゆっくり、どうぞ」

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