7.こどもたちは宝箱の中


 私たちの就寝は遅く、必然的に起床も遅いのです。

 月彦つきひこは眠りに就く前に電子書籍を朗読するのが好きでした。

 私は彼の朗読を聞きながら、いつのまにか夢を見ているのです。


日芽ひめちゃん、お仕事に行く時間ですよ」


 起こすのは月彦のお母様でした。今日のシフトも十二時から十七時。出勤二時間前には大抵、自力で目を醒ましているのですが、まれに眠り続ける今日のような日もあります。隣では月彦が、邪気の無い幼児のような顔で眠っていました。

 私は、そっと布団を抜け出します。お母様の用意する完璧な栄養バランスの朝食を摂り、いざ出勤です。




 電車を乗り継いで三十分。私の就業先はターミナルステーションの一角にありました。ドラッグストアのファーマシー店舗です。駅構内という立地のため、通勤通学を大幅にずれた午后ひるの時間は省エネ運営です。


 私は中番なかばんを任されていました。文字どおり、早番と遅番の真ん中の時間です。早番の従業員が落ち着いて昼食を摂る時間を確保するため、レジに立つ仕事でした。


 客足が伸びない十二時から十五時は暇です。たいして汚れていないカウンターをウェットティッシュで拭いて除菌したり、棚に収納された商品を期限順に並べ替えたりして過ごします。健康食品の棚にて、ゼロカロリーゼリーのライチ味の入荷を確認しました。昨夜、月彦が食べたいと言った品です。

 店内の買い物籠に新商品を二個、確保したとき。


日芽子ひめこさん、お疲れ様」


 聞き慣れた声に話し掛けられました。


「月彦くん、どうしたの? お散歩?」


 月彦は、まだ足の浮腫むくみを気にして、細かいひだの入った黒いロングスカートをぞろりと履き、重厚なブーツで身長を約十センチ底上げしていました。トップスにシンプルな黒のカットソーを着て、ほとんど無い胸の膨らみを隠すべく黒いボレロを羽織っています。髪は前下がりボブに白のメッシュを入れたストレート。蝙蝠コウモリの羽根の付いた小さいポーチに鎖を付けて、斜め掛けにしている姿は、メメント・モリを体現するかのようなゴシック・スタイルです。髑髏ドクロ形象かたどった指環をめた手には、謎の大きい紙袋。


「僕たちは今夜、ギグに行く。ロリータ限定ギグ。日芽子さん、忘れていたでしょう」


 そうでした。イベントに招かれていた日が、今日だったことを思い出します。


「お母さんに聞いたら、日芽子さん、地味な服で出掛けたって。それじゃ、入場できないよ。そんなわけで、ドレス・コードを持って来たんだ」


 私たちはカウンター越しに話していました。昼間から上機嫌なお客様が千鳥足で御来店ごらいてん。健康食品の棚影に身を潜める月彦。


「いらっしゃいませ」


 お客様は二日酔いに効く栄養ドリンクを選びました。肝臓水解物かんぞうすいかいぶつ。この手のドリンクは飲んでからではなく、飲酒十五分前に摂取して頂きたいところ。


「おぉ、店員さん、美しいですなぁ」


 お気の毒に完全に酔いが回って、景色も私の顔も薔薇色に見えるのでしょう。


「黒い髪に白い肌。赤くて小さい唇。女優さんみたいですなぁ」


 はたして褒められているのでしょうか。


「三百九十九円でございます。五百円お預かりしましたので、百一円のお釣りです。ありがとうございました。どうぞ、お大事に」

「うふふ。お大事にって言われたよ。嬉しいねぇ。、こういう御方いらっしゃるんですなぁ!」


 棚影の月彦が、笑いをこらえた表情で此方こちらうかがっておりました。

 お客様が千鳥足で退店後、堪え切れなくなったのでしょう。カウンターにひじをつき、鈴を転がすように笑います。何かがツボにまったようです。


女優さんって誰だよ。駄目だ! 、こういう御方って!!」


 確かに日芽子さん、古風だけどさ、と一頻ひとしきり笑って、籠に確保したゼロカロリーゼリーのライチ味を発見する彼。


「今、味見したい」


 そう言いました。


「日芽子さん、僕が買うよ」


 社員クレジットを切ろうとする私を遮り、一万円札を差し出します。


御免ゴメン。一万円札しか持っていなくて。ギグに行く前に崩しておかなければ」

「まだ十四時よ。ギグは十八時から。私の仕事は十七時まで。月彦くん、あと三時間、どう過ごすの?」

「うーんと、お散歩。お天気いいから公園に行こうかな……固い」


 彼にはゼリーの蓋を回す握力も無いでしょうか。

 私は、ライチ味のゼリーの蓋をひねって開けました。


「ありがとう。日芽子さん。とても美味おいしいよ。じゃあ、十七時に迎えに来るね」


 月彦が届けてくれた衣裳の入った紙袋を、カウンターの中に置きました。

 お散歩に行く彼に言います。


「行ってらっしゃい。車と人に気を付けて。転ばないようにね」


 本当に私は、月彦の「恋人」や「妻」と言うより「母」ですね。

 折れそうな身体で散歩する彼が心配で心配で、たまらないのです。

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