3話 特別

  「フフフフ フーン フーン フン フーン フーン フン フーン フーン♪」


 お気に入りのナンバーのビートにのせてペダルを漕いでいく。

 時折、空の色が青からオレンジに変わりゆくのを見上げながら、俺はケッタに跨り20分をかけて練習場に向かった。

 小さい頃から「ケッタ」なんて呼んでいるが、正式名称はケッタマシーン……全国的には自転車と呼ばれているらしい。これが方言だと知ったのは高校に入学して、関わる人間の生息地域がこれまでより広域になったからだ。


「こんにちは」


 駐輪場にケッタを置き、駐車場を掃除していたクラブ関係者に頭を下げる。ウチのクラブはサッカーの実力だけではなく礼儀作法なんかの指導にも熱心だ。若い内に成功を収めれば大金を手にすることができる。そんなときに過ちを犯さないようにするための抑止策らしい。


 ステラノクス名古屋


 J1所属のユースチームに俺は所属している。

 

「ちわーす」


 クラブハウスに入り、ロッカーに鞄を放り込みながら仲間に挨拶をした。


「おーす、ユウ。今日も眠そうな顔してやがるな。毎晩オンラインゲームのやり過ぎじゃねぇか?」


 隣のロッカーの住人の生瀬勝なませまさるが軽口で反応してくれた。


「それ、完全に自分のことでしょ? マサルさんじゃあるまいし、0時にはベッドインしてるから」


「おまっ、ベッドインって普通に寝るだけだろ? 紛らわしい言い回しするなや」


 クククッと笑いながら俺の背中をバシバシと叩いてくるのが地味に痛い。


「まあ、女のカゲもないユウのベッドインはいつになることやら」


 自分のことを棚に上げてディスってくんなよ! と思いながらも一応、先輩だということを考慮してここは無視することにしよう。


 俺たちの練習グラウンドは、トップチームの隣に位置しており、時間帯によっては間近でプロの練習風景を見ることができる。まあ、とは言え、俺たちも基本的にはトップチームと同じ練習をしている。なぜならば俺たちはいつトップチームに呼ばれてもいいように一貫した戦術を叩き込まれているからだ。


「きゃ〜! 頑張って〜!」


 練習は一部を除き一般公開されているため、近隣のサッカー部や、クラブチーム、個人のファンなどが見学に訪れている。まあ、俺にファンがいるわけでもないし、基本的には空気と化しているんだけどな。


 練習は基本、週4日の一日3時間行われる。ちなみに今はクラブユース選手権の地区予選が行われている時期なので週末は公式戦が続いている。


 なので今日も試合形式の練習がメインになりそうだ。


♢♢♢♢♢


「ふ〜、お疲れちゃん。友人ゆうとのラインコントロールもだいぶ浸透してきたんじゃないか?」


練習後、クールダウンをしているとキャプテンの西垣修にしがきおさむが労るように肩を叩いてきた。


「お疲れっす。どうっすかね? まだまだ危うい感じもするけど、だいぶ見れるようにはなってきたかも」


 ジュニアの頃からのメンバーが多い中、俺はユースチームからの新参者。しかも、メンバー入りしたのは先月から。

 この一年でチーム戦術はしっかりと叩き込まれたので、基本的な動きは問題ないが、個人間レベルのところまで掘り下げていくと、まだまだ連携不足は否めない。 


「まあ、まだ焦る必要はないさ。リーグ戦までは2ヶ月の猶予があるし、試合こなしながら連携を深めてけばいいさ。……それができなければメンバー落ちするだけさ。目指すところがあるなら気合い入れろよ」


「……っす」


 辛辣な言葉に聞こえるかもしれないが実力が全ての世界。這い上がるためには足掻き続けるしかないって訳だ。


♢♢♢♢♢


 自宅マンションに着いたのは21時を少し過ぎた頃。


「あれっ?」


 玄関を開けると誰もいないはずの部屋に明かりがついている。


「親父か?」


 あり得ない話ではないが、可能性は低そうだ。


 我が家は親父と俺の二人暮らし。とは言っても社畜の親父がウチに帰ってくるのは年に数回。

 知らない間に北海道で単身赴任していたり、知らない間に中国で単身赴任していたり。

 俺が物心付く前から親父は家庭を顧みることなく仕事に没頭していたらしい。そんな親父に嫌気がさしたお袋は若い男に入れ込み、3年前に紙切れ一枚と俺を残して姿を消した。


 部屋に着き、扉を開けると胃袋を刺激する匂いが俺の嗅覚を襲った。


「んっ? あっ! ゆうくんお帰り! ごはんできてるよ」


 玄関の扉が開く音が聞こえたのか、リビングの扉の影からこそっとこちらを覗いていた陽菜乃が、ホッとしたような表情で出迎えてくれた。


 ピンクのモコモコのルームウェアの上から、真っ赤なエプロンを付けた陽菜乃は、おたまを持ったままパタパタと小走りで近づいてきた。


「おまっ———」

「ご飯にする? お風呂にする?」


 また勝手に入りやがってと文句を言ってやろうとしたが、満面の笑みを向けられてしまうと言葉が出ない。


「…… が抜けてるぞ」


 辛うじて軽口を返す。


 馴染みの人間だからって、彼氏持ちが他の男のウチに上がり込むのはNGだろ。

 しかもルームウェアで晩飯まで作ってやがって。お前は通い妻か!


「えっ? ……っと、あ、あのぉ、さ、さすがにそれは幼馴染の範疇を越えちゃう、よ?」


 真っ赤になった顔を両手で押さえる陽菜乃は、時折、指の間からちらちらと俺の様子を伺ってくる。


「冗談に決まってるだろ。と、いうかなんでウチにいるんだよ? 勝手に入るなって何回言ったら———」

「あ、あ〜! ごめんね。コンロの火付けっぱなし。大変大変」


 こいつなりに俺のことを心配してくれていることは痛いほどわかる。さっきも玄関を開けて明かりのついた部屋から陽菜乃が顔を出したのを見て、ホッとしたのは偽りない俺の本心だ。


 光輝と陽菜乃が付き合いだしてから、俺が宮園家に行かなくなったのは、ひとえに俺の行動で光輝が勘違いしてしまい2人の関係が壊れてしまうのが嫌だったから。


 それなのに、当の本人がこれだからなぁ。


「ゆうくん。早く手洗っておいでよ。お腹空いたでしょ? 早く食べよう」


「はいはい」


 洗面所に行き、うがい手洗いを済ませてリビングに行くと、既に配膳を済ませた陽菜乃が笑顔で迎えてくれた。


 今日のメニューはオニギリ、ナスの味噌汁、アスパラベーコン、きんぴらなど練習後の疲労回復に適したメニューが並べられている。


「はい、じゃあ手を合わせて———」


「「いただきます」」


 手始めにナスの味噌汁をズズッとすする。


「んまっ」


「ふふふ、ありがとう。お味噌汁はおかわりもあるからね」


 思わず出た俺の言葉に、陽菜乃は目を細めている。昔はかや姉同様、料理なんて出来なかったのにな。いつからか、おばさんの手伝いをするようになり自発的にもやるようになった。


「なあ、ひな」


「ん? おかわり?」


 味噌汁を飲み干し、お椀を置いたタイミングだったものだから、陽菜乃は手を伸ばしてお椀を受け取ろうとした。


「あっ、いや。おかわりは後でもらう。その前に話したいことがある」


 先延ばしにして取り返しのつかないことになってしまってから後悔することになるのは、俺じゃなくて陽菜乃だから。


「あ、……はい」


 陽菜乃も俺にならって箸を置いた。


「ひなやかや姉がとして俺の心配をしてくれるのは、正直うれしいんだけどよぉ。……やっぱり彼氏以外のウチに上がり込んで2人っきりってのはよくないと思うんだ。何もなくても、やっぱ心配するだろ? もし、俺が光輝の立場だったらひなが他の男のウチに入り浸ってるのは嫌だと思うんだ。だからな、俺もお前たちに心配かけないようにするから、今後はこういうのはやめようぜ」


「……えっ?」


 陽菜乃が目を見開いて固まっている。


「そ、そっか。ゆうくんは嫉妬、してくれるんだ」


 頬を赤らめながら俯き気味でボソボソと独り言を言い始めた。


「も、もしもし? ひなさん?」


 えへへ、えへへと不気味な笑い方をし出したひなを訝しんで声をかけると、ハッとした表情で顔を上げた。


「大丈夫。こうくんは知ってるから」


「はっ? ……んっ? はぁぁぁぁあ〜⁈ 知ってるってお前! だめだろ! それギルティのやつだろ!」


 大丈夫なわけないだろ? いくら家が隣とは言え男と女。間違いが起きる可能性は0ではない。


「それに、私とゆうくんは幼馴染だよ? 別にこうくんに遠慮する必要ないよ」


「待て待て、ひな。幼馴染だからって特別な関係じゃないだろ? たかが小さいころから知っている仲ってだけだぞ?」


「違う!」


 陽菜乃が勢いよく立ち上がり、すごい剣幕で俺に詰め寄ってきた。


「幼馴染ってのは特別なの。友達とか彼氏とかとは違う特別な存在なの。だから私の幼馴染はゆうくんだけ! ゆうくんの幼馴染も、私だけなんだからっ!」


 陽菜乃の言ってることはイマイチ理解できないが、陽菜乃なりのこだわりがあることは理解できた。


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