2話 幼馴染

『カシュ!』


 手摺りに両肘をつきながら、自販機で購入したブラックコーヒーのプルタブを開けグイっと口に流し込む。


 放課後の屋上には俺以外だれもおらず、眼下に広がるグラウンドでは若人わこうどたちが青春アオハルの代名詞とも言える部活動にいそしんでいる。

 

 グラウンドからは集団でランニングする野球部の掛け声、テニスコートからはボールを打ち返す音、体育館からは『キュッキュッ』というバッシュの音。

 校舎内からは合唱部の発声練習やオケ部の楽器の音が俺の耳に届けられる。


「右サイド! もう少し絞って!」


  その中でもクローズアップされて俺の耳に届いたのは、ゴールマウスで小さい身体で大きな声を張り上げている親友のコーチング。


「今日も今日とて光輝こうきは気合い入ってるなぁ」


 向きを変え手摺りにもたれ掛かったところで、俺の視界は真っ黒に塗り潰された。


「イテッ!」


 視界が潰されると同時に額には鈍い痛みが走った。徐々に晴れていく視界の中、目の前には我が星陵せいりょう高校で人気No.1教師のかやちゃんこと宮園伽耶乃みやぞのかやの先生が呆れ顔でバインダーを持っていた。

 色白で透明感のある素肌にナチュラルメイクを施し、俺を見つめる瞳は幅広のくっきり二重。肩にかかるくらいのショートボブをデジタルパーマでふんわり仕上げられ、少しあどけなさが残る笑顔はDK男子高校生のハートを撃ち抜く。

 また、スラリと伸びた手足に綺麗な立ち姿。嫌味のない笑顔に同性のJK女子高生からの人気も高い。


「2年C組、柏原友人かしわばらゆうとくん。立ち入り禁止の屋上でキミは何をしてるのかしら?」


 「かやちゃん」こと宮園先生は俺の担任&英語担当教師である。


「青春の影を探してたんです」


 背中を手摺りに預けたまま首だけを捻りグラウンドに視線を移す。


 まーたあんにゃろう、ド派手なトレーニングウェア着てやがってるのか! お前はカンポスか! ちなみにカンポスとは元メキシコ代表のGKで小さな身体にド派手なユニフォームを纏っていた。グラウンドでバカでかい声を張り上げている親友の身長も162cmと小柄ながら抜群の反射神経でゴールを守護している。


「はぁ? また訳の分からないことを言って誤魔化そうとしてるでしょ。付き合い長いんだからはすぐにバレちゃうよ?」


 やれやれと言わんばかりに両手を広げてため息を漏らす

 いまでは俺の担任なんてしているが、プライベートでは隣の部屋の住民。って訳だ。7つ年上の24歳なので一緒に学校に通っていたこともないけど、彼女が高校生になるくらいまでは一緒にゲームをしたりしていた。


「……時間潰し。うちの練習は18時からだからさ」


「だからって屋上は立ち入り禁止なんだからね? 他の先生に見つかったら大変よ? 見つけたのが優しいお姉ちゃんでよかったわね、


 ふふん、と鼻を鳴らしながらドヤ顔をしているかや姉。しかし、自分がやらかしてしまったことに未だ気づいていない。


「何?」


 俺が無言で差し出した右手を見ながら小首を傾げる。


 くっ! かわいいじゃねぇかよ!


「何? じゃねぇよ。約束。学校での名前呼びは禁止だろ? 自分で言い出したことなんだからきっちりとペナルティーは受けてもらうからな?」


「はっ! し、しまった……。い、いまのはノーカンってことに———」


 自分の容姿を自覚した上での上目遣いの懇願。残念! 俺以外のやつになら成功したのにな。


「ならねぇよ。確かペナルティーは何でも一つ言うことを聞くだったよな?」


「ち、違うから! そんな約束してません! 事実を歪曲させないように! ……全く、学校では無理だから家に帰ってからね。最近、ウチに来てくれないってお母さんが嘆いてるから今日はウチで晩ご飯食べていって? 私が腕によりをかけて美味しいご飯を———」

「断る。おばさんの料理だけなら大歓迎だけどの料理は勘弁してくれ」


 この美人教師の唯一の弱点は料理が壊滅的にできないこと。目玉焼きももれなく焦がす、かや姉の料理なんて……、しまった! 今、かや姉って呼んじまった。


 案の定、目の前のかや姉はニンマリ。


「あ〜! 学校ではちゃんと先生って呼ぶ約束だったのにな〜。ざ〜んねん。帰りに風味堂ふうみどうのケーキ買ってこうと思ってたのになぁ。と言う訳で今回のことは両者痛み分けと言うことにしましょうね!」


「ちっ! 久しぶりにモンブラン食べれると思ったのに!」


 昨年、かや姉が赴任する予定の星陵学園せいりょうがくえんに、が入学することが決まった際にかや姉から言い出した約束。


「学校では教師と生徒。よって名前呼びは禁止とします。もしも名前で呼んだ場合は風味堂のケーキを奢ること!」


 あ〜あ。練習後の糖分補給はマストなんだけどな。しゃ〜ね〜か。帰りに地元が生んだ黒い稲妻でも買っていくか。

 黒い稲妻とは地元、愛知県のお菓子メーカーが販売しているチョコレートだ。安くて美味い子どもからお年寄りにまで親しまれているお菓子だ。


「ねぇ、


 はい! また言った! と言おうと思ったが、かや姉の真剣な表情に言葉を詰まらせた。


「……何?」


「最近、ウチに来なくなったのって陽菜乃ひなのが光輝くんと付き合い出したからかな?」


 宮園陽菜乃。


 かや姉の妹で、俺の同級生。


 もちろんこいつも幼馴染。


♢♢♢♢♢


 ことの発端は3ヶ月前。不法侵入していた陽菜乃と一緒に朝食を食べていた時、「私、こうくん光輝と付き合うことになったの」となぜか浮かない表情で告げられた。


「お〜、そっか」


 親友と幼馴染のラブロマンス。俺が祝福しない道理はない。


「……そ、それだけ? わ、私に初めての彼氏ができたんだよ?」


 ワナワナと身体を震わせながら追及してくる陽菜乃に、お祝いの仕方が足りなかったのだろうと反省した。


「だな、悪かった。風味堂のショートケーキ買ってきてやる。盛大にお祝いしようぜ!」


 明るく言った俺に陽菜乃は恨みがましい視線を向けてきた。


「……どうせ、私のことなんて眼中にないんだよね」


 俯きながらボソボソと呟く陽菜乃からは悪意を感じたものだ。


♢♢♢♢♢


 かや姉の指摘を受けた俺はグラウンドに身体を向き直した。


「ねぇ、2人が付き合い出したからって、ゆうくんが遠慮する必要ないんだよ? 幼馴染なんだし、今までのようにウチにおいでよ」


「幼馴染、ねぇ。……なぁ、かや姉。幼馴染なんて小さい頃からの友達、……まぁ、知り合いに過ぎないだろ? 別に特別な関係じゃない」


 そう。特別なのは恋人だけであって幼馴染はあくまでもに過ぎない。


「その考えはちょっと寂しいかな? 一緒にいた時間が長いからこそ分かり合える、許し合えるのが幼馴染じゃないかな?」


 ちょっと困ったような表情でかや姉は答える。考え方は千差万別。100人いれば100通りの考え方があるだろう。だから、一概にかや姉の考え方が間違ってるとは言えない。


「まあ、かや姉がそう考えてるならそれでいいんじゃないか? でも考えてくれよ」


 俺はグラウンドを指差し続けた。


「仮に、松先まつせんの家にみどりちゃんが通いつめてたら、かや姉はどう思う?」


 松先とはサッカー部顧問の松本龍まつもとりゅう先生のこと。29歳で2年A組の担任であるとともに、かや姉の恋人でもある。

 みどりちゃんはソフトボール部顧問で2年B組の担任。かや姉とは同じ大学の先輩後輩の仲である。


「みどり先輩が? 龍くんのウチに? ……」


 俺以外に誰もいないし、みんなの噂にもなってるけども、学校で龍くん呼びはどうなんだ?


「だ、だめに決まってるじゃない! そんなこと許せない———、うっ、うん! で、でもね? ウチには前から来てるんだし、お母さんや私に会いに来たって言えばいいじゃない? 第一、光輝くんはそんなこと気にするような子じゃないでしょ?」


「はぁ、全くわかってないなは。相手が誰であろうと大なり小なり嫉妬はするもんだろ? もし、しないんだったら、そいつらはもう終わりじゃね?」


 その証拠に、かや姉だってもしもの話で狼狽うろたえたじゃねぇか。


「でも、やっぱり、ね?」


  ゆっくりとかや姉が俺との距離を詰め、右手を伸ばして俺の頬に触れそうになる。


『ヴォーン、ヴォーン、ヴォーン』


 俺たちしかいないはずの屋上に、管楽器の音が響いた。


「陽菜乃?」


 屋上の扉は開け放され、愛用のトロンボーンを持った陽菜乃が感情のない、能面のような表情で俺たちを見ていた。


「ひっ!」


 その表情に驚いたのだろうか? かや姉はビクッと身体を震わせながら、俺の頬まで残り僅かとなっていた右手を引っ込めた。


「……お姉ちゃん? いまゆうくんに何しようとしてたのかな?」


陽菜乃の背後には般若でもいるかのごとくの威圧感。基本的には仲のいい姉妹なんだけど、陽菜乃は俺が大好きな、かや姉と仲良くするのが気に入らないらしい。


「待って! 待って陽菜乃。やましいことは何もないから。ちょっと落ち着こう、ね?」


 じわりじわりと距離を縮める陽菜乃と、回り込むようにして階段に向かう、かや姉。


「……お姉ちゃん。合唱部の子が探してたよ」


 陽菜乃が俺にジト目を向けながら、かや姉に言うと突破口を見つけたかの如く「ありがとう」と言いながら階段を下りて行った。


 おかしいな? 屋上への無断立ち入りは不問でいいのか? まあ、何も言わなかったからいいのだろうと、俺も陽菜乃の脇を抜けて階段に……と、いうのは甘かったらしく、すれ違いざまに袖口を摘まれた。


「む、無視はないんじゃ、ないのかな?」


 う、上目遣いとか、袖口クイッとかはズルいんじゃありませんかね?


 陽菜乃は学校一とまでは言わないが、人気ランキングをつけるとするならば上位にランキングされるであろうほどの美少女だ。

 顔の作りは、かや姉と似ておりロングヘアを耳にかけながら顔を覗き込んでくる仕草は、親友光輝の彼女とわかりながらも、ドキッとさせられる。


「別に、無視してるわけじゃねぇよ。そろそろ練習行かなきゃいけない時間なだけだ」


 陽菜乃の仕草に狼狽えてるのをバレないように強がる。こっちが強気なとき、陽菜乃は深く追及してくることはない。


「……そ。……ねぇ、ゆうくん」


 陽菜乃は袖口を掴んでいたはずの右手を、俺の左腕に絡めてきた。


「な、なんだよ?」


 今日はやけに上目遣いを使ってきやがる。まあ、181cmの俺と158cmの陽菜乃だから至近距離で見つめ……いや、見ると自然と見上げられてしまうんだけど。


「き、今日の晩御飯、何が食べたい?」


 これが俺の彼女の言葉であればどれだけうれしい台詞だろうか? しかしながらこいつは光輝の彼女だ。

 かや姉に指摘された宮園家に飯を食いに行かなくなった理由は光輝と陽菜乃が付き合い出したのもあるが、単純に行く必要がないから。

 陽菜乃が勝手にウチに上がり込んでメシを作っているからだ。正直、こんなことが光輝にバレでもしたら俺たちの関係にもヒビが入ってしまう。


「今日も明日もその先もずっとバイトで賄い食べてくるからご心配なく」


 陽菜乃の腕を振り払いながら、俺は屋上から脱出した。


 階段を下りながら窓から見える夕陽を眺めながらため息をつく。


「はぁ。全く、勘弁してくれよ」


 美少女からのアプローチ。本来ならば両手をあげてよろこぶところなんだけど……


「幼馴染だからって、親友の彼女はないだろう」


 今後起こりうる面倒ごとに思いを巡らせながら、俺は重い足で自転車のペダルをこぎはじめた。

 

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