カエリミの標識

七海けい

第1話:カエリミの標識

 秋の暮れ。灰色の雲が流れるあかねいろの空に、カラスの鳴き声がひびく頃。

 下校途中の女子高校生──中谷なかたに沙織さおりは、T字路でふと立ち止まった。


「……ん?」


 沙織は、道の反対側に立つ一本の標識を見上げた。

 赤くて丸い標識板ひょうしきばんに、白抜きの文字で一言『たちどまれ』と書いてある。


「とまれ。……の亜種かな?」


 沙織は首をかしげた。そもそも、標識をこんなに気にすること自体、沙織にとって初めての経験だった。


「……ぁれ?」


 沙織は、自分の目をこすった。

 標識板の文字がゆがみ、別の文字に変わったのだ。


 今度は『そして、かえりみろ』と書かれている。


「かえりみるって……、……振り返るってこと?」


 沙織は、何となく振り返ってみた。


 そして、


「……きゃぁああああああああ────────アアアアアッ!!」


 沙織は、腰を抜かして絶叫した。

 彼女はかたけのかばんを置き去りにして、必死の形相ぎょうそうで後ずさる。


「──っ!」


 次の瞬間。

 彼女の耳はクラクションにかれ、視界はヘッドランプにつぶされた。


 少し遅れてから、沙織は、自分が路上にへたり込んでいることに気付く。

 身体からだ強張こわばらせた頃には、トラックのバンパーはすぐそこに迫っていた。


 断末魔だんまつまの叫びもなく、少女の肢体したいはゴキリと音を立て、ばされた。



***



 紅葉こうようる、十一月。

 臨時で開かれた全校集会の内容は、衝撃的な知らせだった。


「──昨日の夕方。本校の生徒四名が、下校途中に発生した交通事故に巻き込まれ亡くなりました。二年A組の津山つやま祐太ゆうたくん。同じ二年生で、C組の中谷沙織さんと武内やけうち明菜あきなさん。そして、D組の加藤かとう三郎さぶろうくん……。早く過ぎるお別れに、っ、……私はっ、……ぁ……ッ」


 登壇とうだんした校長先生は、むせび泣きと嗚咽おえつを繰り返し、話の途中で養護ようごの先生にわれ、だんを降りた。



***



 翌日。校内には、奇妙な噂が流布していた。


 ──死んだ四人は、同じ交通事故に巻き込まれたんじゃなくて、で、たまたま同じ時間に、事故にったんだって。


 ──そう言えばさ、同じ日の同じ時間に、隣の学校でも、交通事故に遭った奴がいたって聞いたんだけど……。それってマジ?


 人の不幸を怪談めかしく語る不届き者め、恥を知れ! ……と、一喝いっかつする教師は誰もいなかった。


 なぜなら、それは根も葉もない噂ではなく、まぎれもない事実であったからだ。

 警察の発表も、マスコミの報道も、学校の噂と同じような内容ばかりだった。



***



 事故から三日がった日の、放課後。


「──峰山みねやま先生!」

「はい?」


 スクールカウンセラーの峰山みねやま修司しゅうじは、廊下で女子高校生に呼び止められた。彼は白衣をひるがえし、かえりみる。

 高校指定の鞄をリュックのように背負せおった黒いボブヘアの彼女が、明るい笑顔で手を振っていた。


「君は?」


 峰山は、人当たりの良い笑顔で尋ねた。


「一年の富山とみやま礼子れいこって言います。……先生に、って相談したいことが」

「良いですよ。相談室は、すぐそこにあります」


 峰山は、奥まったところにあるドアを開けた。


「どうぞ」

「……こういう部屋って、お茶とか、出るんですよね?」


 礼子は、面談室を歩いて一周する。


「ポットはありますから、ティーバッグなら入りますよ」

「Tバック?」


 礼子は、自分のお尻に手をやる。


「ドクダミ茶の方が良いですか?」

「冗談ですよぅ、先生」


 礼子は、白い長机に直接腰を下ろす。

 峰山は電気ポットに水道水を入れ、スイッチを入れる。


「ところで先生」

「何ですか?」


「先生って、……霊感はある方ですか?」

「霊感、ですか」


 峰山は、棚からマグカップを二つ取る。


「ちなみに、私は結構強い方なんですよ」


 礼子は、プラプラと貧乏揺びんぼうゆすりをする。


「実は、僕も強い方なんですよ。礼子さんは、何が見えるんですか?」

「問題はそれなんですよ、先生」


 礼子は、身体をよじって机に手をついた。もはや、机に乗っかっているような格好である。


「……と言うと?」

「……最近、全然見えなくなっちゃったんですよ。幽霊」


 礼子は口を尖らせた。


「それは……礼子さん的には、残念なことなんですか?」

「それが良く分かんなくて、モヤモヤしているんですよ」


 彼女の感情を代弁だいべんするかのように、電気ポットがピーッと蒸気をく。


「なるほど……。幽霊が見えなくなったのは、いつ頃からなんですか?」


 峰山は電気ポットのスイッチを切り、取っ手を持ち上げる。


「一週間くらい前、かな。……それまでは、学校からの帰り道で、毎日会ってたんですよ? 振り返ると、必ず出てきてくれて」

「いつも、同じ幽霊が見えていたんですか?」


 峰山は問いながら、マグカップに湯を注ぐ。


「はぃ。有留ありどめ美優みうって子で……。私の、……何だろう。……知人? ……みたいな子。……かな」


 礼子は、歯切はぎれの悪い口調で答えた。


 彼女自身もそう思ったのか。

 礼子はまくし立てるような勢いで語り始めた。


「美優も、幽霊とかオカルトとかに興味があった子で、中学校では同じオカけんで、ちょっと変な子だったんだけど、それでも、仲良くやれてて、実は、美優は勉強もできて、美優のお母さんが結構きびしめの人だったんだけど、趣味のパワーストーン集めを許してもらうために、学年一位の成績とか取って……。夏休みは、長野とか京都とかに行って、ワイワイやって。あの時が、一番の思い出で、……」


 峰山は、紅茶をすすりながら礼子の話を聞き続ける。

 しばらく夏合宿中の明るいエピソードが続いた後、礼子の声音こわねが、少しずつ暗い色調しきちょうへと傾き始める。


「……中三の秋に、……進路について、美優と美優のお母さんがめたらしくて。美優は、元々私よりオカルトにのめり込んでたから、それがエスカレートしたら、だんだん、冗談じゃ済まないレベルになってきて『お母さんをたたり殺すから霊力を貸して』とか『良さそうな呪いの方法をネットで見つけたから今度やってみよう』とか言い出すようになってからは、だんだん付き合いづらくなってきて。オカ研のみんなも受験に向けて退部して、後輩はいなかったから、最後は、美優と私だけになっちゃって。私も、勉強のために部活を休みがちになって、それで……、……」


 礼子の背中が、ふるえ始める。


「……十一月くらいから学校に来なくなってて、……気付いたら、連絡も付かなくなってて、それで……、そしたら、……都外とがいの駅で、飛び込んだって、……学校で集会があって、……自殺、しちゃったって……、……っ」


 礼子は、スカートのポケットからハンカチを取り出す。

 そのまま声を上げて泣き崩れると言うよりは、なか自嘲じちょうも混じったような、もう慣れっこというふうな泣き方だった。


「……高校入学と同時に、……美優が、見えるようになったんです。……帰り道で振り返ると、いつも、美優が立ってるんです。別に……追っかけてくるわけでも、襲ってくるわけでもなくて、……何がしたいのか、よく、分かんないんですけど、……でも、私、毎日、……彼女に振り返って、謝ってたんです……。……気付いてあげられなくてゴメン、……遊んであげられなくてゴメンって。……返事は、結局もらえなかったんですけどね……」


 礼子は、ハンカチで半分ほど隠した顔を峰山に見せた。

 悲愴ひそう自責じせきに、一滴いってきいかりを加えたような表情だった。


「……外の空気、吸いましょうか」


 峰山は、面談室のドアを開けた。


 白い長机には、空っぽになった峰山のマグカップと、手付かずのままめきった礼子のマグカップが放置してある。


 礼子が面談室を出ようとした、ちょうどその時。


 ──バタンッ!


 峰山は、たたきつけるような勢いでドアを閉めた。


「……せん、せぃ?」


 礼子は、唖然あぜんとした顔で峰山を見た。


「やっぱりか。……」


 峰山は息を吐いた。


 彼女の身体は、ドアを透過とうかしたのだ。


「……先生は、どこで気付いたんですか?」

「……入れた茶は飲まない。ドアを自分で開けたがらない。君が座っても泣いても喋っても、長机は少しも揺れない。第一、俺が記憶している生徒名簿に、富山礼子なんて生徒は存在しない」


 峰山は、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。こっちが彼の本性ほんしょうであることは、礼子の目にも明かだった。


「……名簿フル暗記はズルイですよ、先生」


 礼子は涙混じりに苦笑した。


「……死因は自殺か?」

「そうですよ。……私、この高校に進学することが決まってたんですけど、わざと人生をぼうって、自殺したんです。美優と同じ駅で、ポーン。って、飛び込んだんです。……美優のお母さんからも、手紙がいっぱい来ていたんです。……美優にとって一番の親友は貴女だったのに、貴女が裏切ったせいで美優は死んだって……。だから、私……毎日謝ったんです。死んでからも、謝ったんです……」


 礼子は、うつむいてわらう。


「かえりみる。って、二通りの書き方があるじゃないですか。振り返る方のかえりみると、反省のかえりみる。……学校からの帰り道で、私は、美優のことを省みるんです。私が、……美優のことを殺したんだって……。……だから、毎日謝って、謝って、謝って、謝り続けて……でも、──美優は許してくれなかったッ!!」


 礼子は叫んだ。

 薄暗うすくらがりの廊下に、二人にしか聞こえない悲痛な想いがこだまする。


「そりゃそうだ。……お前は、全然『かえりみて』いないんだからな」

「は、……?」


 礼子は、充血じゅうけつした目を見開いた。


「顧みる。回顧かいこする。思い出を振り返る。……お前と美優が過ごした時間に、反省以外の思い出はなかったのか?」

「反省以外の思い出……?」


「学校での、二人の思い出を振り返るんだろう? 見殺しにした以外の、大切な、かけがえのない時間はなかったのか?」

「ぁった、……けど、……」


一時いっときの絶望にられて自殺して、それが原因で親友が自殺したら。申し訳ないと思うのが普通だろう。美優の姿をした幽霊は、お前に対する罪悪感の表れだったんじゃないのか?」

「じゃあ、何で消えちゃったの……?」


「途中で気が付いたんだろう。……自分の幽霊がいつまでも見えていたら、お前の中にある罪悪感が消えないってことに」

「何を、証拠に……」


「気になるなら、早く成仏じょうぶつして本人の霊魂れいこんに聞いてみろ。俺はイタコじゃない」

「……むむむ、……」


 礼子は、口をへの字に曲げる。


「……先生は、シャーマンみたいです」

「どう言う意味だ?」


「何か、……やってることはカウンセラーなのに、幽霊相手にやってると、あやしい霊媒師れいばいしみたいに見えるなって思って」

「怪しいとか言うな。さっさと逝け」


 峰山は、シッシッという風に手を振った。


「スクールシャーマン峰山修司 ~美少女地縛霊じばくれいを救う~」

「やめろ痛々しい。ラノベのタイトルじゃあるまいし……」


 本気で嫌がる峰山を見て、礼子は心底可笑おかしそうに笑う。


「……先生」


 礼子の身体が、足下から透き通り始めた。


「……ありがと」

「おぅ」


 薄暗がりの廊下に、峰山が一人残された。


「さてと。……」


 自宅までの帰り道。峰山は、モラルの低さと情報の確かさに定評ていひょうがある週刊誌を買った。

 峰山は家に帰るなり、知り合いの教師やカウンセラーに電話をかけ、有留美優について聞き込みをした。週刊誌の情報と足し合わせ、水溶性のメモ用紙に相関図そうかんずを記した。



***



 週末。峰山は、一軒いっけんの家を訪ねた。

 峰山はインターホンを押し、カメラに向かって会釈する。


「私は峰山修司と言って、有留美優さんの自殺に関して追加調査をしている、教育委員会の者です。有留静香しずかさんは、ご在宅ですか?」

「はぃ」


 玄関が開くなり、峰山は目を細めた。

 有留家の内装は、したように黒一色だった。


 峰山は、リビングで静香と向かい合う。静香の顔は、これ以上ないほどに青白くやつれていた。薄くなった髪は白く色あせ、くましずんだ眼窩がんかからは、今にも目玉がこぼれ落ちそうであった。


「あの子は、……いじめられて死んだんです。……友達に裏切られて死んだんです。そうに決まっているんです……。なのに学校は……っ!」


 開口一番。静香は娘の自殺について持論じろんを持ち出した。


「はい。その可能性も視野に入れ、これまで調査を続けていました。その過程で、みょうな話を聞いたので、今日はその確認にうかがった次第です」

「妙な話……?」


「はい。虐めの加害者としてマークしていた高校生が八人。同じ日に、交通事故に遭ったんです」

天罰てんばつですよ」


 静香は、口元を歪めた。


「なるほど。面白い仮説ですね。……中学生時代。美優さんと同じオカ研に属していた生徒が三人。オカ研と合同で合宿に参加していた天文部の生徒が二人、同じく合宿に参加していた写真部の生徒が二人。美優さんの兼部先である地学部の生徒が一人。地学部にいたのは、趣味のパワーストーン集めに関係があるようですね」

「あの子のパワーストーンは、今も大事に保管していますよ」


「パワーストーンと言えば……、こんな話。ご存知ですか?」


 峰山は、昨日買った週刊誌を机に出した。


「事故現場に謎の石。現場に残された唯一の共通点。……相変わらず、くだらない見出しを付けますよね」

「……だから何ですか」


 微笑びしょうする峰山に、静香は低い声で応じた。


「仮にその石ころを置いたのが私だったとして、それが何だって言うんですか? これは、天罰です。あの子が、……美優がやれって言ったんですッ!」


 静香は、机を叩き発狂はっきょうした。実質、白状はくじょうしているようなものだった。


 峰山は、ここから本題を切り出す。


「……最近。美優さんに会っていないんでしょう?」

「は……? ……何で、それを……」


「美優さんの幽霊が見えなくなった。それが、静香さんを凶行に走らせた原因なんですよね。……ぁあ、別に、それを告発しようとか、罰しようとか、そんなことは考えていませんよ。ただ、私は貴女に警告をしたいんです」


「警告……?」


 静香は首を傾げた。


「はい。……貴女は、虐めの加害者を虐めの被害者がいるところに連れてしまったわけですよね」

「はぃ……?」


ようするに。貴女は虐めの加害者をあの世に送ったんです。最愛の娘さんがいる、あの世に」

「……ぁ」


「殺された生徒さんたちは、あの世で美優さんに出くわした時、いったいどうするでしょう?」

「ぁ……ぁあ……」


「あの世で、美優さんはおびえているんじゃないんですか?」

「ぁあ……ぁああ」


「お母さん。あの世にって、助けてあげないと」

「ぁああああああああアァァ────アアアッ!!」


「……それでは、私はこれで」


 峰山は、有留家を後にした。



***



 翌日。

 有留美優、富山礼子が飛び込んだ駅で、有留静香は自殺した。


 静香と最後に会話した人物──峰山修司は、自殺教唆の重要参考人として警察に連行された。結局逮捕にすら至らなかったが、峰山はスクールカウンセラーの職を辞した。


 それから、半年後の晩春ばんしゅん

 学校の生徒も、教師も、警察も、マスコミも、同時多発事故の記憶を、すっかり記憶のすみへと追いやっていた。




 余談として、こんな話がある。

 下校途中の生徒を事故に引き合わせるパワーストーンは、まだ街中のあちこちに転がっている。君が見上げた標識にも、ひょっとしたら書いてあるかも知れない。





















 ──たちどまれ。そして、かえりみろ。……と。





















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