第二十七話 折れていく

 クロスロンドンでオウガを迎え討つ……墓杜家よりも広大な敷地で人目も少ない。

 でありながら都市部の姿も併せ持ち、本来の意味であるゴーストタウンとしての側面も持つ。


 都市部よりも積極的にセルフレジが置かれ、店員が常駐していない店も多く、ゾンビ映画のようにお店の商品を仕方なく借りることもできる。


 後でばれるだろうけど、わたしたちも緊急事態だ。

 通報ができれば一番早いし、電波障害でできなくとも交番に駆け込めば、殺人を犯したオウガを捕まえられる……、

 でも、目撃者を全員を殺すと言ったオウガなら、手抜かりはない。

 ただ被害者が増えるだけだ。


 だから、わたしたちだけで、あいつを止めなくちゃならない――。

 これは、墓杜家の問題なのだから。


「死に神じゃないだけ、まだマシね……高い身体能力を持つと言っても、人間に変わりないなら、人間の技術でどうにでもなる」


 自信を持って得意とは言えないけど、わたしも、これまでで育んだものがある。

 知識と工夫なら、オウガにだって引けを取らないはずだ。


 突然、急ブレーキと共に車が止まった。

 お母さんの方を向くと、


「赤信号だったわ……、危ない……」

「じゃあ、敷地からは出れたんだ――」


 問題はここからだ。

 一寸先はかろうじて見えるものの、見通しが悪過ぎる。


 今更思うけど、埼玉県の端から端まであるだろう距離を、霧の中、車で向かうのは無謀だ。

 ……かと言って、歩いていける距離ではないし、交通機関を使うのはもっとない。


 人通りは、できるだけ避けないと、オウガがなにをするか分からない。


「実際に進んでから、決めましょうか」


 ……焦らなくても、最初で一気に突き放したオウガが、すぐに追いつくわけが――、




 その時、車の天井になにかが落下し、べこんと凹んだ。

 フロントガラスに、一瞬で亀裂が入り、前が見えなくなる。


 次に、拳の形で天井の一部分が迫ってくる。

 耐久限界を越えた天井が突き破られ、腕が伸びてくる。


 着物を掴んで、そのままお母さんを真上へ連れ去ってしまう。


「――お母さん!?」


 追って扉を開け、車の上を見ると、

 お母さんの腕を取って吊るし、値踏みするように観察しているオウガがいた。


「あ…………っ、どうして、ここに……! 追いつくのが早過ぎるッ!!」

「人間、後がないと思えば無茶もできるもんだな。普通に走って追ってきただけだ。アドレナリンでも出てんのか、疲れは限界をとうに越えて吹き飛んじまったよ」


「…………っ!」


 なによ、それ……っ。

 ――人間離れも、甚だしいわよ!?


「鬼ごっこはここで終わりだ。クロスロンドンへ逃げ込む算段なら、別に構わねえが、そこまで付き合うつもりはオレにはねえ。こっちはさっさとお前らを殺して、別の人間に変わるんだからよ。あんまりオレを待たせて、イライラさせるな――」


「オウガ――、どうして、あなたが……?」

「なんだ?」


 吊されたお母さんが、オウガに問いかける。


「あなたは私の、たった一人の、味方でいてくれたのに……っ」

「それはオレだが、オレじゃねえ」


 ……ひばりのことだ。

 やっぱり、お母さんはひばりと繋がっていた……!


「楽しかったか? 傷の舐め合いは」

「…………」


「言うことを聞かない息子と違って、娘みたいに可愛がっていたよなあ、お前は」

「…………?」

「まあいい」


 オウガの言葉を、お母さんは理解できないだろう。

 だって、お母さんにとっては娘で、息子のように可愛がっていた……のだから。


 お母さんの表情が苦痛に歪む。

 オウガの手に、力が込められたからだ。


「ほお、悲鳴を上げないとはな。このままだと手首が千切れ飛ぶぞ」

「構わないわ」


 お母さんが手首の痛みをものともしないで、わたしを見下ろす。


「初、逃げなさいっ!! 走ってっ、絶対に、追いつかれないで!!」

「ちっ、めんどうごとを……」


 視線が散ったオウガの胸倉を掴んで、お母さんがぐっと顔を近づける。


「さあっ、私を殺してから追いかけなさい!! その間にも初は逃げるでしょうけど、私を掴んだままではなにもできないでしょう!?」


 ――また、わたしは……!

 お母さんに、助けられてばかりだ……っ!


「早く、初っ!! 生き続けなさいッ!!」


 自分自身の無力さを思い知る。

 わたしは人間になった途端、誰も助けられない矮小な……、


 ただの、子供だった。



 霧に紛れるように後退して、お母さんの姿が見えなくなった時、

 後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、駆け出した。


 視界不良も関係ない。

 わたしは真下ばかりを見て、前なんて見ていなかったから。


 見ているはずの地面にも、意識が向いていなかった。

 段差に躓いて、勢いよく転んで膝を思い切り擦り剥いた。


 立ち上がれない。

 立ち上がりたくない。

 気付いてしまったひとりぼっちに、今……。


 初めて、心が折れたかもしれない……。


 手の平を見つめる。

 小石で切ったのか、ぷつぷつと血が出ていた。


「もう……っ、もう……ッッ」


 一人は、嫌、だ……ぁ。

 お母さん、夏葉……知秋……ひばり……。


 ひつぎ。


 ひつぎに、会いたい……よ。




 ずっと、ずっと、決して言わなかった言葉が、意識せずとも口から出た。


 初めて、だった。


 わたしだけは、絶対に言ってはいけないものだって思っていたから。







「……………………………………………………………………………………たす、けて」











「うん、今度は、ぼく(おれ)が助ける番だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る