第二十六話 敗北

 ――咄嗟に出そうになったあの言葉を、わたしは必死に抑え込んだ。

 わたしから突き放したくせに、それを願うのは、反則だ。


 ……たとえ負けられない戦いだとしても。

 あの人に向けて、その言葉は、ダメだ……。


 あの人なら応えてくれる――だからこそ、なのだから。

 これ以上、背負わせてはならない。


「ッ、うううううううううッ!!」


 鎌を空間から出し入れする能力は宿ったままだから、後方の地面に突き刺さっていた鎌を一旦消して、わたしの手元に出現させることができる。


 わたしの頭が握り潰される前に、刃がオウガの心臓を貫けば――、


「行動が一瞬、遅い。間に合わねえよ」


 既に触れて、力を入れるだけのオウガと、鎌を握って刃を胸に突き刺し心臓へ押し込む連続した動作の速さを比べたら、当然、一手で済むオウガの方が速い。


「諦めたく……っ、ないッッ!!」

「はぁ……見損なったぞ。力を失ったお前は、こうも小物に成り下がるか」


 オウガからの評価はどうだっていい。

 どう思われたって構わない。


 これはひつぎがくれた自由だから――。

 途中で諦めるのだけは、嫌だった。


 彼の厚意を無下にするのだけは、わたし自身が許せなかった。

 ここで諦めてしまえば、ひつぎの決断を、踏みにじることになる。


「と、どけぇええええええええええええええええええっっ!!」

「もう――うるせえなあ」



 それは、どっちに言ったのだろう?


 わたし? 


 それとも。


 ――遠くから聞こえてくる、エンジン音?



 縁側から侵入し、ふすまを押しのけて部屋に乗り込んできた乗用車が一台。

 ぎりぎり、ブレーキが利いて止まる――衝突する寸前でオウガがわたしを放り投げて、真横へ跳んだ。


 左右に別れたわたしとオウガの間に、乗用車が割って入るように。


「初っ、乗りなさい!!」


 運転席の窓が下がる。


「お、母、さん……?」


 なんで、ここに……? 

 だって、わたしを見限って、逃げたはずなのに……?


「誰が見限るものですか。あなたは、わたしの娘なのよ? どれだけ嫌われようが、邪魔者扱いされようが、あなたのために生きると決めた日から覚悟は決まっているの。私がいることであなたに危険が及ぶなら離れましょう。でも、今は、あなたの方が危なかったじゃない――用意しておいて良かったわ。お義父さんの車、勝手に借りてもいいわよね?」


 もう死んでいるから、いいと思う……。

 じゃなくて。

 すると、お母さんが扉を開けて、手を伸ばす。


「歩いて逃げられない? なら、車で逃げましょう」


 身を乗り出して、わたしの手を掴んだ。


「無能力者でも、私は成人女性として、当たり前のことならできるわ」


 ――そう、わたしにはできないことが、たくさんある。


「初っ、私は、あなたと一緒に――」


 言い終わる前に、わたしが自分の意思で運転席へ跳び乗った。


「わたしも」


 巻き込みたくなかった、危険な目に遭ってほしくなかった。

 だってこれはわたしの我儘で、わたしが見逃してそのまま放置してしまった失敗だから。


 オウガの存在を――死に神だった時に、排除しておくべきだった。


 ひばりと入れ替わらせてはいけなかった……、


 わたしの、最大のミスだ。


「お母さんと、一緒にいたい……」


 口には出さなかったものの、お母さんは察したのかもしれない。

 頭の上に、ぽんと手が乗せられた。


 たとえ、本当の親子でなくとも。

 注がれる愛情がひつぎに向けられたものであっても。


 今この時、髪を梳いてくれるお母さんの愛情は、確かにわたしに向けられていた。

 そんな気がする。


 ……でも、甘えちゃダメだ。


 オウガが最大の敵として立ちはだかっているなら、逆に考えれば、オウガさえなんとかしてしまえば、わたしの目的は達成させられる――。


「初、逃げるわよ」

「違うよ、お母さん」


 既にわたしは助手席に座っており、お母さんが再びアクセルを踏んだ。

 最高速で敷地内を走り、オウガとの距離をどんどん離していく。


「――これは、戦略的撤退だから」



 逃走経路を考える……その前に目的地を考えないと。

 オウガは、今のタイミングで倒さないと、次にいつチャンスが訪れるか分からない。


 今だってチャンスとは言い難いけど……広大な敷地で、人目のつかない私有地。

 乗用車というアドバンテージを、崩すのはもったいない気がするけど……、

 それはオウガにしても言えることかもしれない。


 さすがに乗用車に対して、力勝負を挑んでくるとは思わないけど、小回りが利くのはオウガの方だ。

 乗用車では反応できない動きで翻弄されてしまえば、オウガの思う壺になる。


「人が多い場所……? 都内……? なら、さすがにオウガも手を出せない――でも、なにをしでかすか分からないし……逆にわたしたちだって、なにもできない……」


 見通しの良いだだっ広い敷地の林道を走り抜ける。

 霧が濃くてもなんとか走れているのは、障害物が一つもないことを知っているからだ。


 墓杜家から離れていけば、きっとこの霧も晴れてくれるはず……。

 そんな期待はしかし、はずれてしまう。

 霧はさらに濃くなるばかりだ。


「……幽霊たちが、集まってきてる……?」


 もしかして、わたしに? 

 えっ、幽霊が好む要素をふんだんに使ったクロスロンドンよりも、わたしが発する力の方が強いってこと……?


 分かってはいたけど、想像以上だった。

 つまり、せっかく集めた幽霊たちを、わたしが引き寄せてしまっているって……?


 ザー、とラジオも聞けなくなった。

 幽霊たちの仕業で、電波が拾えなくなっている。

 これでは、都市部の様子が分からない。


「クロスロンドンにいこうと思ってるわ」


 お母さんが言う。


「同じ埼玉県だし、東京の方に向かえばいいのよね? 道、分かるかしら」


 お母さんなら、道を把握してるはずだ。

 ただそれも、まともな視界ならの話。

 こんな霧では、運転し慣れた人でも辿り着くのは難しい。


「でも、お母さんは入れないよね……」

「普段ならそうね。けど、今は中も外も変わらなそうよ。それに、初がいるから。オカルトのことは、これからは初に任せることにする。逆にオカルト以外は、私に頼りなさい」


 いいわね、という、これまでと似ていて、でも威圧感のない言い方に、


「……うん」


 わたしも自然と、素直に頷いていた。

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