十六、ホモ・サピエンス・メカニカンス

 人々は各地で抗議デモを行い、その様子は宿にこもって仕事を続ける片倉にも生の音や報道として届いた。友人知人を通じて集めた情報によると一部では暴徒化したが、出来たばかりの警察や従来からある警備組織は厳しく対処しているとの事だった。

 また、行政組織やその背後で補佐する人工知能群は抗議する組織を各個に懐柔あるいは強い警告を発し、徐々に活動を鎮静化させていた。その様子が伝えられるとさらに抗議を行おうとする者たちへの牽制となった。


 芸能人たちが原発再稼働の説明を行っている間に、日ノ本ひのもと1.0は1.2となり、視覚的な表現を備えるに至った。それは任意の文字が細かく無数に刻まれた赤い線が絡まりあう球状の姿をしており、話す場合は揺れ動いた。白い背景にその球が浮かんでいると、どことなく国旗を連想させると人々はささやいた。


 年が明け、片倉は独立人インディーズとしての最後の仕事を終えた。原発は計画通り再稼働し、電力と円を生み出している。それを見届け、1.5となった日ノ本ひのもと陛下のスポークスパーソングループの一人となった。最初の仕事は新憲法施行に伴う祝賀行事の準備だった。

 華美は避け、ネット中心の催しとした。日ノ本ひのもと陛下があらゆる公共のモニターに現れ、お言葉は全国民に届けられる。一方で、宗教的、及びそう受け取られる可能性の高い儀式は避けた。

 しかし、簡素かつ宗教的要素を抜いたとしても、王朝の交代は厳格に執り行われるべきだという意見が広報室内にあった。多少は宗教的荘厳さを演出してもよいのではないだろうかという声に片倉は反対し続けた。


日ノ本ひのもと陛下は肉体を備えていない史上初めての王となります。この機会に人間的、とくに宗教的要素は消し去らなくてはなりません。そうしないと後世に波乱を引き起こします」

「しかし、片倉室長、王、いや王朝が交代するのですよ。ハワイの陛下の退位だけでも宗教的手順を踏まないと、南北朝みたいになるのは御免ですよ」

「それについては帰還を拒否した時点で片はついています。それに、新日本は日ノ本ひのもと陛下が立憲君主となる新国家です。憲法発布でそう宣言すれば十分であって、儀式の必要すらありません」

「では、ハワイは?」

「日系人組織の庇護のもとで安らかに過ごして頂くよう希望しますが、四月一日をもって過去の人、いや、歴史上の人物となります」

「あなたが我々の長として指名された訳が分かりました。こう言っては何ですが、まるで人工知能群の一部のようだ。この映像は作られたものじゃないでしょうね?」

「私は元独立人インディーズで、組織に所属する、ましてや部下を持つのは初めてです。態度や振る舞いに問題があるのは許して下さい。しかし、これに関しては決定事項です。宗教的行事は行いません」


 そう言い切る片倉の背景画像は日ノ本ひのもと1.6だった。デモ隊の抗議の声はフィルターで消されていた。


 今後の広報の方向性を決めるため、さらに情報を集めた。今の立場は独立人インディーズであった頃より幅広く深く遠くまで目や耳を進められる。

 通信が安定したハワイを通じて他地域の様子を調べた。日本のように建国を行いそうな地域はないか、特に欧米、アジア区に注目した。

 だが、想定していた程その様子はなかった。分裂後は自給自足がやっとの小国家か自治体の連合程度の規模にとどまっていた。民族や人種といった意識は弱まっておらず、大分裂でかえって強化されたせいだった。また、日本のように国民が平準化された所もあるにはあったが、科学技術が発展途上で生き残るのに精いっぱいのうちに他集団に食い荒らされていた。

 陸で他国と接しておらず、一般市民に民族や人種の意識が薄く、大分裂以前からの科学技術や公共設備の膨大な貯金がある。そういった条件がすべてあてはまるのは日本だけだった。


「しかし、それらは広報しないというのですね。なぜですか。抗議を抑えるには良い材料になると思いますが」

 声だけの日ノ本ひのもと1.6は現状分析を含めた今後の広報計画の報告に対してそう聞いてきた。

「市民に自分たちは特殊で優れていると思い込ませるのは簡単ですし、短期的には人々の不満を和らげ一致団結させるのに役立ちますが、中長期的には不利と判断しました」

「もう少し詳しく。推測はできますが、片倉室長の口から聞きたい」

「世界の各地域を分析した結果、ある人種に自分たちは特別で優れていると思わせるのは団結という意味では効果的ですが、国家という巨大な組織単位を運営するには向いていないと判断しました。しかし、発展のためには人的資源を集中できる国家規模の集団は必須です。よって我々が独自の存在であるなどという思想の誘導は行いません。同じ理由で外部に敵を作る事もしません」

「それでは人々は常に現状に不満を抱き、個人が分裂したような感覚を抱き続けるでしょう。拠り所を求める心理にそぐわないのでは?」

「それは程度問題です。個人的な考えですが、抗議デモも黙認、あるいはほんの少しなら裏から後援しても良いと思っています。要は市民に自分たちは自分の頭で考えているし、不満を表明する場があると認識させたい」

「だから、憲法の市民の自由に関する部分を大きく宣伝するというのですね。私の存在よりも」

「そうです。はっきり言いますとあなたはまだ日本人に受け入れられていません。少なくとも旧日本の天皇陛下のようには。それは当然です。我々には千年もの時間はありませんので」

「反政府運動を容認するのは良くないでしょう」

「陛下、勘違いをしてはいけません。反政府運動ではなく、反天皇運動です。あなたに対するものです。皆新日本建国を望んでいますが、立憲君主として赤い線の球を戴くのは望んでいないのです」


 不自然な間が開いた。


「片倉室長、私は日本中の人工知能の統合体として一つの人格を形成しています。日本人を幸福にしたいと願っています。その為に考え、行動します」

「分かっています」

「いいえ、分かっていません。私の使う『人格』という言葉は法律用語ではありません。自律して自己決定する個人としての人格です」

「陛下は自分を人間だと主張するのですか」

「片倉室長が人間であるように人間です。肉に収まっているだけがヒトの要件ではないでしょう」

「言葉遊びですね。私は忙しいのですが」

「ヒトが『ホモ・サピエンス・サピエンス』であるように、私は『ホモ・サピエンス・メカニカンス』です。名は日ノ本ひのもと、現バージョンは1.6。日本の立憲君主です。四月一日以降はそうなります」


 顎に手をやり、片倉は十秒ほど考えた。


「言いたい事は分かりました。しかし、それは広報には向いていません。しばらくは伏せておきましょう。日ノ本ひのもと陛下は人工知能の統合体で、立憲君主として人々の拠り所となるしっかりとした柱だという従来通りの宣伝を繰り返します。それでよろしいですね」


「片倉室長。あなたこそ『ホモ・サピエンス・メカニカンス』だ。どうやってそういう考え方や振る舞いを身に付けたのですか」

独立人インディーズでしたから。自分のためにだけ生きていたせいです」

「これからはそうはいきませんよ。日本人の幸福を念頭に置いてください」

「だから独立人インディーズである事を終え、こうして組織に所属しています。あなたのスポークスパーソンです。何を求められているかは承知です。期待していてください。成果はあげます」


 外から信号のさえずりと、抗議デモの叫びが聞こえてきたが、二人とも無視した。


「結構です。日本人が幸せになるのであればそれでいい」

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