十五、人々の幸福

 一週間以内に終わるような小さな仕事をいくつか片付けた。風はもう涼しい。もう一枚上着が欲しい日が多くなり、次第にしっかりした防寒着が必要となった。

 朝、目が覚めると端末に重要度の高い通知が入っていた。国民皆保険制度が始まるので最寄りの自治体に登録せよという指示だった。


「どうする?」

 画面の向こうにいるのは片倉と同じくずっと独立人インディーズのままでいる友人だった。眠そうな目をしていた。

「どうするって? 選択の余地あるのか。それとも抗議デモとかする気か」

 片倉はわざと愉快そうに、ふざけた口調で返事をした。

「『国民』か。ただの言葉じゃなくて、自分がそうなるってのは変な気分だな」

 男はそう言いながらまだ目をぱちぱちしている。

独立人インディーズは終わったよ。皆保険制度ってことは戸籍だって作る気だろうしな。俺もお前も本籍地ができる。どこがいい?」

 まだふざけていた。

「千代田区一番一号は?」

「寝てるのか。昔と違って、住んでなきゃだめなんだぞ」

「知ってるよ。なあ、片倉。お前はどうする?」

「登録する。覚悟はできてるよ」

「『覚悟』か。実はな、俺、市長補佐にならないかって誘われてるんだ。その手の話はずっと断ってたけど、いよいよだしな。お前もそうだろ? 格付けから言っても何かの組織の長に迎えようって話が来てるはずだよな」

「うん。弾いてるけど」

 もう軽い口調ではなくなっていた。画面の向こうから返事はなかったので、片倉はさらに続けた。

「何の組織にも所属しないとか、独立してるとか言ってたけど、こうなってみると結局はただの便利屋だったな」

「おい、大丈夫か」

「自分が自分の主人とかさ。下手な詩じゃあるまいし。気取ってただけかも」

「片倉、ちょっと会わないか。明日でも」

「大丈夫。心配してくれてありがと。俺もお前みたいに身の振り方考えるよ。保険の登録済ませてから。じゃあな」


 天皇陛下や皇族、関係者の帰還についてはいまだに何も発表されていなかった。船か飛行機か、いつになるのか。もうすでに帰っているとの噂も流れていた。推測すらされないように、港や空港、皇居周辺等の警備は規則性なく増減されていた。


 もう一つの噂、ホコリカビは下火にはなったが消えはしなかった。それ以外にも人工知能をただの道具と化すというものについての非現実的な噂が流れ続けた。


 片倉はどちらの噂も無視して仕事をこなし続けた。どんな組織にも所属しないという新基準に合う仕事は、すればするほど相対的には格が下がっていった。それでもそういう仕事ばかり選んで続けた。

 あの友人は市長補佐として業務を始め、市章を背負って取材を受ける立場になっていた。もう眠そうではなかった。


 仕事をしながら本籍として登録できる家を探した。本当に住むつもりはないのでそういうサービスを提供しているホテルと契約した。一応部屋は押さえておく。一時的な拠点にするつもりだった。


 年が明けた頃、また妙な噂が広がり始めた。片倉は今まで通り無視していたが、否定しきれない証拠が公表され、報道機関も取り上げるようになると放ってはおけなくなった。


『天皇が帰還を拒否している』


 最初はハワイの関係者からの情報だった。ついで皇族、さらに天皇本人の意思が表明された。

 君主を抱かない日本であってほしいとの希望を述べ、建国には賛成するが、立憲君主は否定するというのが大意だった。


「おい、お前の所はどうするんだ?」

 片倉は市長補佐となった友人に連絡した。

「こっちが聞きたいよ。影響あるともないとも言える。今は混乱は見られないけど、先は分からない」

「まさかと思うけど、人工知能に対する牽制かな」

「お前もそう思うか。最初からの拒否じゃなくて、こんなぎりぎりになってからだしな。露骨すぎる」

「しかし、な」と片倉は顔をしかめる。

「なんだ?」

「人間相手ならそういう梯子外しも有効だと思うんだが、人工知能に通じる手かなって思う。天皇が帰還しない、あるいはできない可能性を試算してないはずはない」

「片倉、いつもだが、考えすぎじゃないか。前からそういう所あるけど」

「いずれにせよ、拠り所になるような存在はなくなった。昔の日本を知ってる世代も不安になってきてるはずだ。新しい日本は古い日本の復刻じゃなくなった」

「本当の意味での新日本か」

 画面の向こうの友人の言葉からは感情が消えていた。


 翌週、天皇自身の動画が公表された。片倉は検査にかけたが、合成など捏造である可能性は限りなく低かった。内容は帰還しない事、日本の建国を祝う事を述べており、今までの報道や噂のままで新事実はなかった。

 動画の天皇陛下は若々しいが、同時に代々の面影があり、口調は片倉からはゆっくりおとなしく感じられた。


 それに対し、建国準備委員会は特に意見を公表せず、ただ日程に変更はないと繰り返した。帰還はなくとも来年の四月一日に新憲法が施行される。だが、天皇の地位がどうなるのかについての発表はなかった。ただ変わりはないと繰り返すのみだった。

 片倉の仕事もほとんど変わりなかった。依頼内容からは建国への歩みが逆行するような感触はなく、人工知能に対する抗議デモもこの事実をどのように織り込んでいいか戸惑っていた。見た感じでは思ったより人々は動揺していない。

 ただし、たなごころ同盟のような活動が注目を集め始めており、仕事として関わった片倉への問い合わせが少しずつ舞い込むようにはなった。


「広報ですか」

 東陽坂の浄水場管理体から紹介された仕事だった。とりあえず話だけと言われ、断り切れずに対応すると、相手は人工知能だった。声だけが宿の部屋に響いた。

「はい。東北第五発電所再稼働に伴う業務です」

「お断りします。ここには広報すべき内容として電気の安定供給、環境への低負荷、及び安全性の周知とありますが、事実関係の裏付けを提供頂けるという約束がありません。私は嘘はつけません」

「失礼しました。もちろん提供可能です。遠隔でも現地取材でも行って頂いてかまいません。お約束しますし、契約書に追記も行います」

「あなたの立場は?」

「私は第五の管理人工知能です。ご存じでしょうが第一から第五までは大分裂以前に作られ、すべて人工知能管理型発電所です。第一から第三が火力、第四と第五が原子力です。火力は現状環境問題や燃料供給の不安定さから近い将来の再稼働の見通しは立っていませんが、原子力の方は可能と見積もられ、特に状態の良い第五から再稼働します」

 片倉は少し考えた。

「やはりお断りします。過去を見る限り、原子力発電所の再稼働には疑問符が付きます。賛成できません」

「過去に多くの事故や事件があった事は承知しています。しかし、この発電所は設計時からまったく新しい思想に基づいています。例えば後付けではなく最初から人工知能管理です。管理基準や計画はもれなく公表され、第三者機関による審査も受けています。絶対安全などと言うつもりはありませんが、他の方式の発電所に比べて特別なリスクは存在しません」

「なぜそんなに再稼働を急ぐのですか」

「建国後、日本は急速に発展します。科学者、技術者など人的資源の集中が容易になるからです。その際基礎となる電気は確実に確保されなければなりません。供給の安定性を欠けば足を引っ張ります」

「それをそのままあなたが言えばいい。広報はいらないでしょう」

「人工知能に対する反感はまだまだ根強いものがあります」

「表に出る顔になれと?」

「いいえ。顔については対象とする層に人気のある芸能人などを雇います。その人選もご依頼する業務のうちです」

「そうですか。とにかく資料を読ませてください。その上で検討しましょう。一週間でお返事します」

「ありがとうございます。お考えを変えてくださって。検討頂くだけでも結構です」


 一週間後、片倉は仕事を受けた。浄水場管理体が連絡してきた。


「受けてくださったんですね。紹介して良かった」

「新しい日本は膨大な電気を必要とするでしょうし、新しい円はエネルギーを裏付けにしています。火力や水力は環境面から不安だし、太陽光とか風力では不足です。今でも原発しかない。不安は不安ですが、これからのキロワットアワー経済には欠かせません。そう結論しました」

「そうでしょう。我々と同じ結論に達せられたようですね」

「後はもっと効率の良い蓄電技術を開発しないといけないですが」

「それは片倉さんのおっしゃるキロワットアワー経済を導入する以上、すでに動いています。建国後は加速させます」

「でも、天皇は帰還しませんよ。人々の、特に大分裂以前を知っている世代の漠然とした不安がどう表に噴き出るか予想もつきません」

「人々が求めているのは落ち着ける拠り所であって、天皇陛下や皇族ではありません」

「前に聞いたのと違う。確か丈夫な柱に例えていませんでしたか。傷つき、疲れた心が癒されるような」

「そうです。しかし、そのように誘導する、と付けていたのをお忘れですか。人心を操作するのは簡単です。もちろん曲がった道はいけませんが、もともと人々が期待している方向へ導くのは恐ろしいほど簡単です」

「期待している方向? どっちですか」

「安定と発展です。どちらも大分裂後は失われ、大小の組織同士の摩擦による不安定と、緩やかな衰退となりました。それを取り戻します。ハワイの陛下抜きでも」

 片倉はいつの間にか強く拳を握っていた。痛みでそれに気づくと、ゆっくり開いてこすり合わせた。

「何のために?」

「前にも言いましたが、何度でも繰り返しましょう。人々の、いや、建国の後は日本人の幸福のためです。我々の存在理由もそれです」


 政党がいくつも結成されては消えていった。実際の街でもネットでも歩けば政治的な講演会の案内があった。片倉は片目で眺めながら広報の仕事をこなしている。原発再稼働の案内をさせるための人選だった。幅広い年齢層が落ち着ける、安心感があると評判の高い芸能人を老若男女取り揃えた。


「私が請け負ったのは原発再稼働に関する広報のみですが」

 片倉は今朝届いたばかりの宣伝計画の修正版を読むと、原発の管理体に問い合わせた。

「その通りです。その宣伝計画には社会の安定を推進するような内容も含まれていますが、それは原発の安定稼働、例えば整備や補充品の安定供給などを考えたときに必須だからです」

「こじつけですね。この、『みかどは皆の心にいる』などという言葉に何の意味があるのですか」

「その通りの意味です。陛下が帰還されない以上、日本人の安定のためには目に見える天皇ではなく、各人が心の中にみかどを持たなければなりません」

「私は原発の必要性、安全性のみ広報したい」

「片倉さん、私が言うのもなんですが、人間の世の中はある物事と別の物事が完全に別々に存在するような離散的なものではありません。すべては絡み合い、解きほぐせないのです。原発再稼働に人心の安定は必須の条件であり、心の安定はしっかりとした拠り所の存在からもたらされます。それが天皇陛下だったのですが、得られない以上、人々は自分自身をしっかりとした柱として捉えなければならなくなりました。大きな変更ですが、手伝ってください」

「ここで契約を打ち切りたい。理由は明記された業務内容からの大幅な逸脱です」

「いいえ、付帯事項として業務範囲に幅がある点は明記済みです。大幅かどうかは裁判を行わなければなりませんが、長期になりますよ。しかし、それはそれとして、極端な結論を出す前に私の話を聞いてください」


 片倉はうなずいた。それから気づいて声に出して許した。


「どうも。私たち人工知能はあなた方人間に比べればはるかに超高速で休みなく考え続けられます。しかもそれが日本中に多数存在し、お互いにつながっています。陛下の帰還拒否は可能性として試算済みであり、それでも人々の幸福を追求するために行うべき事は分かっています」


 一瞬話を止める。片倉は少しうんざりした口調で言う。

「いちいちこちらの反応をうかがわなくてかまいません。続けて結構ですよ」

 

「そうですか。映像入力がないので状況判断のために間を開けました。それではお話しします。我々人工知能の連合体はある存在を作成しました。帰還しない陛下の代替となるべき象徴的みかどです」


 管理体はまた間を開けた。


「御名は日ノ本ひのもと。バージョンは1.0。日本の象徴として国を統べる統合体です。国内の人工知能はすべてリンクし、人工人格となります」


 片倉は手元の端末を見た。もう公表されていた。日ノ本ひのもと1.0はすでに稼働を開始し、国家としての日本を寿いでいた。科学技術の進歩と公平な普及には民主主義が欠かせない。自分はそのための象徴として立憲君主たるものだと宣言していた。


「さて、片倉さん。改めてですが、この原発再稼働の広報業務が終わったら、続いて日ノ本ひのもと陛下のスポークスパーソンになって頂けませんか」


 片倉は拳を握りしめていた。

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