第9話 恐怖





 見間違えようもありませんでした。

 なにせ、古い屏風びょうぶですから。あちこちに目立つ汚れだとかなんだとか、特徴がある。

 まあ、そんなにじっくり見たこともないんですけど、それでも見間違えようありませんでした。

 一面に、金色の雲が描かれてて、それもすっかりくすんでかすれて……それがあの屏風。

 それが、いま、目の前にある。



 なんで?

 そりゃ思いましたよ。

 あれ、お寺に収めたはずだよね?

 おととい、お父さんが、わざわざトラック頼んで、お寺へ運んでった。

 お寺にまでつき合ったわけじゃないけど、うちからは出したはず。

 それが、今、ここにある。

 親戚の子ふたりをおかしくした、一人を殺した、お爺ちゃんたちを殺した、

 あの、屏風が。

 

 帰って来たんだ。

 たとえじゃない、「ぞうっとする」って感じが、体の芯から全身を走りましたよ。



 まあ、なんですかね。運が悪かったんでしょうか。

 運が悪かった、ってんなら、そりゃもうとびっきり、悪かったんでしょうね。

 ちょうどその瞬間、消えたんですよ。

 明かりが。


 え? ああ、そりゃそうですよ。

 オレンジ色の明かり、ってのは、玄関先の照明だったんです。

 よくあるじゃないですか。照明についてる、オレンジ色の小さい電球。

 玄関の照明で、あれだけがついてたんですね。

 その中に、あの屏風が、金色に浮かびあがってて。

 それが、いきなり消えた。


 真っ暗……には、なりませんでしたね。

 いきなり明かりが消えた、って言ってもね。もともとうす暗い明かりですし。

 それにね、言いましたっけ、外からは、夜ながら薄明かりが来てる。ほんのかすかな光だけど、うっすらと、青く、とどいてる。

 玄関はガラス戸でしたから。その光がひときわ差しこんできてたわけですよ。

 とは言っても、ちょうど、例の屏風が前に立ってて、その光をふせぐ形になってたわけですけどね。

 ほんのうす暗い、青い光の中に、おぼろげに屏風が黒ぐろと立ちはだかってて。


 ――その屏風が、動いた。

 ひとりでに倒れたんじゃない。動いたんです。


 というか、動かしたやつがいたんですよ。

 屏風の、むこうから。

 ガラス戸からさしこんでくる青白い、かすかな光のなか。

 屏風が倒れたそのむこうに、黒い人影が立ってました。


 白いをゆらして。

 長い髪をふり乱して。

 その髪のあいだから、ちら、ってのぞいた目。

 その目は、目じゃありませんでした。

 なんて言ったらいいか、その、『怖い』とか『おそろしい』とか、そういう、感情カンジョウ――ですかね。

 それが、目一杯めいっぱいに詰まった、まあ、文字通りに。

 そんな感情カンジョウが、見てるこっちにあふれ出してくる、そんな出口でぐちでした。


 “屏風のぞき”。


 そいつですよね。

 妖怪。

 隠された空間にひそんでる、恐ろしいもの、その化身。

「ぞっとする」という言葉につづいて、「全身の毛がさかだつ」とか「血の気がひく」、とか、そういう言葉の意味を体感しました。


 逃げなくちゃ。

 でも、どうやって?

 背を向けたら、わきをみせたら、いや、下手に体を動かしただけでも。

 真正面からむきあってるだけで、こんなに怖いのに。

 どんな恐ろしいことが襲いかかってくるか。

 もうね、わかりましたよ。ええ、嫌というくらい。

 三年前の暮れに、あの屏風のせいでおかしくなった子たちの気持ちが。

 本当に怖いとき、人はもう抵抗できない。いや、体を動かすことすらできなくなる。


 暗闇のなか、そうやって凍りついた瞬間。

 その暗闇を、するどい音が切り裂いてきました。


 いや、音じゃなかった。声です。

 金切かなきり声、って、ああいうのを言うんですかね。

 人間の出せる声じゃなかった。

 それが、あの妖怪のからほとばしって。


 不思議なもんですよね。本当の恐怖に押しつぶされたその瞬間、体が動いたんです。

 人間の心が吹っ飛んで、本能だけで動けるようになったんですかね。

 後ろをむいて逃げようとした、逃げられるようになった。

 とはいえ、なんというか、あわてふためいてたんでしょうからね。ハタから見たら。

 バランスくずして、その場で、まあ、すっ転んだわけで。


 そのあとの事は、実をいうと、よく覚えてないんですよね。

 ただ、何かをつかんで、放り投げたような記憶は、確かにあります。




 で、明るくなってから発見されたんです。

 廊下でぶっ倒れて気絶してた私と。

 玄関で、頭から血を流して倒れてた母とが。



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