8.霧の中へ

 ここは、街の表通りと裏通りの境界にある孤児院だったはずだ。

 俺の隣で小さな女の子が震えている。昨日、街で出会ったパンを盗んだ女の子だ。

 フィオーラが女の子を守るようにギュッと抱き寄せる。

 あたりは白い霧に覆われている。ほんの数分前まで一緒にいたアーシアさん達の姿は消えていた。


「街の中にモンスター……? 違う。これは魔術ね……」


 フィオーラが周囲を警戒しながら言う。

 どうしてこんな事態に陥ったのか。それを説明するには朝まで時間をさかのぼる必要があった。



 ☆ ☆ ☆ ☆



 俺の異世界生活六日目——。


 朝食の席でフィオーラが今日は姉さんとボランティアに参加すると言った。

 場所は彼女が数年前までお世話になっていた孤児院だ。

 フィオーラが自分からその話を切り出したことに、アーシアさんとガリオンさんは驚いた。俺がフィオーラからエンシェント家の事情を教えてもらったと説明すると、二人は納得した。


 俺もボランティアに参加したいと申し出た。二人の助けになればと思ったからだ。まぁ、今日も特に予定がなかったからというのもあるけど。


 アーシアさんは恐縮したけど、フィオーラは俺をこき使う気満々のようだった。というか、最初からそのつもりで話を振ってきた節がある。


 宿舎から歩いて三十分ほど、街の表通りから少し奥まったところに孤児院はあった。宿舎を一回りほど小さくした、二階建ての清潔な雰囲気の建物だった。


 住み込みのシスター数人とボランティアスタッフが子供達の世話をしていた。

 三歳から十五歳くらいまでの五十人がここで共同生活をしているそうだ。街には同じような施設まだいくつかあるみたいだ。


 まず、食料や生活用品などの支援物資を台所や倉庫に運ぶ作業を頼まれた。月に数回、王都の教団本部が送ってくるとのことで、ちょうど今日がその日に当たるらしい。庭に物資の入った木箱が山積みだった。身体強化の魔術を使えるフィオーラはともかく、そうじゃないシスターやボランティアの女性スタッフには重労働だ。


 力仕事でどれくらい役に立てるか少し不安なところもあったけど、自分でもちょっと意外なくらい作業は捗り、女性陣から喜ばれた。


「文化系モヤシっ子の俺がどうして……?」

「それは、死霊術ネクロマンシーによる身体強化の影響ですね」


 俺が疑問を口にするとアーシアさんがそう説明してくれた。


 スキルには修得するだけで発動する恒常型の強化バフがあるようだ。体力の回復が早いのもこれのおかげらしい。ちなみに、霊視と霊聴の常時発動とは違いスキルの暴走ではないので安心されたし。


 荷物の運び入れが終わったので、次は子供達と一緒に遊ぶことになった。キッズの喜びそうな鉄板ネタが分からなかったので、試しにゾンビの物真似をしたら意外なほどウケた。みんなで「大量発生したゾンビと街の大型百貨店で籠城する人々」ごっこをして盛り上がった。フィオーラが微妙に嫌そうな顔をしていたけど、あえてスルーした。


 絵本を読んだり、子供達と歌を唄ったりもした。フィオーラがピアノのような楽器で伴奏をした。びっくりするくらい上手な演奏だった。アーシアさんの手作りお菓子は子供達から喜ばれた。俺は横目でフィオーラの様子をうかがっていたが、子供達の面倒をよく見ていた。愛想はないが子供達からは慕われているようだった。


 しばらく一階の遊戯室で子供達の相手をしていると、外から騒ぎ声が聞こえた。


「なんだろう?」


 掃き出し窓から外を見ると、孤児院の庭で遊んでいた子供達が色めき立っていた。

 どうやら、友達が遊びにきたようだ。


 庭に見覚えのある女の子がいた。確か、パンを盗んで店員に追いかけられていた女の子だ。


 アーシアさんとフィオーラは彼女のことを知っていた。

 ここからさらに奥まった場所——裏通りのスラム街に住む女の子で、いろいろと大変な事情を抱えているらしい。


 フィオーラが女の子を見つめる表情はどこか辛そうだった。炊き出しの列に並ぶ人達を見ていたときと同じ表情。サファイア色の右目が悲しげに揺れている。

 そして、フィオーラの横顔を見るアーシアさんの表情も同じくらい辛く、悲しそうで。俺もなんだか胸が苦しくなって……。


 俺が二人に何か言葉をかけようと思ったときだ。女の子の掌で何かがきらりと輝いた。よく目を凝らしてみると、女の子はマジックランタンなどに使われている魔封石とよく似た綺麗な石を持っていた。


 それを確認したアーシアさんとフィオーラが顔を見合わせる。

 子供達は女の子の持ってきた綺麗な石に夢中になっているようだ。


 フィオーラはサンダルを履いて庭に出ると女の子に声をかけた。


「あなた、その石はどうしたの?」


 フィオーラの質問に女の子が怯えたような表情を見せる。ちょうど、パン屋に追いかけらたときと同じような表情——。


 まさか、あの石を……。


 俺は不安に駆られた。サンダルを履いてフィオーラと女の子の方に向かう。

 視界の端にアーシアさんの不安そうな顔が映った。


 俺は二人に声をかけようとする。フィオーラが俺の顔を見る。女の子が石を強く握りしめる。彼女の手の中から眩い光が迸る。

 

 そして——。


 気が付くと俺達三人は霧に包まれた異境に飛ばされていたのだ。

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