キミとわたしのクッキー・アイテム

ペーンネームはまだ無い

第01話:キミとわたしのクッキー・アイテム

 うぅ……、ごめんなさい、恋の神様。おやつ用に買っておいた埴輪はにわのストロベリージャムクッキーは、昨日の夜、私ひとりで食べてしまいました。だから、せっかく恋の神様がくれたチャンスを上手く生かせそうにありません。


 私は大きく深呼吸する。汗をかいた手のひらに人という字を3回書いて飲み込んだ。

 すでに下校のチャイムは鳴り終わっていて、下駄箱に私以外の姿はない。心臓の音が聞こえてしまいそうなくらい静かだ。

 下駄箱の隣に備えつけられた鏡の前に立って自分の姿をチェックする。おかしな所ないよね?

 手櫛てぐしで髪をとかしていると、不意に「美咲みさきちゃん」と声をかけられて身体がビクリと震えた。ふりむくと階段を下りるつばさくんが小さく手をふっている。


「ごめん。お待たせ」


 そう言って小走りにつばさくんが近づいてきた。

 私は目をらすとうわずる声で言う。「だ、大丈夫だよ。私、待つの得意だかりゃ」んでしまった……。つばさくんが小さく笑う。


「それじゃ、帰ろっか」

「……う、うん」


 靴をきかえて校庭に出ると、私はつばさくんの隣に並んで歩く。それだけでドキドキと胸の鼓動が速くなって、耳も頬も熱を帯びていくのがわかる。

 たぶん真っ赤になっている顔を、私はうつむいて隠した。視界の端に見えるつばさくんの足が、まるで二人三脚をしているように私の歩みと同じリズムを刻んでいる。

 校門を出たところでつばさくんが言う。


「久しぶりだね。一緒に帰るの」


 私は少しだけ顔を上げて「う、うん」と返事するのがやっとだった。

 おかしいな。つばさくんと話せるのはうれしいのに、うまく言葉が出てこない。話したいことはたくさんあるのに。もっと頑張らないと。うん。

 スカートをギュッとつかんで声を出す。


今日きょうは――!」


 思いの外、大きな声になってしまってビックリした。話し始めた手前、止めることもできずトーンを落としながら続ける。


「……何で誘ってくれたの? その、一緒に帰ろうって」


 つばさくんは「それは――」と言ってから少し困ったように考えこんでしまった。

 あれ、私、地雷じらいを踏んじゃった? もしかして罰ゲームだったとか? ドッキリだったとか?

 私がどんどんとネガティブな思考をおちいっていると、つばさくんは恥ずかしそうに首の後ろを手でいた。


「久しぶりに美咲みさきちゃんと一緒に帰りたかったんだ。それじゃ理由にならないかな?」


 ふえ!? 驚きのあまり変な声がでそうになる。つばさくんのことだから他意たいはないのだろうけれど、勘違いしそうになってしまった。


「……ううん、いいと思うよ」


 思っていたより自然に答えられた。ビックリしすぎて私の緊張は大部分が何処どこかにいってしまったようだった。

 つばさくんと並木道を歩く。彼とは幼馴染おさななじみでご近所さんなので通学路はほとんど一緒だ。


「……何だか不思議な感じ」

「え? 何が?」

「こうやって一緒に帰ってると、小さな頃に戻ったみたいだなって」

「ああ、確かにそうだね」つばさくんが懐かしそうに目を細める。「あの頃は毎日一緒に帰ってたもんね」


 あの頃は毎日が楽しかったな。自分の想いを素直に伝えることができて、誰かを好きになることが恥ずかしくなかったから。

 でも、ある頃を境にして私たちは何度も揶揄からかわれるようになった。お前ら、夫婦なら苗字あわせろよ。ヒューヒュー、ラブラブじゃん! もうキスはしたのかよ? などなど。私はそれがスゴく恥ずかしかった。だから自分の気持ちを押し隠すようになったし、意識的につばさくんを避けたこともあった。結果、私達はギクシャクして疎遠そえんになり、最近では片想いをこじらせて遠巻きにつばさくんを眺めることしかできなくなっていた。……正直なところ、今の状況すら夢なんじゃないかと心の隅で思っている。


「どうしたの? 大丈夫?」


 いつの間にかつばさくんが私の顔をのぞき込むように見ていた。

 私は慌てて「何でもないよ。大丈夫」と伝えるとつばさくんがホッとしたように微笑んだ。


「あ、でも、私なんかと一緒に帰ってたら、勘違いされちゃったりしないかな?」

「勘違いされるって誰に?」

「いろんな女の子。つばさくん、女子に人気あるから」

「そんなことないよ」

うそ。サッカーの試合の時、たくさん差し入れもらってるでしょ」


 つばさくんが「……そうだね」と人差し指で頬をかいた。

 かく言う私もつばさくんの試合がある度に差し入れを持っていくが、実際に渡せたことは無い。


「そういえば、ずっと聞きたかったんだけど、あの差し入れ、全部食べてるの?」

「さすがに全部は食べきれないよ」申し訳なさそうに続ける。「特に手作りのものはちょっと……」


 良かった。私、渡せてなくて良かった。


「僕のために時間をかけて作ってくれたのは解ってるし、気持ちはすごくうれしいんだけど……。手作りの食べ物って苦手なんだよね」

「どうして苦手なの?」

「だって、血とか入ってたりするんだよね?」


 え? 思わず耳を疑った。


「ほら、自分の血を混ぜた手作り料理を食べさせると、両想いになれるっておまじないがあるんでしょ? その話を聞いてから苦手になっちゃって……」


 予想外の発言につい声を出して笑ってしまう。


「そんなこと、本当にする子いないよ」

「そうは言うけど女の子って変なおまじないが好きだったりするし」

「変なおまじないって例えば?」

「消しゴムに色付きペンで好きな人の名前を書くとか。好きな人の名前の文字数だけノックしたシャーペンで、紙に書いたハートをつぶすとかさ」

「……確かにいる、かもね」


 私だ。消しゴムにはつばさくんの名前が書いてあるし、ノートには黒くつぶしたハートがいくつも並んでいる。


「消しゴムに名前を書くとか、シャーペンでつぶすとか、恋に関係なさそうな事ばかりだと思うんだけど……。あんな変なおまじないってさ、誰がどうやって考えたんだろう?」

「きっと恋の神様なんじゃない?」

「恋の神様?」

「そう、恋の神様。変なことが大好きなの」


 そういえば、埴輪はにわのストロベリージャムクッキーのうわさつばさくんは知ってるのかな?


 ――埴輪はにわにハートの形をしたクッキーが売ってるでしょ。あれを好きな男子と一緒に食べると想いが通じて両想いになれるんだって!


 今日、友人に教えてもらったばかりのうわさを思い返していると、徐々に胸が高鳴ってくる。

 つばさくんは覚えてるかな? 小さな頃、よく一緒に埴輪はにわのストロベリージャムクッキーを食べていたことを。もし、あの恋のおまじないが本当ならつばさくんと私は――。


「そういえば、美咲みさきちゃんは埴輪はにわのクッキーのうわさ、知ってる?」


 ふえ!? 考えていることを見透かされたみたいで焦った。思わず「ううん、知らないよ」とうそをついてしまった。


「そっか」つばさくんが少し残念そうに言った。

「……それ、どんなうわさなの?」


 私が訪ねるとつばさくんが少し照れ臭そうにしながら答える。


埴輪はにわのストロベリージャムクッキーを一緒に食べると想いが通じ合って――」そこで少し間が開いた。「えっと、その、そう、すごく仲良くなれるんだってさ」

「ふーん、そうなんだ」


 私の知っているうわさとは少し違うようだったが、あまり気には留めなかった。


埴輪はにわのクッキーと言えばさ、美咲みさきちゃんは覚えてる? 小さな頃、よく一緒に食べてたよね」

「うん、覚えてるよ。最後の1つを取り合ってよくケンカしてたよね」

「あったあった。だいたい最後は美咲みさきちゃんが『最後のクッキーをくれないなら、もう一生クチをきいてあげない』って怒っちゃって、僕があきらめてたんだよね」

「え? 私、そんなこと言わないよ」

「言ってたよ。それで最後のクッキーを渡すと『つばさくん、大好き』とか言って機嫌を直すんだ」

「い、言わないってば。そんなこと!」


 ムキになった私は抗議こうぎのためにつばさくんに詰め寄ろうとする――が、足をもつれさせてつばさくんの胸に飛び込んでしまった。

 思っていたよりもガッチリしていて、やっぱり男の子だなぁ――とか思っている場合じゃない。私は体をビクッと震わせると反射的につばさくんから離れた。

 つばさくんが真っ赤な顔をしていた。たぶん私も。


「ご、ごめんなさい」

「僕こそゴメン」


 その言葉を最後に私達は黙り込んでしまった。2人は無言で歩き続ける。

 つばさくんの様子をチラリと伺う。ちょうどつばさくんも私を見ていてバッチリと視線が合ってしまった。弾かれた様に慌てて視線を外す。

 まだ胸がドキドキしている。つばさくんに触れた部分が熱を持ったように熱かった。

 小さな頃のように、この想いを言葉にして伝えることが出来たら、どんなに良いだろう?

 ――ねぇ、知ってる? 私、今もつばさくんのことが好きなんだよ。

 そんなふうに言えたらつばさくんはどんな顔をするかな? もちろん今の私にはそんなこと言えるはずもないのだけれど。


 しばらくして十字路にたどり着くと、私はつばさくんに小さく手を振る。


「それじゃ。またね」


 またね、か。次に一緒に帰れるのはいつになるのだろう? 近いうちならうれしいな。

 私がきびすを返そうとすると「待って」と呼び止められた。


「実は美咲みさきちゃんに伝えたいことがあるんだ」

「え、何かな?」

「僕、ブラジルに引っ越すことになったんだ」


 ……え?


「……いつ?」

「明日の早朝。ゴメン、今まで言い出せなくて」


 突然のことに理解が追い付かない。なのに鼻の奥がツンとなって、涙はあふれた。

 つばさくんを困らせちゃダメだ。私は必死に泣き止もうとする。でも決壊したダムのように涙は止まらない。


ごべんなざいごめんなさい


 何とかそれだけ言葉を振り絞ると、私は逃げる様に家へと帰った。



 帰宅した格好のままベッドに飛び込むと、私は泣き続けた。

 ……どのくらい泣き続けただろう。ひとしきり泣き続けたら少しだけ冷静になれた気がする。気がつくと窓の外はもう真っ暗だった。

 明日の朝、つばさくんは遠くに行ってしまう。それは私が今更足掻あがいたところで変えられない。だったら私が足掻あがけばできることって何だろう? 私がやりたいことって何だろう?

 ベッドの上で寝返りをうつと指先に何かが触れた。つばさくんの名前が書かれた紙だった。これを枕の下に置いて眠ると両想いになれるという恋のおまじない。

 ……恋のおまじないか。


 ――埴輪はにわにハートの形をしたクッキーが売ってるでしょ。あれを好きな男子と一緒に食べると想いが通じて両想いになれるんだって!


 あのおまじない、効果あるのかな? 今までも両想いになれるおまじないはたくさん試してきた。消しゴムに名前を書いて、シャーペンでハートをつぶして、枕の下に紙をおいて眠りについて。恋がかなう日を待って、待って、待って、待ち続けて。待ち続けることしかしなくて。結局、効果が出たことは無かった。

 それでも、このおまじないなら――。そのがほんの少しの勇気をくれる。私の背中を押してくれる。やってみよう。クッキーのおまじないを。

 あのおまじないに本当に効果があるかは分からない。両想いになれてももう二度とつばさくんと会えないかもしれない。それならそれでしょうがない。

 今はただ単純につばさくんと一緒にクッキーを食べたかった。もう一度だけ、つばさくんの笑顔が見たかった。


 私はムクリと起きあがると時計を見る。もうすぐ埴輪はにわの閉店時間。

 急いで部屋を出るとキッチンに向かって「お母さん、私、出かけてくる」と言った。返事も聞かないまま私は玄関を飛び出した。



 埴輪はにわの前に着くと、店長さんが閉店準備をしている最中だった。私に気付いた店長さんが手を止めて私の方を見た。


「やあ、美咲みさきくん。どうしたというんじゃ? そんなに慌てて」

「ストロベリージャムクッキーをください」私は上がってしまった息を整えながら答える。

「いやー、申し訳ないのじゃがストロベリージャムクッキーは売り切れてしまっての」


 ……え? その言葉を聞いた瞬間、心がズシリと重くなって座り込んでしまう。

 枯れたと思った涙が再び流れ始めた。私を支えていたほんの少しの勇気が、涙と一緒に流れ出てしまった気がする。


「どうしたんじゃ、美咲みさきくん?」


 店長さんの心配そうな声。

 私は小さく首を横に振った。口を開けば泣き声が出てしまいそうだったから。

 立ち上がる気力が湧かない。うつむいて地面を見つめていると店長さんが言う。


「何か事情があるようじゃな」店長さんが私へと手を差し伸べた。「実はな、今日は特別に追加で焼いているストロベリージャムクッキーがあるんじゃ。それを分けてあげられるかもしれん」

 店長さんは私に店内へ入るように促すと、店の奥から丸椅子を持ってきた。


「これに座って待っておれ。クッキーが焼きあがるまで、あと5分ほどあるからの」


 勧められるまま私は丸椅子に腰をかける。

 店長さんは立て看板を店内にしまい、ドアプレートを『OPENオープン』から『CLOSEDクローズド』へひっくり返した。

 店の奥で手を洗い終えた店長さんがカウンター越しに問う。


美咲みさきくんもおまじないのためにクッキーが欲しいのかの? ほら、埴輪はにわのクッキーを一緒に食べると想いが通じて両想いになれる、とかいう」

「おまじないの事、知ってるんですか?」

「うむ。とは言っても今日知ったばかりなんじゃがの」店長さんがガハハと笑う。「夕方に君と同じくらいの年の子が来ての。その子が教えてくれたんじゃよ」


 学校で話題になっている恋のおまじないだから、他の子たちが買いに来ていたっておかしい話ではなかった。


「その子もストロベリージャムクッキーを買いに来ていての。売り切れだと伝えたんじゃが、どうしても告白するのに必要だからと言っての」

「もしかして、いま焼いているクッキーって」

「うむ、その子に頼まれて焼いているものじゃよ。もうすぐその子がクッキーを受け取りに来るはずじゃから、美咲みさきくんにも少し分けてもらえんか頼んでみよう」


 その子、スゴいな。私なんかと全然違う。私は売り切れだって聞いてすぐに諦めてしまったのに、その子は店長さんに頼み込んで追加でクッキーを焼いてもらってる。しかもそのクッキーを持って告白までするつもりなんて。その行動力と勇気を分けてもらいたい。

 よほど大好きな相手とクッキーを食べるつもりなんだろうな。


「その子、どんな人とクッキーを食べるつもりなんでしょうね?」

「ああ、確か大好きな幼馴染おさななじみだと――」


店長さんが言い終わらないうちに店のドアが開いた。


「頼んでたクッキー、焼きあがりましたか?」


 そう言って店に入って来たのは――。


「……つばさくん?」


 つばさくんがこちらを向いて驚いた顔をする。「美咲みさきちゃん?」

 ……え? なんでつばさくんがここに来るの? だって、ここに来る子は、大好きな幼馴染おさななじみに告白するためにクッキーを買いにきたはずで……。え、でも、それって……。

 破裂しそうなくらい心臓がうるさい。


美咲みさきちゃんは、なんでここに?」

「た、たぶん……つばさくんと同じ理由」


 一呼吸おいてから、つばさくんの顔が朱色に染まる。想いが、通じた。

 バッチリと重なった視線が、お互いを求める様にらせない。


「もうそろそろクッキーが焼きあがる時間じゃの」店長さんの声が聞こえる。「……じゃが、もう君たちに恋のおまじないなんて必要ないようじゃな」


 クッキーの焼きあがりを告げるブザーが店内に響いた。

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