感動とはなにか

生きる上で”感動”という行為を忘れてはならない。共感することで感動するわけだが、この感動っていうのがないと人生の幸福感が低くなりがちなように思える。私は建築を専攻していたので必然建設業に携わることになったのだが、業界では竣工した瞬間の感動が忘れられない。と謳っているところが殆どだろうと思う。実際には感動もひったくれもない。やっと作業が終わった解放感に包まれるだけだったりする。なので感動とは別物なのである。建物が建ったところで涙を流すわけではないし、地図に残る。なんて間違っても考えてはならない。地上にまた一つゴミを作ってしまった、と思うべきだろう。私にとっては感動体験というのはもっと特別なもので、悲しみに似ている。美しくも儚い、そんなモノが感動に値すると思う。当然、美しくも儚い建物を建ててしまうと壊れてしまうので頑強につくるので作業ゲー感は相当なものだと思う。もし建築学生が見てくれているのであれば、感動とか、うれしさとかそういうものは一切排除して仕事に取り組もう。それが確実である。ある種の期待をしてしまえばそれを裏切られた時の代償はでかい。なので基本的には期待しないことにしている。他人に期待するなんてもってのほかだ。感動は自分で作るものだと思う。もちろん映画を見て泣く事はあるけれどあれはお涙頂戴系以外では自分で感動するスポットを作ることに尽きるので何もかもが感動なわけではない。最近アニメーション映画を見たけれど感動モノだったが他人に進める気は毛頭ない。他人が感動できるかどうかはわからないし、自身だけが感動すればいいのだから。感動なんていうのはお裾分けするものではないのだ。自身で作りだしたストーリーに悲しみを覚え感動を覚えるのである。もちろん感動する場面をちりばめる作家はすごいと思う。しかし、トリガーが多くなっただけで基本的に感動するトリガーは人によって違うのでん?って思う場面も当然ある。映画でも本でもいいが見てみることをお勧めしたい。基本的に仕事では感動なんてモノはないので期待する方が無駄である。

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