色付く胸に、綻ぶは君

藤咲 沙久

第一話 春の黄色



──タンポポが咲いてるんです!


 たぶん、それが初めて聞いた彼女の声だったように思う。

 今まで校舎で見かけたことがあるのか、友達と笑いあっている横を通ったことがあるのか、まったく覚えていない。でも、この言葉は俺の記憶に深く残った。




『色付く胸に、ほころぶは君』




 高校生数名による年に一度の地域清掃。ちょっとした伝統行事にも近いそれは、学生の間で罰ゲームのように扱われている。今年なんて顕著なもので、先日の体育祭で得点の低かったクラスからメンバーが選出された。つまり俺たちだ。

「かくして、各学年五名ずつの計十五名が秋空の下でゴミ袋とトングをたずさえ、校庭に集まったのである。……なんつって。どうだい三森みもり、僕の美声で言うと雰囲気が出るだろう?」

風見かざみが重々しく言ったところでなんも壮大じゃないな」

 休日なのに制服を着て、右腕には学年ごとに色分けされた腕章。いくら暑さが和らいだといえ、ごわついた軍手は手汗を誘い不快感が強かった。仕方ない、午前中だけの我慢だ。

 教師からの説明は簡単に終わった。少しだらけた空気の中で各々が校外へと歩き出す。特にルールはなく、俺は昔馴染みと連れだってスタートした。

「それで? 風見はなんだってそんな嬉しそうなんだ。一人だけワクワク顔とか気味悪いぞ」

「もちろん掃除は面倒さ。でも今回は麗しの駒沢こまざわ先輩も参加してることだしね。恋慕こいしたう僕としては喜ばざるを得ないよ」

 少し離れた所にいる三年生を、うっとりと見つめて風見が言う。あれが意中の先輩なんだろう。大人しそうな人だった。

 そうやって先輩を見すぎているせいで、風見は足元の紙屑かみくずをスルーして歩く。ため息をついて代わりに拾い上げた。お前な、これで何度目だよ。

「あっ先輩が一人になった! これはお近づきになるチャンス。というわけで僕は駒沢先輩とお話してくるから、三森は孤独にがんばりたまえ」

「へいへい。オハナシしながら掃除もやれよ」

 風見を見送りつつ、道路に沿って並ぶ低木へトングを突っ込む。道路といっても住宅街に近いからか大して車も通らず、人だって数人すれ違った程度という静かさだった。

 よく晴れた日曜日だってのに、俺も道も寂しいもんだ。

「だいたいこういう所に隠れてるんだよ、なっと」

 掴んだ獲物を引きずり出す。汚れてわかりにくいが、たぶんジュースの紙パックだろう。普段は気になっていないだけで、探せばそこそこ見つかるものだ。ここまで歩いてくる間にタバコ、空き缶、菓子の銀紙、用途のわからない段ボールの欠片なんかで徐々に袋が埋まりつつあった。

(こんだけ通学路にあって、よく目に入らなかったもんだ……)

 捨てた側にも、気づかなかった自分にも少し呆れてしまう。人間は見たいものしか見ないのよ、というのは母さんの言葉だ。玄関にあるゴミ袋を自覚なくまたいで出勤していった父さんへ向けられたものだった。まさにそんな感じだ。

「……ん?」

 道の先、低木に向かって制服姿の女の子がしゃがみ込んでいる。かたわらの袋と、右腕にある腕章で清掃チームの一員だとわかった。緑色だから後輩か。

 ゴミを探しているようには見えず、かといって具合が悪い様子でもない。でも無視して通り過ぎるのも気が引ける。考えながら進むうちに距離が縮まってしまった。

「なあ君、どうした──」

「タンポポが咲いてるんです!」

「は?」

 脈略も何もあったもんじゃない。そもそも今は春じゃない。秋だ、9月だ、そして君は誰だ。

 先ほど彼女が眺めていた辺りに目だけを向ける。背は低く、茎のしっかりとしたタンポポが一輪咲いていた。枯れ葉の中にたたずむには春の黄色があまりに鮮やかで、ひっそりとは言いがたい堂々たる姿だ。

 視線を戻すと、パチリと合った先の瞳が輝いていた。何がそんなに嬉しいのか。いや、嬉しいのが伝わってくるんだから、それでいいかとも思う。あまりに微笑ましくて俺の頬まで緩んでしまった。面白い子だな。

「……本当だ。すごいな、秋なのに」

 言い出したのは自分のくせに、彼女は一瞬驚いたような顔をしてから、柔らかい笑みを浮かべた。理由はわからない。

(人の表情って、こんな風に変わるもんなのか)

 一度大きく開いた目がふわりと細められる瞬間は、ひどく印象的だった。

「はい、すごいですね!」

 少し高めの女の子らしい声はやや興奮気味だ。えへへ、と笑う様が中学生のような幼さを思わせた。

「ちょっとー! いつからはぐれてたの、置いてくよーっ!」

 遠くの方から、同じく緑の腕章を着けた女子がこちらに向かって叫ぶ。呼ばれたのはどうやら目の前の彼女だったらしく、肩を跳ねさせてから慌てて立ち上がった。

「待って待って、ごめんね今行くから!」

 そのまま軽やかに駆け出していく。なぜか俺の方が置いていかれた気持ちになりながら背中を眺めていると、スカートを大きくひるがえして彼女が振り向いた。俺は驚いて動けなかった。

「せんぱい、失礼しますっ」

 そうして彼女は今度こそ行ってしまった。ポツンと俺だけが取り残される。舞い上がるすそから伸びた細い脚に一瞬目がいってしまった事実は、俺とコイツだけの秘密にしておこう。

 早く歩けとでも言うように、集めたゴミが袋の中でガサリと音を立てた。



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