奇跡のカレーと不思議なブタ

緯糸ひつじ

奇跡のカレーと不思議なブタ

 僕は困惑していた。まさか生きているうちに、ブタの貯金箱が必死に命乞いをする場面を目撃するとは思っていなかった。

「まだ生きたいのさぁ」

 ポップなピンク色に陶器の素材。たくさん詰まった硬貨でカシャカシャ鳴る体を震わせて、木目のテーブルの上で情けなく泣いている。


 月が浮かぶ夜、地元で有名なカレー専門店「リフ亭」の店内でのことだ。黄色い壁紙のお洒落な店内で、僕は不思議な事態に遭遇していた。

「そうか、まだ生きたいのか」

 呆気にとられて繰り返す。

 ブタの貯金箱の上擦った声には、真に迫るものがあった。取り出し口がない、割るタイプの古典的な貯金箱だ。いつか壊される運命にあるから絶望に泣く日もあるだろう。

「何してんだ、渋屋しぶや

 厨房から声が飛ぶ。先輩の萬羽まんばさんの声だ。

「見てくださいよ、これ。すごくないですか」

「すごいけどよ」

 僕が呼ぶと、萬羽さんは気難しい顔を寄せながら客席のテーブルに近づいた。

「なんでそもそも喋って動けんだ。陶器だろ」

 萬羽さんはブタの貯金箱を指で弾くと、チンと甲高い音が鳴る。ブタの貯金箱はよちよちと後ずさってから誇らしげに答えた。

付喪神つくもがみってやつなのさぁ。長い年月を経た道具には魂が宿るっていうのさぁ。愛着を持って貯めてくれた証拠でさぁ」

「さすが有名店。物を大事に扱ってるんですね」

 僕は、目の前の不思議な現象を「そういうものだ」と呑み込むことにした。面倒くさがり屋の得意技だ。

「呑気だな。だったら、ここのフライパンにも包丁にも付喪神がつくだろ。貯金箱にだけついたってなると、持ち主は相当な守銭奴だな?」

 ブタの貯金箱は怒ってカシャカシャと音を立てて跳ねる。

むぎくんはそんな人じゃないでさぁ」

むぎ?」

 僕の疑問には萬羽さんが答えた。

「店主の息子だ。テイクアウトしたときにここで働いてるのを見かけた。快活な高校生だったよ」

「何年も一緒に居る友達なのさぁ」

「へぇ。でも魂が宿ったとなると情がうつって困りますね。せっかく貯金したのに簡単には割れない」

「案外、割っちゃうかもよ」

「ももももちろん、割らないはずでさぁ」

 物騒な会話にブタの貯金箱はひどくどもる。

「あれ、不安なの?」

「訳ありなのさぁ。今日ここで喧嘩しちゃったのさぁ」

「喧嘩?」

「そうなのさぁ。麦は生粋のカレー好きなのさぁ。カレー修行も兼ねてインド旅行を計画していて、旅行資金をどうしようかってときに、ぼくは疑っちゃったのさぁ」

「もしかして割られるかもってことか。元々そのための貯金箱な訳だし」

 そんな不安から疑って『なんで信じてくれないんだ!』って怒らせてしまったらしい。好きにどこかへ行けばいいと、置いてきぼりを食らったという。

 ブタの貯金箱はしょんぼりと頭を垂れる。友情には少しヒビが入っているようだ。

「そっか、ブタの貯金箱くん。それは辛いな。僕も分かるよ」

 僕は不憫に思ってなぐさめる。

「ありがとうなのさぁ。ピグきちって呼んでほしいのさぁ」

「ああ、ピグ吉。好きなだけ泣いていいぞ……」

 ここで萬羽さんが、湿った空気を断ち切るようにぱんっと手を叩く。

「──はいはい。世間話はここまでだ。おい渋屋、親睦を深めるのもいいが、俺たちの目的を忘れてないか?」

 僕ははっとする。

「あ」

 ピグ吉がさっきまで命乞いしていたのを思い出し、動揺で中身がカシャりと音を立てた。

「そうでした。僕らは盗みに入ったんだ」

「だが、俺らの目標は金じゃない」

 萬羽さんは、怯えるピグ吉の背中をぽんと叩いて続けた。

「奇跡を盗みにきたんだ」

 店の入口には「準備中」の看板が掛かっている。


   * * *


 この二日前のこと。

 僕は萬羽さんの住むマンションの一室に居た。小綺麗に片付いたリビングには、コーヒーの匂いが漂っている。ソファでくつろぐ僕に、キッチンから声が飛ぶ。

「今度の盗みのターゲットを決めたぞ」

 立ったままコーヒーを飲む萬羽さんに、僕は嬉々とした顔を向ける。

「お、久々ですね。次はなんですか?」

 僕ら二人は、手前味噌だが凄腕のコンビだ。怪しい組織のお宝に、悪徳政治家の金庫に、詐欺師の懐。僕ら二人が揃ってしまえば、盗めないものはなかった。

「レシピだ」

「え?」

 僕の反応を見て、萬羽さんは革新的な新製品をプレゼンするような態度で繰り返した。

「リフ亭のカレーのレシピを盗み出すんだ」

 僕は首を傾げる。

「うーん」

「なにか不満か?」

「いやー、宝石、札束、絵画に骨董、なんでもやってきましたけど、それに価値があるんですか?」 

 ある有名な炭酸飲料メーカーは、フレーバーのレシピを厳重に保管していて、その内容は世界でも数人しか知らないという。そんな秘密のレシピを手中に収めたら、とんでもない価値がつくかもしれない。

 だが今回の狙いは、地元で有名とはいえ小さなカレー店。まだ、店の金庫を狙ったほうがいいと思うのが正直な心情だった。

「リフ亭のカレーは、地上の奇跡だ」

 萬羽さんは熱っぽく言った。嫌な予感がするが、一応話の続きを促す。

「と、いうと?」

「いいか、よく聞け。カレーに使うスパイスは基本的なものだけで三種類から六種類もある。そこにいろいろ足したり配合も変えたりもできる」

「いろんな味ができますね」

「そう! 家庭の味、本場の味。下町の名店、大手のレトルト。ひとつとして同じ味がない。スパイスの組み合わせは無限大。カレーは宇宙だ」

「はぁ」

 熱量に呆れて腑抜けた声が出るが、萬羽さんは意に介さず続ける。

「だからな。その無限の組み合わせから『これだ!』ってカレーに出会えたら、それは奇跡な訳よ。で、俺はずいぶん前にそれに出会った」

 なんだそれ。萬羽さんはたまに勢いで行動を決めてしまうから、丁寧に話を聞かないといけない。馬鹿馬鹿しいことも付き合ってきたが、今回の狙いは輪をかけて変だ。

「でも、なんで盗むまでの話に? 今まで通り悪い奴らの金だけ狙ってましょうよ」

「それはもう終わり」

「え?」

「俺は泥棒は辞めて、カレー屋になる」

 僕は驚いた。危うくコーヒーをこぼすところだった。

「ずいぶん前から考えてたんだ。俺、カレー屋似合うじゃんって」

 慌てて止める。

「待ってください、そんな理屈通しませんよ」

「理屈が通ってないことなんて、世の中にまかり通ってるだろ」

 僕の動揺はよそに、話はどんどん先に進む。

「盗むって言っても昔のレシピだ。先代の親父が最近亡くなってから、まるで味が違う。今の店主は見る目がないね。俺が失われた最高の味を復活させる。奇跡みたいなスパイスの組み合わせが消えるのは、世界にとってのマイナスだからな」

 萬羽さんは付箋の挟んだ雑誌を机上に投げる。僕は、その付箋のページを開いた。

「店主が先代から受け継いだレシピノートを、お守りみたいに店舗にずっと置いてるって記事だ。そのノートの中にあるはず。内容は分かったな」

 分かったもなにも。僕は不満ばかり募る。

「これが終わったら僕らはどうなるんですか」

「解散だな」

 萬羽さんは他人事のように言った。僕は萬羽さんとの仕事が、正しいかは別にして刺激に満ちて好きだったし、ずっと続くことを望んでいたのに。

「渋屋、どうした?」

 言外の不満を感じ取ったのだろうか、萬羽さんは眉をひそめる。

「いや、萬羽さんがやるってんなら、ついていきますよ、もちろん」

 僕はコーヒーを飲み干した。胸にうずまく苦い感情も一緒に。


   * * *


 すっかり怯えたピグ吉を尻目に、僕らは店中を探しまわった。

「あった、ありましたよ。萬羽さん」

 僕は厨房の棚から、雑誌にあったノートを見つけ出す。

「中身は? 肝心のレシピは?」

 テーブルに置いてぱらぱら捲る。狙った獲物ではないメモが続き、次々と僕はページを送る。ぱたっと最後のページが捲られたとき、僕らは悟った。

 ない。レシピがない。

 萬羽さんが苦々しく呟く。

「なんでないんだよ」

「だって、そんなのあり得ないのさぁ」

 ピグ吉が水を差す。僕は目を細める。

「どういう意味だ?」

「麦くんのお祖父さんは頑固で、カレーのレシピは誰にも教えなかったのさぁ」

「よく知ってるんだな」

「もちろん。ぼくを麦くんにあげたのはお祖父さんさぁ。ときどき内緒で、ぼくにお札を入れてたのさぁ。たぶん麦くんが割ったときに驚かせようとしたのさぁ」

「あり得ないってのはなんだ?」

 逸れた話を、萬羽さんが戻す。

「麦くんたちも散々探して見つからなかったのさぁ」

 ピグ吉が言うには、店の味が変わってしまった理由がそれだった。麦がカレーの研究に没頭しているのも、祖父が急に亡くなって味を引き継げなかった後悔からだという。

「麦くんは、お祖父さんのレシピを再現するために頑張ってるのさぁ」

「なんだよ……」

 悔しそうな萬羽さんを見て、僕も唇をかんだ。

 失敗の二文字が、頭をよぎる。

「……退きましょう、萬羽さん」

 僕が声を掛けたそのとき、ドアチャイムがからんと鳴った。慌てて振り向くとガラス扉が開いて、人影がゆれた。

「あんたたち、誰です……?」

「麦くん!」

 ピグ吉は叫んだ。

 麦と呼ばれた青年が僕らを睨んだ。警戒心を身体から発散するかのようだった。

「彼らは泥棒なのさぁ」

 黙った僕らにかわってピグ吉が答えた。

「分かってる。店の外から物色してたのが見えたから警察はもう呼んだ。あと五分で来るはずだ」

 あと五分。麦には分からないかもしれないが、僕らにとっては充分にチャンスがある。

「まじか、逃げるぞ渋屋」

「はい。厨房の向こうに裏口あります」

「分かった」

 手短に声をかけると、萬羽さんは裏口へ走る。追うように僕も動く。

「待て!」

 不意に強い力に引っ張られ体勢を崩した。振り向くと、がしっと後ろから麦に羽交い締めにされていた。正義感と勇敢さがある若者は困る。とっさに身体が動けてしまうから。

 街の遠くのほうでパトカーのサイレンが鳴っている。

 判断をあぐねて止まる萬羽さんに、僕は声を飛ばす。

「二人揃って捕まったら元も子もないです。僕はいいので先に逃げてください!」

「何いってんだよ」

「舐めないでください、もちろん逃げ切りますよ。いつも手際は見てきたでしょう」

 鋭く返す。強がりではなかった。萬羽さんは納得したのか強く頷いて、裏口から外へと消える。

 しかし、舐めていたのは僕のほうだったかもしれない。男子高校生の力を侮っていた。麦からどうにも逃げられそうになかった。

 なんだか不思議な気分だ。話のなかでは親近感のあった高校生に、こんなに敵意を向けられるなんて。

 彼と無性に話したくなった。

「麦くん、そのブタの貯金箱。なかなか良い奴じゃないか。君と喧嘩したばっかりなのに、君の良いところばかり話してた。根っからの友達なんだな」

「ええ、まぁ」

 泥棒の予想外の言葉だったのか、まともに答えてくれた。

「これからもずっと割らないのか?」

「何が言いたいんですか?」

「仲良くやっていきたいのかって、聞いてんだ」

 黙って怪訝な表情をする麦に対して、僕は笑ってしまう。自分が二人の仲に勝手に思い入れてるからだ。

「まったく素直じゃないな。たぶん、麦はさっきの喧嘩を謝りに戻って来たんだろ? 置いてきぼりにしたのを悪く思って。そうしたら僕ら悪党に遭遇した」

 麦は黙ったまま僕を羽交い締めにしていた。沈黙は肯定と捉えよう。

「羨ましい仲だと思う。大切にするんだぞ、喧嘩はほどほどにな、絶対彼を放すなよ」

 僕なんて解散を言い渡されてんだぜ、そんな苦い気持ち味わわせんなよ、とは言わなかった。麦は声を絞って答えた。

「悪党に言われなくても分かってますよ」

「そりゃ良かった。安心した」

 満足できる答えが返ってきたから、僕は体勢を変えた。ブタの貯金箱が乗るテーブルの正面に身体を向ける。そして、自分でもぞっとする底の冷えた声が出た。

「だって今は、その仲が弱点になるんだから」 

「え?」

 意味を一瞬とりかねる麦。

 僕はその隙を狙って、ドンッとテーブルを蹴った。

「あっ」

 ピグ吉は小さな悲鳴を上げた。

 衝撃でテーブルが床を滑る。ピグ吉は体勢を崩してころっと転がる。そして、テーブルから落ちた。

「危ない!」

 ピグ吉は重力に従う。

 床が迫る。

 麦の身体は自然に動いた。僕を掴む手をパッと離して、めいっぱいピグ吉へと飛び込んでいた。

「麦は絶対キャッチするよな」

 拘束が解けた僕は、まんまと入口へ駆け出す。振り向くと倒れ込んだ麦の手中に、ピグ吉が収まっていた。

 僕は夜の街に飛び出す。

 パトカーのサイレンがすぐ近くで響いていた。


   * * *


 一週間後。

 僕は萬羽さんのマンションに居た。逃げ切っていた。初めての失策で心にすっかり穴が空いた僕らは、落ち着かない時間を過ごしていた。

 僕は何気なくネットで「リフ亭」と検索する。思わぬ文字が目に飛び込んできた。


「なにこれ!」

 声に驚いた萬羽さんに、ノートパソコンを向けてネット記事を見せた。

 見出しにはこう書いてあった。

『大繁盛! 祖父のカレー復活のカギは、ブタの貯金箱にあり。』

 ブタの貯金箱が客寄せになって、お店が繁盛している写真が掲載されていた。

 記事を読むと、僕は気が抜けた。

「あのとき結局、割れたのかよ」

 後ろ足を接着剤でくっつけたピグ吉が、健在ぶりをアピールするように跳ねている写真があった。

 記事の内容にはあの後の顛末が載っていた。実はキャッチする手が届かず、後ろ足が割れてしまったという。そのかわり、ざらっとこぼれた硬貨とお札の中から、折り畳まれたメモが一枚出てきた。入れた覚えがない紙片を広げると、祖父の筆跡でカレーのレシピが書いてあった。

 麦のコメントが載っていた。

『素直じゃないんです。祖父は本当は受け継ぎたがったのに、頑固だからこんな遠回りでしか伝えられなかったんです』

 麦の素直じゃないところは祖父譲りだった。

 萬羽さんがぼそっと呟く。

「ピグ吉、割れても魂抜けたりしないんだな」

「そもそも理屈の通ってない命だから、割れても痛くも痒くもなかったんですね」

「理屈が通ってないことがまかり通りすぎる」

 萬羽さんは大きなため息を吐いた。

「なんだよ。結局、貯まったお金も取り出せて、祖父のレシピも戻って、珍しいブタの貯金箱が客寄せして大繁盛。上手く行き過ぎだろ。素直にピグ吉を持ち帰れば良かった」

 悔しがる萬羽さんを僕はなだめる。

「まぁまぁ。あの二人、良いコンビっぽいですし、引き離すのは野暮ってもんです。奇跡みたいな組み合わせが消えるのは、世界にとってのマイナスだって言ってましたよね」

 なんだか失敗がどうでも良くなった。

 街を見渡せば、どれもこれもがあり得た無限の組み合わせの中で選ばれた一つだ。その中の、よいと思った組み合わせ一つが長続きする結果になったならば、悪党の失敗にしては上出来ではないかと思う。

 僕はひとつ聞かなくてはいけないことがある。

「あの、解散って話はどうします?」

「あのカレーは復活したんだぜ。なら、俺がやる必要もなくなった」

「なるほど」

 そして萬羽さんは、いたずら少年みたいにニヤリと笑った。

「だから、次のターゲット決めたぞ。このまま負けっぱなしで終われるか!」

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