第22話 アッシュ

 数日の滞在の後エデンを出立し、また数週間かけてモンターニュを目指す旅をした。西の大山稜までは掛かる日数より旅の安全を優先した。エデンの大地をそのまま西進し、セシュには足を踏み入れずに迂回するように進む。大山稜の南端に到達してから北上しモンターニュを目指した。


 旅にはブルーノも誘ったが、まだ大事な仕事があるといって断られた。コルヌは、ブルーノが里を出た理由や今まで何をしていたかをしつこく訊ねたが、終ぞ答えては貰えなかった。


 唯一、ブルーノがギルドの里を作った理由だけ語ってくれた。


 俺はギルドが日影の仕事であることが許せなかったんだ。ギルドはこうあるべきだとか、世の中の役に立つことができるはずだという、確信めいたものもあった。だから仲間が生きていく場所としての里を作り、様々なルールを決めて邪道を正道に変えた。俺一人の力じゃない、里のみんなのおかげだ。


 お前らもエデンを見て思わないか。豊かな大地、自然の恵み、勤勉な人々、これこそが人のあるべき世界だと。もし教国が困難に面しているのであれば、お前らの力であるべき姿に変えて欲しいと思う。お前らだけで出来なければ仲間を作り、仲間を頼ればいい。


 そのために旅を続けろ。自分の目で見て、よく人の話を聞き、自分の頭で考えるんだ。



 ギルドの仲間には心に突き刺さる言葉であった。

 里や仲間が行きどころのなかったヴァンやポシェを救い、ギルドのあるべき姿がコルヌに行く道を示し、魔族と呼ばれたヴァンの特異な体質がグランの医者への扉を開いた。居るべき場所があり、心を通わせる仲間がいて、自分の進むべき道を知っていれば人は豊かだと言えるのかもしれない。


 ただ、里はもう存在しない。ブルーノのように、それぞれが自分の居場所を作り、新しい仲間を見つけ、歩むべき道を探すしかない。それはアリサやアッシュも同様だった。今まで疑念すら抱かなかった教会や教国といったものが、真に自分の居場所と信じることが出来るか、自身で見定める旅である。


 特にアッシュの変わりようは顕著であった。司教との会談後は一人で考え込むことが多くなり口数も減った。

 当初の目的地であるエデンに着いたのだから、これを機に一行を離れることも、隙を見てアリサだけを連れだしルブニールに帰還することも出来ただろう。それにも関わらず、そんな素振りさえ見せずに当たり前のように旅に帯同している。




 峻峰がどこまでも続く大山稜は冠雪に覆われ、北上するにつれ冷涼になる。

 街道の周囲が針葉樹の森に変わった辺りで、ようやくモンターニュの街が見えてきた。モンターニュは規模こそ小さな街だったが、かつては一体の中心都市として栄えていたそうである。


 幸いにも検問らしきものは見えない。辺境の街までは手配書は回っていないのか、城門は難なく通過出来た。門の先にある街は小高い丘になっており、丘の頂に向かってなだらかな坂道が続いている。


 坂を上り切ったあたりに、かつての領主の城らしきものと教会が並び立っている。どちらの建物も他の都市に比べて小規模で、眼下の街並みを威圧することなく自然と都市に馴染んでいる。


 ヴァンたちは坂道を教会へと登っていく。教国は一定地域を教区とし、教区司教が土地を治めている。そのため教区司教に面会しないことには話が始まらない。神の教団のブノワ司教からはモンターニュに行けば森の民のことが分かるだろうとの助言だったので、情報を得るにしてもひとまずは教会が先である。


 折よく、教会の正面で年若い司祭が雑用をしていたので、声を掛け司教との面会を願い出てみる。アリサがルブニールより来訪した教会魔導士でラグ隊長も同行していると告げると快く仲介を引き受けてくれた。


 アッシュは一行の最後尾で隠れるように立っている。ラグ隊長である自分が、身分のしれない連中と共にわざわざ辺境の地まで同行していることを知られたくないのだろうか。


 入り口で暫く待たされた後、先ほどの若い司祭が足早に戻ってきて、教区長のクレマン司教がお待ちですと先に立って案内してくれた。建物の中はこじんまり小さくはあるが開放的な礼拝堂で、司祭を先導として中央の通路を祭壇に向かって進んでいった。祭壇下で教区司教のクレマン司教が一行の到着を待っていた。


 アリサが一歩前に進み出てお辞儀をすると、いつものように丁寧な挨拶をする。

 クレマン司教はアリサに歓迎の意をもって返礼すると、そのまま一行の間を抜けてアッシュの前で立ち止まった。


 おもむろに地面に片膝をつき慇懃にお辞儀をすると、頭を上げアッシュをまじまじと見つめる。


「ようやくお越しいただけましたな、アシュレイ様。いつかこのような日がくると待ち望んでおりました」


 予想だにしない展開に一同は唖然とする。いま、アシュレイ様と呼んだよな。

 当のアッシュ本人は気まずそうに皆を見回し、観念したとばかりに吐息する。


「クレマン司教、お立ちください。このようなことをされても私も当惑するばかり。皆も呆れている」


「これは失礼いたしました。ご同行の皆さまはアシュレイ様をご存じでないのですか」


「存じないというより、そもそも本人でさえモンターニュは縁遠いところ。話では聞いてはいるが、あくまで遠祖の話だから私としても実感はない。それに、今はアシュレイではなくアッシュと名乗っている」


「そうでしたか、ならばご一同様には私からご説明申し上げなければなりませんな」


 仕方あるまいと、アッシュはヴァンたちを促して近くの椅子に腰かける。

 皆が座するのを待ってからクレマン司教が話を始めた。


 ここモンターニュはいまでこそ小さな街ですが、元はモンターニュ伯爵様が治める由緒ある領国でございました。


 代々モンターニュ家の皆様は領民とも分け隔てなく交わり、身分の差なく公平に接しておられたそうです。領国の経営も盤石で領民が飢えることはなく、民の信頼も厚い大変に立派な領主様であったと聞いております。


 王制が廃され、爵位が剥奪されますと、モンターニュ家の皆さまもこの地を離れ教都ルブニールに移られることになりました。残された領民は惜別に絶えないといつまでも領主様のお帰りをお待ちしておったようです。


 教都から魔道教会の司教が派遣されて来るようになっても、領民の信頼はかつての領主様にあり、中央のしきたりで統治しようとする司教とは仲違いも多かったそうです。ここが辺境の地で教国にとってもさほど重要ではなかったのか、いつからかモンターニュの教区司祭はモンターニュ出身者が務めるという慣例ができ、かく言う私もここの生まれでございます。アシュレイ様には不服かもしれませんが、そういった経緯でこの街にはラグの支部もなく司法取締官すらおりません。全ては私ども現地司祭に任されております。


 時が経ち代替わりを繰り返すうちに、旧伯爵家はモンターニュのことを忘れてしまったのだ、とうそぶく者もおりましたが、この土地が故郷と愛し誇りに思う者たちにとってはモンターニュ伯爵家は切っても切り離せないものでした。それが見たこともお会いしたこともないものであってもです。

 隣にあります伯爵家の旧館も、領民が定期的に手入れをし、朽ちることなく昔の姿を保っております。



 なんと途方もない話だろう。

 モンターニュ家はそれだけ領民から慕われる優れた領主だったのだろう。どうりで旧館や教会の建物が周囲の街並みと隔絶することなく溶け込んでいるはずだ。住む人の気持ちが街をつくるということか。それにしても、王制の廃止といえば百年以上も前の話だ。アッシュの先祖がどれだけ賢人だったとしても、さすがに別世界の物語のようだった。


 司教の話に続けてアッシュが白状したが、アッシュの本当の名前はアシュレイ・モンターニュなのだそうだ。


 旧伯爵家であることも、一族の出自がモンターニュであることも聞いてはいたが、何代も前の話である。本人もまさかこのような事態になるとは思ってもいなかった。モンターニュを目指す旅の途中で、幾度か告白しようかとも思ったが、さすがに前代の話である、笑われると思い黙っていたとのことだった。


 クレマン司教も説明を終えて満足したのか、ようやく本題の話に移ってくれた。


「ところでアシュレイ様、この度はどのようなご用件でモンターニュにお越しいただきましたのでしょうか」


「司教にお聞きしたいのだが、私達は森の民を探して旅をしているのだが、何か存じているか」


「もちろんでございます。ここモンターニュは森への入り口でございますから」


「森の民というのはこの近くに住んでいるのか」


「そうではございません。距離でいえば大山稜を越えたはるか向こうでございます。山を越えるにはもっと雪が解けてからでないと。今はまだ山に入ることすらできません」


「では、すぐには森の民には会えぬと」


「そうではございません。先ほども言いました通りここが入り口ですので、アシュレイ様がお望みであればいつでも森の民が住むシルビスの村へいくことは出来ます」


 何とも的を得ない話である。アッシュもどう解釈したらよいものかと首を捻っている。クレマン司教も説明しづらいようで、実際に見てもらったほうが早いと言っている。


「それでは、お手数ですが、すぐにでも出立したので、案内をお願いできますか」


「お望みとあればやぶさかではないのですが、折角の機会、アシュレイ様を街の名のある者に紹介させていただくとは叶いませんでしょうか。幸い、皆様を旧館にお泊めすることも出来きますし、お風呂もお食事の用意も直ぐにさせます。長旅でお疲れでしょう。是非一晩、モンターニュにお泊りください」


 アッシュはこれ以上見ず知らずの者と話すのも面倒だと渋い顔をしている。ただ、野営が続いた旅、ベットに風呂に食事付きというのはかなり魅力的だ。ヴァンたちは期待の目でアッシュを見守る。コルヌなど断りでもしたら殴りかからんばかりの形相で睨みつけている。


 ここは自分が犠牲になるべきかと観念する。


「クレマン司祭殿、お言葉に甘えて本日はお世話になろう。ただ街の人との挨拶は私だけでよかろう。他のものはゆっくり休ませてやってほしい」


 一同、拍手喝采である。アッシュ、お前は教国一の男前だ。さすがは領主様の子孫。その器の大きさが隊長の貫禄だな。良く見ると顔も二枚目じゃないの。


 みな口々にアッシュを褒め称える。

 アッシュは、さすがに小馬鹿にされているようで、苦々しい顔をしている。


 いい加減うるさい、黙れ。おれはお前たちの仲間ではなく監視役だぞ。いつからそんな馴れ馴れしくなった。

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