第3話 密告

 十年後。

 教国暦263年、旧王都であり、イブルス教国の首都である城塞都市ルブニール。


 二年ほど前からヴァンは鍛冶職人が集まる職人ギルド地域の一画に小さな屋根裏部屋を借りて住んでいる。昼間は階下の砥ぎ師の親方の元で見習いをしており、工具や刃物の研ぎを手伝うことで生計を立てていた。


 親方は腕のいい職人で下働きや見習いを幾人か雇っており、大都市のルブニールでも名の通った大きい町工場だったため、ヴァンのように外からきた者にとっても目立たず自然と街に馴染むことが出来た。何より刃研ぎは魔法は使わないためヴァンには都合の良い仕事だった。また、この親方が中々の頑固者で、砥いだ刃物を洗浄するのに水魔法を使って洗い流したりすれば、たちまり雷が落ちて


「てめぇの汚ねぇ手から出たまがい物の水なんかで洗うんじゃねぇ。ちゃんと井戸の水を使え」


 と怒鳴られる。そんな親方の一徹さもヴァンには有り難かった。


 小柄で痩せぎすな体つきで、目じりの下がった柔和な顔はともすれば既に職人を引退した好々爺にしか見えないが、その細い目の奥にある鋭い眼光と体から発せられる職人としての自信に満ちた威厳は対するものを圧倒する。


 生まれも育ちも職人街という親方は、この街で起こることなら大抵のことは把握しており、良く目端がきく才覚は職人以外の住民にも何かと頼られる。職人ギルド随一の貫禄である。


 工場こうばの奥から一仕事終わった親方が禿頭を揺らしながらヴァンの所に歩いてくる。日が短い季節のため、既に太陽は西に傾いてきていたがまだしまいには早い時間だ。


「ヴァン。お前、今日の晩飯もいつもの酒場にいくのか」


「ああ。そのつもりだけど」


「酒場の大将から頼まれてた刃物が砥ぎあがってるから、行き掛けに届けれくれないか。代金は前金で貰っているから渡すだけでいい」


 今しがた砥ぎ上がったばかりの包丁をヴァンに手渡す。


「ああ、分かった」


「それじゃ、今やってる仕事は切りのいいところで終いにして届けに行ってくれ。少し早いがそのまま上がって晩飯にしちまっても構わんから」


「そうしてもらえると助かる」


 ヴァンは受け取った包丁を包装布でくるくると巻き上げ、工場こうばの標章が入った留め金で終端を留める。


 親方は横に立ってその動作をじっと見ている。用事は済んでいるのになんだろう。


 頑固そうな太い眉毛の尻を下げ、なにか言い出しかねる様子でそわそわしている。


「あー、あの、なんだ。お前はちゃんと食事はしてるのか」


「ああ大丈夫、食うもんは食ってる。酒場でもそれなりにちゃんとした料理が出るんだ」


「そうか、ならいいが。どうだ、たまには家で母ちゃんの手料理を一緒に食わねぇか」


 なるほど、こちらが本題か。


「親方ありがとう。でも、今日は遠慮しておくよ」


「そうか。とはいえ同じ屋根の下に住んでる仲なんだ、たまには飯ぐらいいいだろう。母ちゃんもよ、毎日同じ顔を突き合わせて食事をしても折角の料理も味気ないってな。一度ぐらいヴァンを連れて来いって、しつこいんだよ」


 親方夫婦も五十歳をとうに過ぎ、育てた息子たちもそれぞれ職人として独り立ちして別の場所に工場こうばを構えている。子供がいなくなると夫婦の会話もめっきり少なくなり食事の時間も退屈らしい。そもそもヴァンに部屋を貸してくれたのも、そういった寂しさを埋めるためだったのかもしれない。奥さんも工場こうばにこそ顔を出すことはなかったが、いろいろ気を使ってくれていて、知らぬ間にシーツが洗濯してあったり、手作りの焼き菓子や果物が部屋に置いてあることもあった。


「すまない。でも今日は酒場で友達と会う約束もあるんだ」


「そうか、まあ、気が向いたらでいいから、一度ぐらい付き合ってくれよな」


「わかった、今度ご馳走になるよ」

 

 嘘をついた。誰かと会う約束などない。


 ヴァンも親方夫婦から親切にされることを迷惑に感じているわけではない。ただ、他の職人もいる中で、自分だけ特別扱いされるのは嫌だったし、疑似的であれ親子の団欒といった家庭的な場所を、出来れば避けたかったのだ。それ以上に、ヴァン自身が人との関係に深入りすることを避け、深入りされることを嫌った。自分のようなものと付き合っていると何かことが起きた時に迷惑をかけてしまう。


 ヴァンにとって刃研ぎは本業ではなく、本当の仕事は別にあった。


 あの夜ブルーノとコルヌに助けられ、牢を脱走したヴァンはそのまま盗賊の一団に加わり、根城にする里で生活することになった。里の中で唯一の子供だったこともあり、皆に可愛がられて育った。ブルーノのどこぞの隠し子だと揶揄からかわれもしたが、ヴァンのことは一様に優しく受け入れてくれた。


 元々皆からオヤジと慕われていたブルーノだったが、ヴァンに対しては本当の息子のにするように様々なことを教え込んだ。文字の読み書きや算術、薬草の知識、野営の仕方、獣の追い方など生きていくのに必要なことから、刀剣の使い方、徒手での組み伏せ方などの格闘術、音を立てない歩き方や口を動かさない話し方など盗賊の所作まで一通り付きっ切りで教えてくれた。相変わらず魔法は使えないままであったが、里のみんなもブルーノも全く気にもしなかった。魔法の訓練をしろとも言われなかったし、魔法以外に覚えなければならない事は山ほどあった。


 自分たちは盗賊だとブルーノは言っていたが、一団は言えば侠客的な集団で民衆からは「ギルド」と呼ばれていた。ギルドといえば商人や職人の同業者組合を指し、職種や土地の名前などを冠し○○ギルドと呼称するのが一般的だが、単に「ギルド」と呼んだ場合はブルーノたちのような請負稼業を意味した。


 村同士の揉めごとの仲裁や、祭りの見回り、夜盗の討伐から里を荒らす野犬や猪狩りまで、誰かの頼みでそれが仁義にもとるものでなければ大抵のことは請け負った。盗みも全くしないではなかったが、どちらかというと理不尽に奪われたものを夜半に忍び込んで取り返しに行くというようなもので、いずれにせよ依頼があっての仕事であり、決して私利私欲で盗賊行為をすることはなかった。そんなギルドの仕事ぶりを見て、ヴァンにもあの夜ブルーノに言われた言葉の意味が少しずつ分かるようになっていた。


「いいか小僧。善や悪なんてものは見る側によって真反対の意味になる。その判断は自分にしかできない。実際に目で見て、よく人の話を聞き、自分の頭で考えるのが何より大事なんだ」



 三年ほど前、上背もブルーノと変わらぬほどになり、ヴァンもようやく一人前に仕事が出来るようになった頃、ブルーノが突然「旅に出る」とだけ言い残してギルドから抜けて居なくなってしまった。


 当初は残された者でブルーノの帰りを待ちながら請負仕事を続けていたが、そのうち一人二人と里を抜けるものが出てきて、しばらくして自然消滅するように里は解散した。ヴァンも数名の仲間とともにルブニールに居を移し、今は街で暮らしている。そして同行した仲間と連絡を取り合いながら、以前のような請負仕事をこなしている。


 ヴァンには、それこそが本業だった。

 それを辞めてしまってはブルーノに教え込まれたことが無駄になってしまう。それは嫌だった。それにヴァンには心に秘めた目的もある。あの時の司祭を見つけ出すことだ。請負仕事をしていれば、世の中の表だけでなく裏の姿も見える。ヴァンにはその環境が目的への近道だと感じていた。


 適当なところで仕事を切り上げて支度を整えると、ヴァンは他の職人に挨拶を済ますと届物を持って酒場へ向かった。


 夕方とはいえまだ日が高いうちに街中を歩くのもくのも久しぶりだ。酒場までは歩いても十分程度だが、今いってそのまま食事となると少々時間が早いし、折角なので街中をブラブラすることにした。


 いちが立っている通りを何を見るともなく歩き、馴染みの道具屋に顔を出しては軽口を叩いて回る。空は赤く夕暮れを迎え風も冷たくなる。周りを歩く人の中にはケープを羽織った人も散見される。


 通りの先に人だかりが見える。何やら騒ぎが起こっているらしい。普段なら無視するところだが、まだ少し時間もあるので野次馬に参加することにした。近づくと見物人に囲まれた輪の内側で、一軒の家の前に黒い揃いの黒祭服キャソックを来た男が五人ほど並んでいた。教会の魔導士だ。ヴァンにとっては魔道教会の人間すべてが恨むべき敵というわけではなかったが、連中の権威を振りかざすような態度を見ると心中穏やかではいられない。


 苦々しい顔でことの行方を見守る。よく見ると黒祭服キャソックの袖口に特徴的な赤い装飾が施されている。司法取締官”ラグ”の連中だ。ラグは魔道教会ではまだ下級の魔導士で、主に教会法に従って犯罪人を取り締まるのを仕事にしている。


 街の治安を守る仕事なので立派な仕事だとは思うが、民衆の間では非常に不人気だ。というのも、明らかな犯罪を犯したものを取り締まるだけなら良いのだが、教会が規定する罪過の基準が不明瞭で分かりにくい。特に教会やラグたちが良く口にする「原罪に対する罪」というものが評判が悪い。傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰といった、人の「原罪」といわれるものを罪として取り締まっているのだ。その上、どんな行いがこの「原罪」が該当するのかという明確な基準がなく、あくまで教会が「原罪に対する罪」と認めた時点で取締りや処罰が行われる。


 さらに問題なのは、この取締りが民衆の「密告」によって成り立っていることである。誰かの「どこそこの何々がこういった罪を犯している」という密告に基づいて取締りが行われる。取締りの理由は様々で、罪をでっち上げようと思えばいくらでもできてしまうのだ。さらにはラグに捕まるとほとんど釈放されることはなく、確実に投獄されるようで、捕まってしまうと二度と戻ることはないと、民衆の間ではまことしやかに噂されている。


 しばらく見ていると建物から一人の壮年の男が両脇をラグに捕まれて、外に引きずりだされてきた。


「離せ。私は何もしてない。なんで捕まるんだ」


 ラグたちは言葉を発しない。男を拘束しているラグが隊長と呼ばれた魔導士の前まで男を連れてくると、隊長は手に持っていた用紙を開き罪状を読み上げた。ヴァンの位置からは内容が良く聞こえなかったが、どこかの店で揉め事をおこし、それが「憤怒の罪」として取り締まられたらしい。


 冗談じゃない、と男は叫んでいる。


「騙されたのは私のほうだ。罪を犯しているのは奴らのほうじゃないか。あんな劣悪な商品を渡しやがって、誰でも文句の一つも言いに行くだろう」


 そうして、周りを取り囲む民衆をぐるりと見回す。


「誰だ、誰が密告した。誰が嘘を言いつけた。いいか、こんなことを続けていたら、今度はお前らが捕まる番だからな」


 男は、お前か、お前か、お前か、と人々を順番に指差す。


 言われた人々はそんな男の怒りなど意に介さず、店主を殴った、店を壊した、水浸しにした、魔法で商品を根こそぎ燃やしてしまったなどと根拠もない噂を口々にしていた。


 隊長の男が連行しろと命じると、ラグの一団が一斉に動き出し、教会に向けて男を連行する。周囲に居合わせた民衆に向け、


「いつまで見物している。往来の邪魔だ。散会しろ」


 と命令した。


 隊長の顔をよく見れば、ヴァンとさして変わらぬ歳の男だった。精悍な顔つきは自信に溢れ、清潔と厳格とを併せたような表情は取締役官という職業を見事なまでに体現していた。命令を下してしまえば後は興味がないとばかりに、それ以上民衆を追い立てるでもなく、そのまま一団の最後尾について教会に向けて歩いいく。周囲の人々は直ぐには命令に従わず、しばらくはその場をで噂話に興じていたが、次第に人数が減り自然と散会していった。ヴァンもこれ以上留まっていても仕方がないと酒場に向かった。


 後味は悪かった。

 良く分からぬ罪で取締りが行われるのは嫌な気分であったが、連行された男にも罰せられる程では無いにせよ、誰かに恨まれるような行いはあったのだろう。ただ、わざわざ悪名高いラグに密告した者がいることが問題だし、人伝てに聞いた話に尾ひれをつけた悪意にまみれた虚言を、噂話というを残しながら、楽し気に話しているのが気に入らなかった。


 そして、それ以上に忌むべき醜悪な事実がヴァンを苛つかせた。


 密告は金になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る