第2話

 チヒロにはああいったが、俺は正直、かなり本気になりかけている。


 だって、リリーナはかわいい。

 悪役令嬢らしいツンと鼻先をあげた表情も、彼女が本当は人懐っこくて寂しがりだということを知っていればご愛敬の内――かわいいワガママってやつだ。


 それに彼女は、このゲームの登場人物にしては常識がある。

 ヤローどもは親の権威をかさに着てやりたい放題、ろくに国政のことも知らず、面白おかしく生きていければそれで良しみたいな享楽主義者ぞろいであるというのに、リリーナだけはシュタインベルグ家の子女として勉学に励み、大まかな国政の成り立ちというものも心得ている。


 そんな彼女からしたら、顔がいいだけでろくに世間を知らぬお坊ちゃまたちなど不甲斐なく見えることだろう。

 そりゃあ塩対応にもなろうというもの。

 つまりリリーナが悪役令嬢だと思われがちなのは周りの男たちが悪いのだ。

 彼女自身はしっかり者で頑張り屋さんなだけ。


 そんな彼女が俺を見つけるたび、子犬のようにはしゃいで駆け寄ってくるのだから、本気になるなというほうが無理な話である。


「ああ、ああ、もう、どうすればいいのかな」


 もちろん授業中であるのだから教師にばれないように、俺は身もだえるようなことはしない。

 代わりにノートの端を意味も無く、ぐしゃぐしゃとペンの先で塗りつぶした。


 正直、どうしても元の世界に帰りたいというわけじゃない。

 すでに俺はこちらの世界で長い時間を過ごした身であるし、何より、リリーナがいるのだから、むしろこちらの世界にとどまりたい。

 ただ、何度もリリーナの断罪イベントを繰り返すループから抜け出したいだけなのだ。


 これが俺の偽らざる本心ってやつだ。


「まったく、どうしたもんかなあ」


 俺はノートの上に無造作に書いたペン跡を、さらにペンでなぞって1日を過ごした。

 そんなことをしたって、いいアイディアが浮かぶわけじゃないんだけど。


 事件が起きたのは、その日の終業後だった。

 俺は寮へ帰る気にもなれず、意味のない落書きで塗りつぶしたノートの端を眺めながらぼんやりと座ったままでいた。

 と、その時だ、窓の外ーーつまり校庭から悲鳴が聞こえた。

 続いて誰かの叫ぶ声。


「大変だ! チヒロが池に落ちたぞ!」


 この池というのも、学園の謎施設の一つである。

 学園の裏には自然のままの森にちょろっと遊歩道を整備しただけの自然公園があって、そこが某イギリスの児童文学を気取ってか『百エーカーの森』と呼ばれている。


 たかが学生の憩いの場に、これほど大きな自然公園が必要なのか……もっとも乙女ゲームとしては、チヒロが攻略キャラとのデートでボートに乗ったり、チヒロが池のほとりで告白されるイベントがあったりと、チヒロにとっては重要な場所ではあるのだけれど。

 その百エーカーの森の真ん中にあるかなり大きな池、これにチヒロは落ちたのだろう。


 まあ、ボート遊びができるくらいの穏やかな池なのだから、落ちたところで大した危険はないだろう。

 それでも一応様子くらいは見に行こうかと、俺は立ち上がった。

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